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エッセイ|島根から愛媛へ、松山で暮らして4年が経った。
わたしが愛媛県にしよう、と決めたのは18歳のときだった。
大学進学をきっかけに島根県から引っ越して愛媛県に住み始め、はや4年が経つ。
色んなことがあったなぁと思いつつ、まだまだ愛媛の色んなことを知りたいし行ったことないスポットに行きたいなと思っている。
むしろ、時間が経つほど、つまり、卒業に近づくほど「まだ愛媛で暮らしていたい。」と思う気持ちが最近は強くなってきて、寂しさを感じ始めている。
言葉の街、松山
松山に住み始めて特に感じたのは、「ことばについて考える文化」が根付いているということだった。
正岡子規や司馬遼太郎の「坂の上の雲」、「坊っちゃん」で有名な夏目漱石など、文学に関する著名人の名前を町のあちらこちらで目にする。
はじめて松山に来たときも、道の途中に俳句の看板が立っていたり、石に記されていたときはびっくりした。「俳句ポスト」なるものもあり、気軽に書いてその場で投稿できるという存在も初めて出会った。
生活の中に俳句があり、言葉について考えを巡らせる時間があるんだな、と思うと、私はそれをすごく素敵な文化だと感じた。
というのも、私は昔から気づいたら「言葉」に対して考えたり、気を使ったりすることが多くなっていた。中学校のころ、弁論大会に出場して以来、文章を書いたり、話すことに魅了されていった。
弁論大会で出会った他校の生徒が使う言葉に圧倒されたり、伝える意志を持った人から出る話の熱量に当時の私は憑りつかれていたんだと思う。
高校に上がると、私は先輩に憧れて放送部に入り、アナウンサーを担当した。限られた原稿の字数の中で「誰に」「何を」「どのように」伝えるか考え、言葉を取捨選択し、マイクに声をのせ伝える。
アナウンスの大会ではたった1分半弱という持ち時間だったが、その凝縮された時間が何よりも濃ゆいと感じた。
そんな私は松山に来てから、こんなにもこの街が言葉の文化のある場所だと知った。それはとても嬉しくて、何だか自分は親しみを感じた。
瀬戸内海を渡るとき
私は地元が島根県なので、帰省する際は必ず瀬戸内海を渡る。
初めてしまなみを通ったとき、海のきれいさや島の多さに感動した。「日本海と全然違う景色!」とテンションがあがり、ワクワクする気持ちが止まらなかった。
今でも四国と本州を行き来するたびに、窓から見える瀬戸大橋の景色が好きになる。
思えば、愛媛に来てから瀬戸内海の景色が私は好きになっていた。見慣れていた日本海の景色は、どちらかと言えば「ザッパーン」という感じで波がたっていたが、瀬戸内海は静かな”凪”のイメージである。
穏やかに、でも雄大で多くの島々を取り囲む青さと緑色のコントラストが美しい。夕日が美しく映え、夕方に海沿いに見える夕焼けは本当に綺麗だし、展望台から見える景色もずっと見ていられる。
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海が近いこともあり、展望台などの高い所に昇ると、山のすぐ反対は海や街、なんて景色が広がっている。(そして、なぜか松山は市内を見渡せる展望台も多い気がする。)
観光客の方は松山城や道後温泉といった有名な観光地を訪れることが多いが、私のおすすめとしては夕方の自然の景色や少し郊外に行った松山の景色も勧めたい。
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道後の湯はつきず
私の好きな俳句の一節に、このようなものがある。
いろいろの歴史道後の湯はつきず
それこそ俳句の道に立っていた石碑で見つけたものだけれど、なぜか印象に残っていた。
突然だが、私は原田マハさんの作品である「たゆたえども沈まず」が大好きだ。その小説の中に、次のような文がある。
ヨーロッパの、世界の経済と文化の中心地として、絢爛と輝く宝石のごとき都、パリは、しかしながら、いまなお洪水の危険と隣り合わせである。
セーヌが流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできないのだ。
それでも、人々はパリを愛した。愛し続けた。
(中略)
――たゆたえども沈まず。
パリは、いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるで、セーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。
道後の俳句を読んだときに、ふと「パリはたゆたえども沈まず」というセリフを思い出した。
沢山の長い歴史の中で色んな事があるけれど、何度もたゆたいながらそれでも沈まなかったパリという場所。水害などのリスクが近くにあるが、人々の生活が途切れることなく、絶え間なく続いてきた姿は、長い歴史の中で絶えずこんこんと湧き続ける道後温泉の湯を想起させた。
道後温泉のような観光地が市内にあると、疲れているときに気軽に温泉に入ることができる。
観光客の方に交じりながら、近所に住んでいるおばあちゃんたちなんかも多く入っているのを目にする。
「こんばんは。」
「元気だった?」
「おやすみなさい。」
脱衣所で準備をしていると、そんな会話がご近所さん同士で繰り広げられていて、なんだか可愛いなと感じる。
先日、温泉に浸かって出てから、冷たい風にあたりながら夜の道後を散歩していた。季節はめぐり、すっかり秋になりもうすぐ冬が来る。
私が「この街が好きだ」と思いはじめた頃に、大学の卒業という時間がすぐそこまで迫ってきている。
焦りたくない、でも確実に焦燥感に駆られている正直な気持ちも、もっと友人たちと思い出を作りたいという気持も、すべてがごちゃごちゃに混ざっている。
限られた時間の中で、精一杯今いる場所を楽しもう。
そしてまた来年以降、愛媛に来て、たくさんの思い出と共にこの街を歩きたい。
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