万葉秀歌(斎藤茂吉著)をよむ
こんにちは。あたらしいこころみとしてはじめた、歌集の感想第二弾を書こうと思います。今日は、うたづくり折々に繰り返し読んでいて、ずっと触れてみたかった万葉秀歌について書きたいと思います。
万葉秀歌の編者、著者は斎藤茂吉さんですが、まず序文がとても面白いのです。
「これは国民全般が万葉集の短歌として是非知って居らねばならぬものをできるだけ選んだためであって、(略)読者諸君は本書を初から順序立てて読まれても好し、忙しい諸君は労働のあいま田畔汽車中電車中食後散策後架上就眠前等々に於て、一二首或は二、三首乃至十首ぐらいずつ読まれることもまた可能である」
この序文、短歌をこれからはじめる人に対して諸手を挙げて歓迎してくれていて、さらに「自分と同じ熱量でやれ。やるべし」と当然のように推奨されているところに当時右も左もわからなかった自分は、短歌びとというものに親しみを感じていました。
万葉秀歌は上、下巻あるのですが今回は上巻のみふれていこうと思います。
※注釈…わたしは先生と議論しながら学んだわけではなく、万葉秀歌から興味を持って百人一首の本を何冊か読んで自分なりにふかめていった…という読み方なのでひとりでやってる初心者の感想という体であることをご了承ください。「あーこんなふうに感じるんだ。へー、おもしろそう」くらいで読んでいただければ。
まず、上巻一首目は
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
この一首で始まります。
まずはじめに、万葉集の歌を読み始めたときにわたしは古文というものの文化、文法になかなかなじみがないままで読み始めました。歌に共通しているこころ、常識、好んで読まれるもの、言葉に対する知識もほぼ、ゼロ…というか、学生のころどまり。そんななかでも万葉秀歌からは不思議とこの文語のうつくしさと、言葉選びの巧みさがきわだって見えていました。
この一首めで注目したのはまず最後の音が「くさふかぬ」で終わるところ。それから、ぱっと見たときのことばの配列に対して。これは原文だと全てが漢字で表記されているようです。私たちが触れるのは訳者がひらがなを推量して当てはめているもののようなのですが、その配分や解釈も巧みだと思いました。
勝手な解釈ですが「宇智」などは「宇宙」にも見えますね。「たまきはる」というのは枕ことばなのですがこういう意味が明瞭でない言葉を置くことで情景がふくらみを持ちます。ことばのひびき、というのは耳に入り、感覚に投げかけてきます。いろんな響きを思い起こさせるのは、詠み人が余計な自意識、自我を入れ込まなかった努力によるものなのだと感じます。わたしの場合そういうことに気づき始めたあたりくらいから「枕ことば」の役割が腑に落ちたかんじがしました。学校の先生は「それは不要な言葉です」と言い切ってた記憶があったりもしますが。笑
それから、ことばのなめらかさ。文語のうつくしさ、それは日本人のこころと繋がってるんだなあ…というのが、この一首から感じられると思います。
現代にいる自分が短歌を作っているとつい五七五七七にいろいろと詰め込みたくなってしまうものだけど、この歌には流れ、口の動きとともにあることばのひびきのうつくしさがあります。
香具山と耳梨山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原
この「会ひし」というのは「相戦った」という意味だそうで、ほかの本では「戦ひし時」となっているものも。
昔から言い伝えられていたという物語も背景にあるのですが、目に入ってくる字体もなんとなくキャラが立っているようでかわいらしい…とわたしは感じていました。地名に込められた人々の情感が感じられる歌。
◯こういう文化を受けてつくったわたしの短歌→
遠く遠く公園島への航路みたくあかねさす午後を知らなかったな
まあ、どうなんだって感じですがとにかく真似をしてみたい初心者なのである。わたしの祈りは「公園島」へと込められている。
天かかる大地の中州 草だって状態異常を夜と知ってる
これは「あまざかる」という枕詞をを取り間違えて作ったはづかしい歌。「草」という題詠みでわたしは作った。
話は戻って、
三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや
ことばの流れがきれいです。止まる、流れる、五七五七七に対するちゃんとしたけじめがある。はじめ自分はこの「音止め」それから「音ながれ」、あとは視点を当てるところ、遠ざかるところ…みたいな感覚が万葉集にはあるんだなあってのを感じていたと思います。
たとえば、
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
これも、ことばの流れが良く歌に強弱が感じられます。初句はすべりだし、中盤とどこおりなく流れて、最後に止まる。これと比べると最初の「草深野(くさふかぬ)」などは思いっきり止まった感があります。ぬっ!みたいな。
情景描写に対する人の書き方の割合を見ると、むかしは景色に人が埋もれるような感覚で存在していたのかもしれません。
うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻苅り食す
これは麻続王という人が伊良虞に流された時に「うちそを麻続の王海人なれや伊良虞が島の玉藻刈ります」と人が詠んだものに応えた歌だそうです。感傷を深く詠んでいます。文化などの背景がいまとは違うので今の感覚で感想を述べるのもおかしいかもしれませんが自分達から見るとやや大げさではないか?というほどの表現。けれどそれにより悲しみ、いじらしさがきわだって見え、不思議と人に対する慈しみの情がわき出て来る。人と人のつながりが深かった昔においては、このような別れに対して込める情感も深かったのかもしれません。
泣き女的な…
春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香具山
「春過ぎて夏来るらし」という部分は生活に対して季節の推移のあっという間な感じをそれほど過剰ではない感覚で歌っていて、それが「春夏」「白妙」の清潔な感じと合っていると思います。おしゃれ。
ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
流れがよいのと、「かへり見する」主体のただ一つの動きに、さまざまな思いをわたしたちが当てはめて詠むことが出来ます。ひらがなにするとやさしげに見えてよいと思います。「立つ見えて」なんて言いまわしは現代からなかなか出てこない感覚ですが「立つ」「見えて」「かえりみする」「かたぶきぬ」動詞が連続する割にはシンプルに歌われてるように見える歌。一つのことを詠みこむという歌の基本がここにあるように思います。
※ちなみにこの基本はわたしが勝手に考えていることである。たしか岡井隆さんの著書でもそう書いてあった。
ところで「たとえばこの一首が絵、だったとしたら?」というようなことを万葉集の歌は思い起こさせることが多くて、それは人の思いよりもまず自然が先立ち、その描写がきれいだからというのがあります。擬人化というのでもないですが、短歌を詠み、読むのをたのしんでいると自然と「字」というものが絵、もしくは何かの情景に見えて来ることがあります。自分の場合はああ、こころを落ち着かせて詠むのね。ということをまず学んだように思います。おそらく自然に対しても尊敬の情があったのでしょう。
秋の田の穂のへに霧らふ朝霞いづへの方に我が恋やまむ
妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを
正直にいってしまえば「うたのこころ」というものがまだ、分からないまま読んでいた自分がいた…。秀歌といわれても何がどうちがうのかもさっぱりわからない。そうなると、自分の基本的な感覚で把握しようとして見ているとこれを絵というかたち、またはことばの音、流れで詠んでいたんだなあと今になって考えてたりします。
そんなふうな詠みをすると上の歌は自然の語句が多くて、「恋」という語句が唐突にそこに穿たれた感じに見えます。恋とかなんだとかいうピンク色は濃いので、これは気をつけないと歌が破綻してしまいます。この歌では、恋が主役ワードなのでしょう。けれどもあくまでお互いが反発し合わないように、静かな感じになっています。「推敲もきちんとされているんだなあ」というのが分かります。ああ好き、好き、毎日会いたい、嗚呼嗚呼みたいな、もしもそんな歌があったとして、それを読んでたら疲れてしまいませんか?実際そういうものもありますが、そういうものをわたし達はフィクションといういちまいのフィルターを通して見ていて、作る側もそういうフィルターをかけてくれているようにわたしは思っています。
下はいろんな語句が入り込んでいて、自分のなかでは最初印象に残りにくかった歌。ですがこれも情感を抑えて繰り返すことにより言いたいことを述べているようです。しかしわたしは妹が入っている歌があまり好きではない…「つま」なら良いんだけど…何かちょっと現代の「妹」に対する想いの方が強すぎて、ベタベタしすぎな感じをうけてしまうのである。濃い感じがしてしまうのかもしれない。
あとやはり自然の情景のきれいさというものの方が強くこころに訴えかけてくる感じがしてします。
でも、これは現時点での読みなので、変わるかもしれない。
秋山の樹の下がくり逝く水の吾こそ益さめ御思よりは
たぶんこれは分かりやすく、現代でも同じように読めそうな歌かもしれない。自然を織り込み、そこに感情を籠らせる。投影する。言葉の中に本意を隠す。他人の感情が伝わってくるとき、それくらいがちょうどいいのかもしれません。
でも、これもまた個性ですね。その個性というのが短歌の面白いところだと思います。
書いてて思いましたが、全く終わらない感じがしたので何編かに分けることにしました。
今はあみもの短歌の評を書きたくてうずうずしている自分がいます。おもしろいです。短歌は。(そして本当は時間が全くなく、潰してこれを書いている…)
というわけで、つづく。