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京都の神社巡り~安楽寺天満宮・大将軍八神社

前回の記事と同じ日の話↓

1月4日

おっさんと続いて訪れたのは京都市上京区北町にある安楽寺天満宮になります。


安楽寺天満宮

・由緒

菅原道真の死後、道真に同行した従者達が大宰府から帰京する途中に亡骸を牛に引かせて受け入れ先を探していると牛が疲れてへたりこんでしまいました。そこで近くにあった安楽寺(現在の太宰府天満宮)に事情を説明し受け入れてもらったそうです。

京で安楽寺の寺号を名乗ることを許可してもらい、延喜5年(905年)無事に帰京を果たしこの地に菅原道真が手彫した御自身像を祀ったことが始まりとされています。

明治6年(1873年)廃佛棄釈により北野天満宮境内へと遷座し一之保神社となりました。そして近年、この旧跡地に安楽寺天満宮が再建されたそうです。

本殿

狛犬さん

・一ノ保天満宮旧蹟

前回の記事にも書いたように菅原道真の死後、同行した従者達によって第一之保から第七之保まで七つの御供ごくしょが建てられました。

・不動石

室町時代の文安元年(1444年)文安の麹騒動で麹座は酒屋との合戦に敗れ木曽福島へ逃れる際に御神体を第四之保御供所の北側の竹林に埋め、目印として置いた石です。

文安の麹騒動については説明すると長くなるので、気になる方はWikipediaで読んでみてください。

金咲稲荷社、選佛寺の鎮守社。
由緒の看板に蝉の抜けがらがあって、少しびっくりしました。笑

・熊鷹稲荷社



島津製作所の創業者である島津源蔵さんが円町で電球をつくり利益を得て河原二条の地へと移りました。感謝の気持ちを込め現在の円町児童公園の東側に熊鷹稲荷を祀りました。 昭和62年(1987年)地主の不始末により重大な問題が生じ天神御旅商店街の守護を得ることが出来なくなり安楽寺天満宮に祀られることになったそうです。

大将軍だいしょうぐんはち神社

最後に訪れたのは京都市上京区にある大将軍八神社です。以前も来たことがあるのですが、色々な大将軍神社を訪れる内にもう1度来たくなりました。

・由緒

平安時代の延暦13年(794年)平安京遷都が行われた際に、桓武天皇の勅願で大将軍神を奈良春日山麓から大内裏の北西角(天門)の地に勧請し造営されたことが始まりとされています。

当初は大将軍堂と称され、江戸時代には素盞嗚尊とその御子八神が習合され更に聖武天皇・桓武両天皇を祀り、大将軍八神宮と改称されました。

大将軍神とは、陰陽道・道教の信仰においての星神天大将軍のことであり方位を司る神。

江戸時代に方除厄除十二社参りが流行しその時期に建立された標石。

楼門

手水舎

左から猿田彦神社・厳島神社・命婦神社。

左から金比羅神社・長者神社・天満宮・稲荷神社・恵比須神社。

本殿とモニュメント

狛犬さん

 招霊おがたまの木(神代榊)

神具庫

神具庫の近くには車石が置いてありました。

大杉神社と豆吉神社

船のいかり

宝物館「方徳殿」と大将軍神像

砂利には巳の文字。

大金だいこんじん神社・歳徳としとく神社。

晩御飯は、マクドナルドに行きました。


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ゆり
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