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 東京都同情塔 著:九段理江

 シンパシー・タワー・トウキョウをコンペで勝ち取って建築する建築家の牧名沙羅。沙羅がナンパした男、拓人(タクト)。三流外人記者のマックス。この三人の語りだけで良くもまぁここまで書いたなと。生成AIに質問して答えを得る、Twitterやオリンピックとジャニーズ問題など、トピックはとても現代的であるが、言葉についての描写が目立った難解な作品だった。

 拓人が閃いた東京都同情塔と言う言葉が気に入った沙羅だったがザハ・ハディドが建築した国立競技場がある異世界の話だ。それと対になる東京都同情塔を建築したのが沙羅なのだが同情塔とは罪人の収容施設なのだ。マサキ・セトと言う幸福学者が唱えるホモ・ミゼラビリスと言う罪人とは罪人になりたかったわけじゃない。誰しも平等に幸福になる権利があると提唱する幸福学者である。三人の語りではなかった。マサキ・セトの語りも少しある。

 結果から言うと東京都同情塔は完成した。受刑者はセレブのようなタワーマンションに住み屋上階の図書館で快適に過ごす。衣服もユニクロやZARAやH&Mで買って着る事ができる。ただできないのは人と比較をする事。それは不幸の元凶だからだ。拓人はセレクトショップの店員だった。父親の同意が無いと堕胎はできなかった事で生まれた男だ。父親は最低だったと母から聞かされるが木の葉のような人だったのだと興味は無い。同情塔に感銘を受け同情塔で働きながら沙羅の伝記を書きたいと書いては消しを繰り返してる。そして母親もどうやら同情塔に住む事になったようだ。

 しかし、マサキ・セトは殺された。同情塔の完成と共に祝辞を終え帰宅した時に口論になった男性に殺された。沙羅も誹謗中傷の嵐に巻き込まれ事務所も閉鎖し、ホテル暮らしをしている。そこに現れたのが三流記者のマックスだった。インタビューとして同情塔に対する見解を披露してエンディングへと向かう。

 これはあらすじだ。九段理江さんの言葉に執着する言語に対する感覚がずっと物語の根底に著されている。それは意味があるのか無いのかもわからないが純文学らしい作品だなと言う感想だ。特にエンタメ要素として楽しめた箇所はあまり無い。日本人が日本語を忘れたら一体どうなるんだろうとこの日本語と生成AIの拮抗に焦点が当てられた作品だったのかもしれない。

 私の感想としてはそんなに面白くなかった。しかし、面白いか面白く無いかが評価されるのは直木賞であって芥川賞は純文学に贈られる賞だ。きっとこの作品も純文学の礎になる事であろう。一読させて貰えて満足です。

 以上

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jed
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