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「風見鶏」のうんちく

幼い私が神戸で出遭った「風見鶏」

私は昔から風見鶏が好きだ。神戸は大阪から30分で行けて、エキゾチックな街の雰囲気は子供心にも大阪とは異質な世界であることを感じさせた。異人館は、その異質の世界の目印のようなもので、私は中学生の頃からこの街に馴染んでいた。なぜ風見鶏が好きなのかと聞かれても、なかなか答えが見つからないが、子供の頃から好きだったのだから、多分風見鶏の玩具性、風という自然によって動く汎自然性、日本にある異国性といったことが、好きな理由のようにも思える。
最近では神戸の外国人旧居留地の辺りでしか風見鶏にお目にかからないと思うが、それでもどこにも少しは風見鶏が好きな人もいると見えて、たまに普通の街で風見鶏を付けた家を見かけることがある。ただ近頃の新しい住宅の風見鶏などは、アメリカの寂しい漁村などにある武骨でシンプルないわゆる風見鶏ではなく、美しく彩色された現代アート的なものが多い。私は昔風の実用的な風見鶏も、現代風のアートっぽい風見鶏も好きだ。なぜ好きかというと、家屋やその周辺には、普段は洗濯物以外に動いているものはなくて、風見鶏は風の動きに伴って刻一刻と変化して、静かな住宅地の中に唯一動きのあるものとして豊かな生命感を与えているように思うのだ。

「風見鶏」は風向計か魔除けか

ところで、風見鶏はどれほど実用性があるのだろうか。アメリカの漁村にある風見鶏は、船に乗って漁場に向かう人々が、その日の風向きや天候を知るのにかなり役立っていると思う。しかし日本の風見鶏については利用の理由を私はよく知らない。おそらく実用性というよりもファッション性がその理由だと思う。
風見鶏は、漢字では「鶏」の字が使われているので鶏をかたどっているのだと思われるが、モノの本で調べてみると、確かに鶏をかたどった「風向計」であることには間違いないが、風見鶏の出発点であるヨーロッパでは、主として教会堂の屋根の上に取り付けられていて、「風向計」よりも魔除けとして重宝されていたようだ。それが広く住宅の屋根の上にも飾られるようになったと考えられているという。
またキリスト教と鶏の関係でいうと、キリストの弟子であるペテロが、鶏の鳴き声で、三度にわたる自分の過ちの罪の重さに気付かされたということらしい。そこで、罪の重さに気付くことを促す意味で、教会堂や家の尖塔に鶏を飾るようになったというのだ。

「日和見主義」の意味合いは誰のせい

日本語で「風見鶏」という言葉はもともと、風に向かって雄々しく立つというポジティブな意味で使われていたという。しかし、戦後になって日本の政界で首相だった中曽根康弘氏が、世間の風向き次第で態度や意見をコロコロ変えたので、マスコミから❝政界の風見鶏❞と揶揄された。そのことが契機となって「風見鶏」という言葉は、「日和見主義」の意味合いを持つことになったと考えられる。「風見鶏」は日本語だが、これを中国語で書くと「風向標」となる。「風見鶏」は風を見る鶏ということだが、「風向標」は、風の向きを示すといった感じかなと思う。たぶん、「日和見主義」に変質させた犯人は風見鶏の「見」という文字ではないだろうか。「見」は、風見鶏にも日和見主義にも使われているが、よそ見、のぞき見、など「見る」はどうしても周りを窺(うかが)うというイメージにつながるのではないだろうか。




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