京都の神社巡り~中山神社・武信稲荷神社
前回の続きです。
2月1日
おっさんと次にやって来たのは京都市中京区にある中山神社です。この場所が鎌倉時代の内大臣中山忠親の邸跡だったことから中山神社となったとされています。
主神を素戔嗚尊とし、内裏の門を守護する櫛石窓神・豊石窓神の2神を合祀する神社で石神(岩上)神社とも呼ばれています。
延暦13年(794年)に桓武天皇の勅命により建立されたと伝えられています。慶長7年(1602年)二条城造営により現在の場所に移転。江戸時代の天明8年(1788年)火災にあい、現在の社はその後再建されたとされています。
狛犬さん。
屋根瓦には立葵かな。
手水鉢かな。
拝殿にかかる神額。
境内末社 稲荷神社。
途中で見かけた三森稲荷大神。お狐様の囲いが枠組みだけになっていました。
続いて武信稲荷神社です。訪れた際、神社の正面に業者さんの車が3台程止まっていたので正面からの写真はありません。
武信稲荷神社は、平安時代の貞観元年(859年)西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相によって創建されました。この付近には藤原氏の学問所(勧学院)・療養施設(延命院)があり、その鎮守社として創建されたのが始まりとされています。また、藤原良相が一族の長として名付けを行っていたことから名付け・命名の神社として知られています。
その後、藤原武信という人物がこの神社を厚く信仰した事から武信神社と称されるようになりました。
拝殿。
手水舎の近くにこんなお話が書かれた看板がありました。簡単に書いておきます。
一寸法師は武士になるためにお椀の船で都に上り、京で一番大きな屋敷に住み込みで奉公することになります。その屋敷の主の「三条の大臣殿」は武信稲荷神社を創建した藤原良相のことであるといわれています。
起上大明神。ジャガイモがお供えされていて、なにか意味があるのかと勘ぐってしまいました。汗
拝所と本殿。
狛犬さん。
境内に置かれていた瓦。
本殿右手にある境内社の金比羅宮・天満宮。
本殿左手には御神木の榎が立っています。
この木には坂本龍馬とおりょうに因む逸話が残されており、幕府に追われていた龍馬は無事を知らせるべくこの木に「龍」の文字を彫り、おりょうに伝言として残しました。この事が縁でふたりは無事に再会したとされています。尚、現在は「龍」の字を見る事は出来ません。
御神木のえのきの枝が自然に折れて落下して、その枝からチェンソーアート世界チャンピオンの城所ケイジ氏により彫り起こされた龍です。
神社の近くには平野国臣殉難の地があります。六角獄舎があった場所であり江戸時代の安政5年(1858年)大老の井伊直弼が、尊王攘夷派に対して大弾圧を行った安政の大獄以後は多くの政治犯が収容されたので会所とも呼ばれていました。
またこの場所は宝暦4年(1754年)山脇東洋という医師が、日本で初めて死体解剖を行った場所でもあるみたいです。
今回の記事でここまで進みました。
次回に続きます!