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滋賀の神社巡り~鞭崎神社と大津絵

6月11日

おっさんに迎えに来てもらい、お昼ご飯はショッピングモールのフードコートで別々のものを食べました。

私のお昼ご飯。

そしてこの日は、滋賀県草津市の鞭崎むちざき神社に来ました。

御祭神は、
應神おうじん天皇
神功皇后
武内宿禰
住吉すみのえの大神
菅原道真公

鞭崎神社は白鳳4年(676年)天武天皇の命令により、おお中臣なかとみの清麿が2月11日に矢橋八幡宮という名称でこの地に創建しました。

鎌倉時代の建久元年(1190年)源頼朝が上洛する際にこの地を通りかかり、馬上からムチ(鞭)の サキ(嵜)を八幡宮に向けて村人に尋ね、下馬し参拝したことから鞭嵜八幡宮と云うようになったそうです。さらに頼朝は建久3年(1192年)に卜部兼藤に、神社の社殿を再興させました。

また明治時代、神仏分離令により鞭嵜八幡宮は鞭崎神社に改名されました。

額は八幡宮のままですね。

また鞭という漢字が神社名に使われた理由については、こういう風にも書かれていました

難除水。

狛犬さん。

表門。元々は膳所城の南大手門であり、明治4年(1871年)の廃藩置県がきっかけで、鞭崎神社に移築。現在は重要文化財に指定されています。

本多家の家紋である立ち葵紋、
左と右とで微妙に差異がありますね。

手水舎。

拝殿。

狛犬さん、
大正13年2月と台座に彫られていました。

狛犬さんを撮影していると、神社の方に声を掛けられ撮影禁止だったか…?と一瞬ヒヤッとしたのですが、

「拝殿に上がって是非天井の大津絵も見ていってください。」

大体こういうような事を言われたので、お言葉に甘えて拝殿に上がらさせてもらいました。

この時たまたま運良くだったのか、それともいつも見られるものなのかは分かりません。

まさかこちらの神社で大津絵にお目にかかれるとは思いませんでした。

氏子の方でとても大津絵を描くのが上手な方がいるそうで、その方が奉納されたものらしいです。

過去、大津絵の道や圓満院にある大津絵美術館に行った記事を書いたのですが詳しい由来を書いていなかったので、大津絵美術館のサイトから引用させてもらいます。

大津絵とは、今からおよそ340年昔(江戸初期)、東海道五十三次の大津の宿場(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりです。 元禄のころ芭蕉の有名な句に、「大津絵の筆のはじめは何仏」とありますが、大津絵師の描き初めは何の仏様であろうかとの意であります。宗門改め厳密に励行された、この時代に、庶民の一種の免罪符のような役割を大津絵の仏画が持っていたともいわれています。 1804- 1829年には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定され、画題は増え続け、幕末には最盛期を迎えましたが、画題の簡略化に伴って減少し、現在では百余種とされています。

大津絵美術館のサイトより

本殿。

江戸時代の天保8年(1837年)賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社の河合神社が、式年造替で社殿を造り替えたときに部材を譲り受けて鞭崎神社本殿として現在に至っています。

鞭展示庫

臼杜うすもり神社

稲荷神社。

歴史遺物保存庫と神馬。

宗源殿

山末神社と杉下神社。

裏参道の方にも行ってみましょう。

比較的新しめの狛犬さん。

次回に続きます。

本記事を書く際に参考にさせていただいた鞭崎神社のホームページはこちらです。


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ゆり
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