トップダウンvsボトムアップ
二種類の攻め方
最近、「トップダウン」と「ボトムアップ」という言葉を憶えた。この区別は生き方や物事の進め方にも適用できるし、自分がどちらに適性があるのか把握しておくことは重要だと思う。なぜならば、私自身はものの本を読んで「トップダウンでやることが大事だ!」と書いてあるからその通りにやろうとしたが、実際にはボトムアップでやった方が結果的にうまくいったからである。
もし「トップダウン」でやれる適性があったり、トップダウン的な得意技があったり、トップダウンでやれる条件が整ってチャンスが来たら、そちらを優先するのがよいと思う。なぜならば、トップダウンの方が計画的・明示的・効率的で評価もしやすいからである。しかし、ボトムアップの道も一応あることは認識しておいた方がよいだろう。
トップダウン
トップダウンの生き方の特徴を説明すると、その「トップ」とは目標 Goal or Purpose or Targetだということになる。目標は「やりたいこと」とか「夢」と呼ばれることもある。
そして、目標を達成するためにはどんな条件やアイテム、リソースを揃えればいいかについて分析(=「ダウン」の部分、work-breakdown)がおこなわれる。例えば、一定の売上を上げることが目標なら売上は平均顧客単価と来客数という要素に分解される(なぜならば売上=客単価×来客数だから)。あるいは何か製品を組み立てるということであればその部品をリストアップして買い揃えなければならない。時間的な分析もある。それは「逆算」と呼ばれることもある。カレンダをみて、ここからここまでは環境整備、ここからここまでは資材調達、ここからここまでは組立、ここで耐久性試験……などと区切って、今日は何をしなければならないかを定める。
学校でも職場でも家事でも、こうしたトップダウンの作業は小規模で多数発生する。役所の書類手続きをするだけでも細かなトップダウン構造が多数必要である。とはいえ、ほとんどは自覚的に考えずに、まるで歩行のように習慣的にできているので気苦労を負うことは少ないかもしれない。
ただ、話が大きくなったり、「人生でやりたいことは何? 達成したいことや目指していることは?」と長期的な計画をたずねられたりすると、困惑する人も多いだろう。長期的な努力の末に偉大な成果を達成した人にみんな憧れるが、自分自身はそもそも何を目指していいのか、どちらを向いていったらいいのかわからないという人がきっと多いだろう。
ボトムアップ
一方、「ボトムアップ」の生き方はどうだろうか。これはシンプルに「トップダウン」の正反対である。ここで、その効用、利き目について強調しておくことには意義がある。なぜならば、単なる正反対なのにその成果が自覚されにくいという特徴があるからである。
ボトムアップの成果はトップダウンのように最初から想定されるものではなく、後から自分自身が他人に対して底上げ bottom-up されているのを感じるといったかたちで現れる。人によってはこれを「コネクティングザドッツ(点と点をつなげる)」という言い方をすることもある。意図的ではないが、既に過去積み重ねてきた蓄積 dots を後から接続する connecting ことで一つの成果物や能力につなげようとする営みである。
ボトムアップの「ボトム」とは何だろうか? いろいろな「ボトム」がある。別々の機会に身に着けた一見関係なさそうな複数の技能のこともあるし、例えば毎日の小さな行動 daily rituals のことである。それは毎日の小さな習慣(例えば歯磨きや運動、語学の練習など)である。日々の会話やちょっとした行き違いに対するケアやフォローもボトムだとみなせる。それらの成果として健康や長寿、外国人とのコミュニ―ション機会などが手に入る。下記の記事では、「日頃の行い」というボトムで手に入る成果(アップ)は何か失敗したときのマイナス評価に対して保険をかけられるということを書いた。あるいは自分の周囲の人たちに対して自分への信用を高めておけるということでもある。
別の言い方をすると、「ボトム」は手元にあるリソース一般のことを指すとみることも言える。手元にあるもので何が作れるだろうか? この倉庫にある在庫、冷蔵庫に残っている食品で何が作れるだろうか?と考えるとき、我々はボトムアップで考えている。手元にあるお金や時間でできることはなんだろうか?と想像の翼を広げるとき、我々はボトムアップで考えている。「やりたいこと」を考えるより、それはずっと現実的だし、必死になってやりたいことが無い人(すべての人に「やりたいこと」がある!なんて本当なのだろうか??)であっても「できること」を考えていくうちに「ちょっと背を伸ばせば、つま先立ちすれば届きそうだ」と思えるような目標を思いつくかもしれない。
比較とスイッチング
もしやりたいことがあって、そこへの手続きが一直線に定められるなら、最短距離を攻めるのが一番いい!に決まっている。ところが、実際にはなかなかそうはいかない。最短距離を行こうとしても左右からいろんな制約条件に引っ張られるのだ。ヒト・モノ・カネが無いとか、たとえあっても必要な時に必要な場所に調達できないとか妨害や身内のトラブル、災害・事故が起こる可能性があるからだ。だから、個人ができるトップダウン式の目標追求は非常に小規模もしくは短期的なものに限定されることが多い。例えば料理の調理やオフ会の開催程度である。大規模で長期的なものになればなるほど、リソース的な制約や横槍・摩擦は大きくなり達成し維持するのは困難になる。
だから、成功者がトップダウンのやり方を具体的に説いていたとしても、その陰に恵まれた条件があると捉えた方がいい。一言で言えば「彼が成功したのは、彼の努力も必要ではあったが、結局は〝運〟がよかったからだ」ということになる。
成功した人や勝利した人が最初から唯一の目標に向かってすべてを計画的に準備できたのかというとそうではないはずで、その目標とは関係ない作業も大量にやっているはずである。我々も日々大量に何らかの作業をやっていたりやっていなかったりする。
それらの仕方なくやっている作業が或る閾値(しきいち) threshold に到達したときに従来できなかったことができるようになる。そしてその一つができるようになったことでスロットが揃って何がしかの〝トップ〟頂上がみえるようになる。そこで「みえた」ら、それまで意欲が無かった人でも目指したくなるものなのだ。手が届かないものが届くようになるまでには長い時間がかかる。どうやったら届くようになるかもわからない。それでは憧れはしても望みようもない。だが、或る日、思わぬ方向にトップが現れる。それが見えたら──全力で走れ。
(2,797字、2023.09.21)