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極端なことをつづける気力がなくなってきたがアラフィフなんだしまあ当たり前か…

あれは40歳代前半あたりだったか。

数年に一度見舞われていた尿路結石の激痛で、おそらく真っ青で冷や汗をかきながら這うようにして病院へ行った。

医師は涼しい顔をして鎮痛剤を打ち坐薬を処方してくれたが、そのときに「それよりあんた、糖尿出てるから」と告げられて、そちらの説明のほうが長かった。尿路結石の痛みというのはえげつない。医師の説明なんてまったく頭に入ってこなかった。


とうとうきたか


父親が糖尿持ちで、糖尿病というのはある意味〝遺伝病〟だと聞いていたからそれなりに覚悟はしていた。家族でまったく同じものを食べ、家内も娘たちもスイーツ好きだからずっとそれにつき合ってきた。私以外にはそういう症状は現れていない。つまり、それほどひどい不摂生をやってきた覚えがない。

とはいえ当時、体重が現在よりも15 kg ほど重かった。仕事が忙しすぎたりプレッシャーが大きすぎたりなどで、おそらくストレスからおやつをやたら食べていたところはあった(あ、でもこれって不摂生じゃん)。決定的だったのは運動不足。医師から薬はもらったけれど「まず食事の見直し、それから運動!」ってふうに念を押された。

父親がウォーキングで体重を落とすことに成功していた。
だからもし糖尿の宣告が下りたら、歩いて歩いて歩きまくろうという心の準備だけはしていた。歩くことはそれほど苦ではない。むしろ好きなほうだ。

マラソンランナーは一度の競技で42.195 km を走る。42kmが人間わざとして可能なのであれば、歩いてハーフマラソンの20kmぐらいならちょろいものだろう。そんなわけで即座にウォーキングを開始した。

ハードなウォーキングの日々


はじめはシューズが足に合っていなかったらしく、たちまち足の表面に痛みや腫れがあらわれた。クッションがまずいのではないかと考えて、スポーツ用品店で中敷きを買ってみたり試行錯誤をした。さらに、右足だったか左足だったかは忘れてしまったけれど、親指の爪のなかで内出血を起こして爪が真っ黒になった。痛みはほとんどなかったが、爪がはがれるまでそれなりの日数がかかった、そんなふうでも平気で歩いていた。

爪がはがれるなんて書くとおどろおどろしく感じるかもしれませんが、実際には爪の内側から別の爪がちゃんと生えてきて、まるで永久歯が乳歯を追い出すかのようにぽろりと取れてくれます ^^ 。

初期の糖尿病だから何もなくて済んだものの、足の怪我というのは本来最大限の注意を払わなければならない。現在、すでに極端な手足の冷え性に見舞われている。明らかに血行不良だ。いまの私がそういう暴挙をやらかしてしまうと、まさに元近鉄バファローズの佐野慈紀投手がご経験なさっているような重篤な事態(感染症による足指などの壊死)に陥ってしまいかねない。佐野さんご自身も、特に不摂生をしたわけではないということを語られている。糖尿は怖い。佐野さん、お大事になさってください。


ひたすら歩いた。パソコンにデータを取り込めるタイプの万歩計を買って、ひたすら歩いて歩いて歩きまくってはデーターのマニアと化した。自宅から都心まで15kmぐらいあるのだけど、朝7時に家を出て通勤電車に乗らずにウォーキングで出勤する…みたいなことを続けていた。当時の私は時速6キロぐらいで歩けた。

歩数にして1日40000歩はざら。とはいえ佐野さんはアスリートだから、もっと負荷かけてたんだろうな。私はアスリートでもなんでもない素人だから、それでも無事で済んだだけなのかもしれない。

成果自体は出た


結局、体重のほうはMAXで20kg落とせた(現在はそこから5kgほどリバウンド — だけど15年前と比べてだから、我ながらよく体重をキープできている)。当時は服を脱ぐと、痩せて余ったお尻の皮がべろーんとたるんでいて家内から笑われた。

血糖の数値も劇的に改善したが、やはり元気がでない状態には陥った。食事のほうも糖質をかなり減らしていた。それでも普通に仕事をこなしていた…当時はまだ体力があったんだなあ。
現在の私は朝起きた時点ですでに体がだるい。靴下を履くのもしんどい。経済的な理由から昼食抜きで過ごす日が多いけれど…まさか栄養失調ではないだろうな。

もし現在の私に当時の歩きがこなせるのなら、値上げした電車運賃も節約できるわけでいいことづくめのはずなんだけど…足の怪我が怖い。もうストイックなウォーキングはできなくなった。卒業だ。すごく残念ではあるのだけど。

極端なことをやれば上達すると思った


大人になってからの勉強のほうも、その方法は似たり寄ったり。
いくつか資格をとったときも、2〜3ヶ月ぐらいの短期間の集中的な勉強で試験に臨んだ。極端なことをあえて続けてスキルを得るというのがおきまりの方法。

むかしはそれなりに貯金も順調にたまっていて、ブームになった時期(ライブドア騒動の前あたり)に株をやってみたくなった。右も左もわからないものをそのままやってもただのギャンブルになってしまうので、証券外務員資格の勉強を集中的にやって合格した。

まったく知識のないところから簿記の勉強を始めて、3級は難なく受かった。
ただ、さすがに工業簿記が入ってくると(というか私の場合は工業簿記よりむしろ、難度のあがった商業簿記のほうで苦しんだかも)2級の壁はなかなか厚く、2度目の試験で3点差で落ちたところで諦めた。

しばらく遠ざかって、もったいないから2級の勉強を再開したけどダメだった。
一気呵成にってのでしか攻略できないのはいまにはじまったことではない。

極端な頑張りこそ得意な戦略だったのになあ…


本業のスキルも似たような感じで底上げしてきた。

そろそろ気力のほうが著しく低下してきた。加齢ゆえであることには違いないのだが、「気力の低下」というよりは「活躍できる機会の減少」がいちばん身にこたえている。求人のほうは元気で単価が安くてすむ若い人のほうへシフトしつつあり、50歳をすぎた途端に履歴書を送っても相手にされなくなった。

加齢による気力の低下と、50歳を超えての兼業先探し。
いずれもが鬼門中の鬼門ってふうになるから、若いひとは若いうちに頑張っとけと言いたい。とはいえ、求人も雇用者の倫理的なこともいろいろ難しいことだらけで、若い方もさぞかしおつらいだろうなとお察しする。

最初からハラスメントを働くことがわかっている会社では仕事をしたくないので、本業がらみでは半年以上平気で音沙汰がなかったり案件を破談にばかりしつづける会社は断っている。もう何社断っただろうか。人集めばかりに躍起になって、肝心の案件を回してくれない会社ばっかり(そのくせ私が「使える」とわかったら鬼のように仕事に忙殺されるのだ)。

とはいえ自力で仕事を探すことも難しい。ちょうど1年前にTwitter(現X)を相当頑張ったけれど、結局はメンタルのほうに限界がきてしまって撤退している。

クラウド系にしても初心者という立場での応募は敬遠されがちだし、勝手にいろいろ書くことは好きなんだけどWEBライティングを本格的に勉強するってのも…どこか趣味のチャンネルを潰してしまいそうで気が進まない。

なーんてグダグダ言い続けてるからダメなんだ、おまえは。
ちょっとくすぶり燃え続けてる時間が長すぎやしないか?

〝燃え尽き症候群〟のところへ、いつも自分にそう言ってしまっている。

まあ…スキルは若いうちに形にしておくにこしたことはない。
ただ世の中の人材需要も、まさに諸業無常とでもいうほどに変化していく。
おそらく一番大事なものは、変わっていくニーズに柔軟に対応できる〝勉強力〟なんだろうな。なんで生活することがこれほど難しくなってしまったのだろう?

この歳になったら本当は、もう極端を避けて中道でいきたいんだ。
でも社会は、寿命が伸びたんだから70歳まで働けなどとたわけたことを言う。
こまったものだよ。

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