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京都の神社巡り~離宮八幡宮

9月25日

おっさんに迎えに来てもらい、お昼は久しぶりにカレーを食べに行きました。

それから涼しくなってきたしという事で、京都府乙訓郡大山崎町周辺を歩くことにしました。コインパーキングに車を停めて、最初の目的地に向かいます。

離宮八幡宮の東門に到着です。
東門は江戸時代の延宝年間(1673年~1680年)に建立されたと考えられています。


由緒

平安時代初期、清和天皇は自分の身に太陽が宿る夢を見て国家鎮護の為に九州の宇佐八幡宮より八幡神を京都へ遷座せよとの神からのお告げを聞きました。

天皇の命を受けて八幡神を奉じて帰京した僧の行基は山崎津(当時淀川の航海のために設けられていた港)で夜の山(神降山)に霊光を見ました。

そこで此地を掘ると岩間に清水が湧き出したので、石清水八幡宮が創建されました。後に男山山上にも分祀されてからは、そちらが石清水八幡宮と呼ばれるようになりました。

そしてこの地は嵯峨天皇の離宮である河陽宮かやのみやの跡地だったので、やがて社号が離宮八幡宮へと改称されました。

一時は水無瀬川より円明寺にまで及ぶ広大な神領を有し「西の日光」と言われる程の社殿を構えていましたが、禁門の変で長州藩の屯所となり兵火で焼失してしまったそう。そのため、当時の建造物で現存しているのは惣門(南門)と東門のみらしいです。

明治9年(1876年)には東海道本線(現在のJR)の京都神戸間開通のため社地の大半がその用地になったので、神領の規模が大幅に縮小されました。

神紋は三本杉。

境内案内図



東門は右側にある②の場所にあります。

公式ホームページよりお借りしました。

何番に何があるかについては、公式ホームページをご覧ください。

惣門(南門)

神馬にも神紋の三本杉。

神領境標石

手水所

鳥居

神額

離宮八幡宮と荏胡麻油

左から全国油脂販売店標識と油塑像。

右側の像は、神人じにん(寺社の雑役、力仕事をする人)をあらわしています。

本邦製油発祥地碑。
平安時代に離宮八幡宮の宮司が「長木」という道具を考案して、燈明用の荏胡麻油の生産が始まりました。そして全国にこの事が広まり、朝廷より「油祖」の名を賜ります。

山崎の油売りは山崎石清水八幡宮の神人として八幡宮の燈油を納めて八幡宮の例祭の頭役や淀川を渡る船を引くといった奉仕をして、その代償として八幡宮の保護を受け油座(同業者組合)を結成しました。そして油売りは関所の通行料や津(港)の使用料免除などの特権や製油独占権を得て、東海・瀬戸内・四国・九州で活動しました。

しかし江戸時代になると菜種油にその座を譲る事になりました。

長木の説明

河陽宮故址碑

狛犬さん

台座には神紋の三本杉。

拝殿・本殿

中門をくぐると拝殿・本殿。

本殿の右側から見ていきましょう。

井戸かな。

摂社・末社

若宮社

続いて本殿の左側はこんな感じです。
左の手の甲を4箇所、右の手の甲を1箇所ぐらい蚊に刺されて虫除けスプレーしてくるんだったな…と後悔しました。

O型だから刺されやすいのは分かるけれど、何故利き手ばかり…。

石清水

左から気比宮・鹿島神社・蛭子神社・天照皇太神社・武内社。

左から稲荷神社・高天宮神社・住吉神社。

左から腰掛天神社・勝手神社・小禅師宮。

菅原道真腰掛け石。
以前見たものよりだいぶ座りやすそう。

これが何なのか疑問だったのですが、後から公式ホームページで読んで解決しました。

宝塔礎石

江戸時代の寛永11年(1634年)造替された時、宝塔があった名残りです。16個の礎石が4列に並び、その周囲に緑廊の礎石があります。

左から三社・高良社。

次回に続きます!

〇参考にしたサイトはこちら

離宮八幡宮の公式ホームページ。


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ゆり
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