(短歌)ねむらない樹vol.1読みました
ねむらない樹、口語短歌、現代短歌に興味があるものとしてとてもおもしろかったため、感想を書きたいと思います。
まず、巻頭の現代短歌100という特集より。伊舎堂仁さん、大森静佳さん、小島なおさん、寺井龍哉さんが引いた現代短歌100首。そこで気になったのを取り出してみます。
感想も書かせていただきました。
あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の(千草創一)
書いてあるのは海の動画を見つけたことだけ。けどそれだけにしたことで浮き立ってくる、人に対するひとときの思い、海の清涼さ、あ、しかも声だけだったんだ…「詩」って不思議で、だからなかなかひとことでは分類できなかったりするなあと思う。
缶コーヒー買って飲むってことだってひとがするのを見て覚えたの(山階基)
なんてことない気付き。けど、それを話し言葉で、さらりとしたたたずまいで詠まれることで、読む側は立ち止まってしまうことになる。
キミの血を見たことがあり似たようなもののひとつとして異国の酢(吉田竜宇)
「異国の酢」のようにこんなふうに、匂い立つような、それから人くささ、肉体感を感じるようなことばが好きです。たとえば、居る部屋が片付いてて四方が白い壁だったら不安になるように、そうだわたしはもっと、香水や化粧品でなく汗とか体臭みたいな臭い匂いが嗅ぎたいのかもしれなかった。
とても私。きましたここへ。白い帽子を胸にふせ立つ(雪舟えま)
白い帽子を胸にふせ立つ、少し誇らしいような何かに対する入り口の気配。「とても私」「きましたここへ」やや倒置法てきであやふやともいえる口語で表されているのに、読む側からもしっかり、そのイメージを知覚できる不思議な短歌。
きみとの恋終わりプールに泳ぎおり十メートル地点で悲しみがくる(小島なお)
これは恋の歌ですが、恋愛に対する感覚は人それぞれですが、まず落ち着いて自分の情緒を読むというのはとても難しいなあと感じます。「十メートル地点で悲しみがくる」というところは「そうなのかな?」と自分にはない感覚として読みました。
遠い、他人という人の感覚をこんなに近くで知れたことのよろこびが短歌にはあります。
それから次に井上さん、それから石井さんの連作をあげさせてもらいます。
ひまわりとおねむり
井上法子
ぼくらのついた嘘という嘘、春の水。ほんとうなんて比喩でしかない
良いなと思った部分を抜粋させていただきました。
この連作は、目を閉じたまま、こころで感じた風景をゆたかに詠まれてると思いました。あたたかさ、とまどい、そういうこころの触れ合い。何か、絵を鑑賞しているような佇まいで。
感情の紆余曲折がこころにしたがって素直に書かれていて、名詞ときちんと結びついています。
海と靴
石井遼一
天井になった友だちこんにちは ぼくは変わらず床をやってる
最初の一首が良く、それが現代短歌というものを表しているような感じでした。海と靴…寺山修司の世界観にそんなのがありそうな。
全体的にユーモアと優しさが現れている。家を使ったところが石井さんという人の感性なんだろうなと感じました。
※4/27、引用部分が多過ぎたため一首にしました。
◯以下、勝手な独白
これまで読むだけ、一人で納得してるだけだったので、こうやって記事として書くというのを、おそるおそるではありますが最近のこころみとしてやらせてもらっています。
「詩」を人それぞれが特別な気持ちで詠んでるものだと思うので、それに付け加えるとはなんぞや…?という葛藤が少なからずあります。
なかなかこうやって感想とともに記事として書くっていうのはただただ勇気がいることなんなあと感じたりしました。
ニューウェーブ30年の記事も読み、穂村さんが焦ってる感じが伝わってきてやっとあの動きが全体像で分かったような気がしました。
主観あふれる感想でしたが、以上です。
読んでいたたきありがとうございます。