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生贄探し

おはようございます 渡辺です。3連休が続くと心なしか気持ちが楽ですね。
さて、今週はOさんが年末年始に読んだ「生贄探し」- 中野信子/ヤマザキマリ を紹介します。

この本の大半は、お二人の対談で占められているのですが、Oさんが評した通り、正に「頭が良い人のガールズトーク」という感じで、歴史から心理学、脳科学といった奥行きのある会話を垣間見るような内容になっています。そんな中から、いくつか興味深い内容をピックアップしてご紹介します。


多様性

先ず、1日目は「多様性」というところに触れていきます。DE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)の重要性が語られるようになって暫く経ちますが、頭のダイバーシティが多様性ですね。

そこでなぜ、多様性が重要視されるのか?というところに立ち戻ると、ヒトは放っておくと、集団からはみ出したものを排除しようとしてしまう生き物ということです。

この本の「はじめに」で中野さんは、ヒトの集団を、あたかもひとつの巨大な生物のようなものだと書かれています。この巨大な生物は唯一の脳を持っているわけではなく、多くの脳が生み出す意思により、ひとつの社会的合意となり、全体を動かすということです。

個体ひとりひとりの考え方を聞けば、さほど良識がないとも思えないのに、集団になるとそれだけで狂暴になる。

P4

この例として、本編で「魔女狩り」を例に挙げられていますが、古今東西、ホラー映画やミステリ映画のネタとして、暴徒化した人間というのは、モンスターだったりウイルス以上に怖い存在として描かれています。

例えば、ゾンビのオリジナル映画とも云える「Dawn of the Dead」では、大量発生したゾンビが居る世界で無法者と化した暴走族集団が登場したりします。

だからこそ、知性でそれを押しとどめる必要があるのだということを。

P7

それでは、今週もよろしくお願いいたします!

脳は、誰かと比べないと幸せを感じられない

おはようございます 渡辺です。福岡はとても暖かいですと思って、調べたら田町はもっと暖かかったです。

さて、「生贄探し」2日目は、「脳は、誰かと比べないと幸せを感じられない」ということに触れていきます。

以前、プロスペクト理論の際に「参照点依存性」という言葉がありましたが、価値を「絶対的ではなく、相対的」に判断する心理作用のことです。そこで、「他人と比較せず、過去の自分と比べよう」というのは、よく言われる言葉ですし、僕も何度か書いたような気もしているのですが、人間の記憶力というのは、そんなによくありません。

確かに、先週の月曜日の夜何食べったっけ?でさえ怪しいところです。その為、自分自身の基準を持てないため、分かりやすく他者との比較を優先してしまいがちということです。

本の中で事例として挙げられていたのが、コロナ禍でのGoToトラベルやGoToイートです。コロナ禍で打撃を受けた事業者救済の施策ではありましたが、恩恵を受けるのが飲食店や旅行業者と限定されていることで、恩恵を受けられない人からの反発が一定量あったようです。

「誰かが10万円もらえた」だけであり、「自分が10万円失った」訳ではないのに、なんか「自分が10万円損した」気分になってしまい、得をしている人や、得をさせている人を責めたくなってしまうとのことです。

このような、自分より優れている人をを対象に比較することを「上方比較」、自分より劣っている人と比較することを「下方比較」と呼んだりするのですが、アメリカで学生を対象に行われた実験によりば、他者との比較による幸福よりも、他人の幸せを願うことが、幸福度を高める傾向があることが示されているそうです。

脳の特性上、難しいことではありますが、比較するのは、あまり幸せになれないということになりますね。それでは、本日もよろしくお願いいたします!

協調性という蟻地獄


おはようございます 渡辺です。昨日は最終セッションが2100過ぎに終了しへとへとでした、今日も頑張ります。さて、「生贄探し」3日目は、「協調性という蟻地獄」ということに触れていきます。

日本人は、どちらかというと、どちらも得をするという「win-win」の考え方よりも、「俺も損したから、お前も損をするべき」的な「lose-lose」的な考えが強いということです。それゆえに、「空気を読め」「出る杭は打たれる」「お前だけを特別扱いするわけにいかない」という言葉に代表されるような、協調性バイアスが蔓延っています。

というのも、日本人は、親切だとか、礼儀正しいとか、協調性があるとか言われます。電車にきちんと並んで乗る姿は、海外では殆ど見られないなどと言われますね。その背景として、親切で礼儀正しいのは、無礼に振舞ったことが広まり、村八分にならないための自衛行為であるとも書かれています。その裏の面として、日本人は他国よりも「スパイト行動」をしてしまうという結果があるそうです。あまり聞きなれない言葉ですが、スパイト行動とは、相手の得を許さない振舞いのことで、

自分が損してでも、他人をおとしめたいといういやがらせ行動

P40

とのことです。

「和をもって尊しとなす」日本的なスタンスで良い言葉だと思います。ダークサイドに落ちずに、いい方向に行けたらよいですね。

最後には、聖徳太子の十七条の憲法の現代訳を引用して、おしまいにしたいと思います。

和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。
人にはそれぞれつきあいというものがあるが、
この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。
それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、
身近の人々と仲たがいを起こしたりする。
しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、
おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。

和楽web

想像してみてほしい

おはようございます 渡辺です。昨日のCさんの業務終了連絡をきっかけの餃子ムーブメントが起きる感じが良いですね。僕も一口餃子食べました。

さて、「生贄探し」最終日は、第5章「想像してみてほしい」ということでヤマザキマリさんのパートになります。

ここまでで触れてきた通り、ヒトというのは、時に残酷な生き物だったりします。それらを踏まえつつ、この章では、想像力の欠如がヒトを危険生物化するということについて書かれています。

人間は、群れをなす社会的な生き物であるうえに、なにかしらの信念によって集団が形成されていきます。それゆえ、自らの信念を否定されることは、自らを否定される気持ちになってしまう。まさに、ヤマアラシのジレンマ的な、互いに仲良くなろうと心の距離を近づけるほど、互いに傷付けあって一定距離以上は近付けない状態に陥りつつあります。それゆえ、自分とは意見の分かち合えない人や自分が正しいと信じていることの逆を行こうとする人がいたとしても、真っ向からそれを否定するのではなく、「そういう人もいるよね」と受け入れる必要があるということです。そういう想像力の欠如が争いに発展する第一歩になってしまうということです。

想像力を働かすという面で行くと、例えば、虹の色というと、日本では赤橙黄緑青藍紫の7色が基本ですが、インディアンのズニ族にとっては、3色。ザンビアに暮らすショナ人は3色と解釈しているそうです。世界には5色や3色に見える人たちもいるんだな。そこには、どんな文化的背景があるんだろう?その場合どんな5色、3色にみえているんだろう?と興味深い事実として受け入れることが出来ればよいだろうということです。

もう一つは、狭い集団で捉えずに、地球という大きな住処に住む1生物だと考えるということです。そういった大きな感覚をもつことで、身の回りの些末なもめごとに大騒ぎするほどではないと、感じることができるようになるでしょう。

というわけで、「生贄探し」についてお送りしてきました。なんとなくいい話でまとめてしまいましたが、この本の面白さは初日にもお伝えした真ん中の部分の対談部にありますので、ぜひ、そちらを読んでみてください!
それでは、今週もあと1日。本日もよろしくお願いします!僕も今日の夕方には東京に戻ります。
(2024.02.19-02.22)

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