『VIVANT』の人気で考える"考察"の危険性
日曜劇場の『VIVANT』が超面白い。
めちゃくちゃ面白い。
確実に今期No.1、いやたぶんここ数年で1番面白い。
スタート前から出演者以外の情報がほとんど開示されず、オリジナルドラマということもあり始まっても先の展開が読めない。
そのためにドラマの「考察」が非常に盛んとなっている。
ただ、個人的に考察はおすすめできない。
というのも、考察は時として作品の面白さを失う危険な行為だと思っているからだ。
テレビドラマの考察は、「この先こうなるんじゃないか」「このキャラクターは実はこうなんじゃないか」など、多少考える分には面白い行為だ。
ただし、深読みが過ぎることがある。
なんでもかんでも結び付けたり、全部のシーンを疑って、シーンで描かれる本来のメッセージを受け止められない可能性が出てくる。
水曜日のダウンタウンの「松本人志ロシアのスパイ説」並みのこじつけ考察も出ているので、思わずいくつかX(以下Twitterと表記)で、「いやそれは違うでしょ」と否定のツイートをしたけど。
一言でいえば、考察をすると勝手にハードルを上げてしまう。
さらに自分好みの展開を考えてしまって、違った場合に「期待外れ」と感じてしまうことになりかねない。
『VIVANT』の考察が盛り上がっているのは公式が煽ったこともある。
プロモーションの一環として、Twitterで「考察お待ちしてます!」みたいなことをやっていたのも大きいと思う。
ただこれは、恐らく7話のラストに訪れたあの展開に自信があったからやっていたんだと思う。
実際それで、すべての考察を超える展開を見せて、世にはびこった考察をすべて否定した。
考察どころか、日本のテレビドラマになんとなく存在した予定調和のようなものも破壊したと言っていい。
ただこれがまた「絶対考えすぎでしょ」みたいな新たな考察を生み出し、再びカオスな状況になっている。
オリジナルドラマで考察すると面白さが半減する可能性があると分かっていたので、自分は最初から極力考察せずにいた。
Twitterにしろヤフコメにしろ、先の展開を考えるのではなく、その回で思ったことや感じたことを書くだけにとどめている。
先の展開を考えることは、上述の通り自分で作品に対してのハードルを上げてしまうので、絶対にやめた方がいい。
「思う」「感じる」ことは大事だけど、「先を考える」のはやめた方がいい。
個人的に『VIVANT』をより楽しむポイントはそれかなと思っている。
たとえば7話の、乃木さんと薫さんの仲良しシーンを、薫さんのことを疑っている人は純粋に見れなかったと思う。きっと裏があると思ってみていたでしょう。
ただ薫さんが本当に何も裏がない人だった場合、初見でそのシーンの良さを感じられないままになってしまう。
仮に裏がある人だとしても、分かったときに驚けばいい。
もしかしたらSNSで、考察で当てることで目立ちたいとか、ドヤ顔したい、みたいな気持ちがあるのかもしれないけど、そんな欲望は作品の面白さをなくしてしまう。
何も考えずに、まっさらな状態で見たままのものを受け止め、次の展開がどうなるんだろうと、ただワクワクしているほうが、作品の良さを純粋に楽しめると思う。