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京都の神社巡り~生身天満宮①

9月7日

次、会う時は沢山歩きたい!!!

そう私は言ったのに、当日右足の親指の付け根辺りが痛んで歩く事に支障が出てしまい泣く泣く断念。

恐らく外反母趾かなと思います。靴を変えてから痛む事が無くなったのに…いつか歩いた時に変な歩き方をしたのかも。

お昼ご飯は、久しぶりの天下一品でラーメン

 

なるべく歩かない神社がいいよねと、おっさんと相談して京都府南丹市園部町にある生身 いきみ天満宮に行きました。


由緒

ここ園部は菅原氏代々の知行所であり小麦山に菅原道真公の別荘があったため、道真公は度々ここを訪れ、園部の代官だった武部左衛門治定(武部源蔵)とも交流がありました。

平安時代の延喜元年(901年)に道真公は大宰府に左遷され、八男である慶能 けいのうの世話を源蔵に頼んでいます。

源蔵は菅原道真公の御木像を刻み、生祠 いきほこらを建てて奉斎しました。これが生身天満宮の始まりとされています。

延喜3年(903年)2月25日に菅原道真公が大宰府で亡くなったため、この生祠は霊廟と改められました。

菅原道真公の没後、良くない事が次々と起こり祟りではないかと恐れられ、菅原道真公と関わりのある場所には社を創立して祭祀崇敬すべきとの天皇からの命令が発せられました。そうして、霊廟は神社へとあらためられたのです。

室町時代の長禄年間(1457〜1459年)に足利八代将軍義政の命により、管領である細川武蔵守が本社以下諸末社に至るまでの再建を行い、多くの社領も寄進。

江戸時代の元和5年(1619年)園部藩主の小出家が小麦山に園部城を築城することとなり、承応2年(1653年)、生身天満宮は、現在の天神山に遷座されました。

無料で停められる駐車場に車を停めさせてもらい、道路を渡ります。ちなみに私は1日中、ほぼ踵に体重をかけて親指をなるべく浮かせて歩いていました。

鳥居~絵馬堂

「天」の字がπみたいになっている。

鳥居をくぐり、少し歩きます。

牛さん。

狛犬さん。

 

更に別の吽形の狛犬さん。

別角度から。

   

後ろ姿。

阿形の狛犬さん。

別角度。   

と、狛犬さんの撮影に夢中になっていたら携帯が暑さで熱暴走を起こしたので、ここからはおっさんが撮った写真をお借りしました。

絵馬堂のこれは提灯でしょうか。

 

厳島神社

御祭神は狭依姫命(市杵島姫命)。
神社が創祀されるよりも前から、この土地の地主神として祭祀されてきたそうです。

手水舎

屋根瓦。

これは何かな?

龍の彫刻ですね。

   

稲荷神社と祭具庫

虫除け塗ってくるべきだったかも。

正面に見えるのが稲荷神社で右が祭具庫。

お狐さん。

大丈夫?その位置は辛くないかな?

祭具庫。

ここから、いよいよ本殿に向かうのですが長くなりすぎたので次回に続きます。

○今回の記事で参考にしたサイトはこちら。


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ゆり
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