なぜ人は争い、殺し合うのか 骨から探る「戦争の起源」


 人はなぜ争い、殺し合うようになったのか。「戦争の起源」を考古学から探ろうと、岡山大、南山大(名古屋市)などの研究者チームが挑んだ。分析に選んだ舞台は弥生時代の北部九州。「漢委奴国王印」の出土でも知られる当時の先進地だ。研究から見えた答えは――。

 狩猟採集から農耕への変化、武器の発達、社会の階層化……。人間が争い、戦争をするようになった原因には様々な仮説があるが、科学的な証拠に基づくものは多くない。

 岡山大文明動態学研究所の松本直子教授らの研究チームは、仮説の一つ「人口増加による資源の奪い合いや人間関係の複雑化などが争いを呼ぶ」に注目。縄文時代から一転、争いが急増したとされる弥生時代の人口密度と「暴力死」の関係を探ることにした。

 分析の対象は、弥生期の遺跡が多数ある福岡県と佐賀県の県境地域。ここは「甕棺(かめかん)」という大型の専用土器に死者を入れ、ふたを粘土で目張りをして葬る風習があった。密閉されていて人骨は良好な状態で残り、甕棺の形や模様、炭素同位体分析などから葬られた時期も正確に突き止められる利点もあった。

 チームは弥生中期の紀元前350年~紀元30年を6期に分け、遺跡分布などから区分けした6エリアごとに調査・検討した。

「武器発達が原因説」については否定的

 まず出土した甕棺の数と区域の面積から、各区域の人口密度を推計。さらにチームメンバーで古人骨を専門にする中川朋美・南山大人類学研究所博士研究員が出土人骨についた傷を詳細に調べ、暴力で死に至ったと見られる人数を算出した。

 その結果、甕棺は計約1万人分確認でき、うち47人の骨に刀傷など外傷の痕跡が残っていた。半数の24件は、頭の骨に穴▽全身に38カ所も傷▽攻撃から身を守ろうとしたと見られる「防御創」が残る――など、死の直前に外部からの激しい打撃を受けたとみられ、時期も場所も集中していたという。研究チームは集団的な抗争が起きたと見ている。

 このような暴力死の頻度と、人口密度の年次推移を統計的に検証すると、人口が増えれば争いも増えるという明らかな相関関係が確認できたという。

 ただ、人口密度が高くても暴力死の頻度が極めて低い地域もあった。松本教授は「奴国の中心など強い王が地域を支配しているエリアでは小競り合いは起きず、その辺縁で争いが多発していた」と見る。

 また、強い王の支配エリアには良質な武器が集積していたにもかかわらず、暴力死は少ないため、これまで有力とされてきた「武器発達が原因説」については否定的であるとした。

 栄養状態が反映する歯の状態も調べたところ、暴力死が多い時期でも集団が飢えに迫られた様子はなく、松本教授によれば、生死がかかった状況に追い込まれた末の暴力というより「将来が不安」「もっと豊かになるため」という理由で争いが起きたのではないかという。

 今回得られた推計値には、腹を刺されるなど骨に傷が残らない暴力死は検証できないなど解釈に限界がある。松本教授は「争いの原因には複雑な要素が絡み合っているだろうが、人口増と争いの関係を数値で示すことができたことは一歩前進だ」と話す。今回の研究成果は米の考古学専門誌に掲載された。(中村通子)

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