道草の家のWSマガジン - 2023年8月号
「藤橋」覚え書き - スズキヒロミ
昔々、あるところに、一本の橋がありました。その橋は藤の蔓を編んだ吊り橋で、村人から「藤橋」と呼ばれていました。
藤橋は、その村と向こうの村の境にあった沼を渡り、そしてその先の道は中山道の宿場に通じておりました。そのため行き交う人は多く、荷を積んだ牛や馬も通りましたが、なにしろ藤蔓の吊り橋なので、渡るのに難渋する者が多かったといいます。
ある時、そこに一人の旅人が通りかかりました。小平次というその旅人はいわゆる「六部行者」で、全国六十六カ所ある霊場の一つ一つにお経を納める旅の途中でした。
揺れる橋を渡る人々の姿をしばらく眺めていた小平次は、やがてこの村の庄屋を訪ね、こうすすめたと言います。
「誰が通ってもびくともしない、石の橋をかけてはどうか」
庄屋は驚きましたが、同時に日頃難儀している人々の姿も脳裏に浮かびました。
「皆が渡れる橋をかける、という行いは、仏の道にも通じるものです。きっと多くの人が賛同してくれましょう」
その言葉にうなずきながらも、庄屋はひとつ心配な点を、行者に尋ねました。
「橋の材料の石はどうするのか」
この辺りは全くの平地で、橋を組めるほどの大きな石などありません。
行者は答えました。
「私に心得があります。旅の途中に見た石切場まで戻って、この手で石を切り出してきましょう」熱心な小平次の言葉に、庄屋もついにうなずきました。
それからふたりは、近隣の家々を回って、橋を作るための助けを乞いました。果たして賛同する人は多く、たちまちたくさんのお金が集まりました。
そして小平次は、集まったお金を手にして再び旅立って行きました。
残された村人たちの間に、「ひょっとして彼に騙されたのではないか」という思いが湧き上がりかけた頃、南の隣村から人がやってきました。彼は「伝言を預かった」と言います。
「舟で石を運んできて、それをこの羽根倉河岸に全て上げたところです。ここから村まで、石を運ぶのに手を貸してほしい」
駆けつけた村人たちが目にしたのは、様々な加工が施された大きな石の数々と、見覚えのある行者の笑顔でした。
村人たちは石を運び、小平次の差配にしたがって石を組み、とうとう橋を完成させました。
そして、この話はもう少し続きます。
橋ができてのち、小平次は近くに庵を結び、そこで暮らしました。
やがて彼が亡くなると、小平次を慕っていた村人たちは彼の縁者を探しました。その人は丹後国(今の京都府北部)の宮津というところにおりました。
その人の話によると、小平次はもと石切場の職人で、そこで兄と一緒に働いていました。
が、ある時、その兄は、落ちてきた石の下敷きになって亡くなってしまいました。
事故とはいえ、兄を死なせた石を切り出したのが他ならぬ自分であったことを、小平次は深く悔いていたといいます。
そしてある日、小平次はふっつりと姿を消したまま、今まで行方が分からなかったのだ、というのでした。
夕暮れの道 - RT
最近ようやく気付いてきたのだけどわたしは過剰なのかもしれない。伯母が亡くなってからまるで伯母の気質を全部受け継いだみたいにいつもなんかやることないか考えている。それはだいたい誰にも頼まれてなくて、感謝されることもそんなになくて、それでもわたしは誰になんと思われるというより自分の神様との話し合いでやってることなので、家族に要らんことしてと言われたりしながらやる。機嫌よくやってたらたぶん普通にいい人なんだけど世の中の嘘くさいシステムとかルールを守らない人とかにすぐムッとするのでいったいなんのために頑張っているんだろう。ただの不機嫌な人じゃないかと考え込んでしまったり、なんだかんだで毎日ひどくくたびれていて、ちょっと頑張らない方がいいのかもしれない。
頑張っているつもりだけど大きな影響力をもたず、なにも作り出せず消費することしかできていなくて、せめて目の前の人に優しくしたい、というかこのごろ周りの人が優しい、ひょっとして前から優しかったのかな? 気づいていなくてごめんなさい。と反省したりする。
自分の世界が何重もの優しさで世の中の荒波から守られている小さな入り江のように感じてやはり自分のできることを考えて頑張りたくなって、昨日ふるさとの友達と会った時に中学の隣の教室が燃えたことも同級生が先生と付き合っていたらしいということもなにも知らなくて、守られていたのは最近に始まったことではなかった気がしてぼろぼろと涙がこぼれた。
夕暮れ時いろんなことを考えてたいてい泣きたくなっている。うまく振舞えない自分のこと、自分よりうまくやれない人がいっぱいいて、世の中は美しくなんかなくて、それでも空はどうしてこんなにきれいなんだろう。一瞬一瞬色が変わっていく。
ドラッグストアで「夕暮れの道」というアイシャドウを見つけて、なにより気に入ったのは黄金のような色合いだった。そうなんだ。夕暮れは赤もきれいだけど空が輝いて雲の端が黄色くて眩しい時が一番好きなんだよ。今日もよく生きたねと言ってもらっているようで。そしてだんだん赤くなって静かに宇宙の青がやってくる。このお化粧品を作った人はそういうことをよく知っているんだろう。
わたしはあとどれくらい生きるかわからないけど今たぶん人生を一日に例えたら夕暮れ時を過ごしているように思う。先を歩く義母は青い夜の頃にいて、今自分の記憶が失われていくことをひどく恐れている。アフタヌーンティーを食べながらずっと喋っていてわたしが喋る隙を与えてくれなかったのだけど、軽い痴呆のお友達のお医者様がおっしゃるには、楽しい記憶の破片はずっと残っていて、その破片を頼りに繋がった記憶がするすると出てくるらしい。わたし今日のことをずっと忘れへんと思うわと言ってくれた。闇夜は怖いけれど目を凝らしたら小さな灯りを見つけることができるかもしれなくて、気がついたら小さな灯りを頼りに歩いているのは自分だけではないかもしれなくて、それでもわからないことは怖い、わたしも破片をいくつも見つけていきたいと願う。夕暮れの中を歩きながら。
恥ずかしいからあまり言いたくなかったのだけどアイシャドウをよく眺めたら「夕焼けの道」と書いていた。うそ。なんで見間違えたんだろう。だってこの色夕焼けじゃなくて黄金色で。
まあいいか。買ってよかった。
犬飼愛生の「そんなことありますか?」⑨
そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。
「口唇ヘルペス」
たしかに、数日前から嫌な予感はしていた。なにか、口周りに違和感がある。しかし、一瞬そう感じただけでそれはすぐに忘れてしまう程度の違和感だった。私はその日、この夏の話題の映画を見ていた。映画館を出てから、これはまずいぞ、と思った。これは口唇ヘルペスの痛みではないか、と。このピリピリした感じ、経験がある。トイレの鏡で見てみると唇の端になにかある。間違いない。これは口唇ヘルペスだ。勤務先でも時々口唇ヘルペスの患者さんがくるから私は知っている。あぁ、口唇ヘルペスになってしまった。
薬を買うために帰宅の途中でドラッグストアに寄ることにした。皮膚薬の棚を探す。探しても探しても該当の薬は見当たらない。仕方がないので店員に声をかけると「あー、口唇ヘルペスの薬は薬剤師がいないと売れないので、うちにはないです」と告げられる。なに、口唇ヘルペスの薬って第1類医薬品だったのか。仕方がない、大きめのドラッグストアに行けば薬剤師がいて、買えるだろう。私は別のドラッグストアに向かうことにした。
「申し訳ございません。本日、日曜日のため薬剤師が不在でその薬をお売りすることができません」。次に行ったドラッグストアで言われたことだ。なんだって? いつでもいると思っていたよ······。「親孝行、したいときに親はなし」の薬剤師バージョン。「薬剤師、とても会いたい、でも休み」。······あまりうまくボケられなかった。口唇ヘルペスが痛みだしたせいにしておこう。もしかして、次の店にはいるんじゃないかと思った。いなかった。万が一、次の店にはいるかもしれない。いなかった。こうなってくるともう期待を持たせるだけ持たせて会えないロマンス詐欺にあった気分である。どうして、いないの。(日曜日だから)。
ここで私はさらなる悲劇に気づいてしまった。今日は7月16日日曜日。明日は17日海の日で祝日ではないか。薬剤師、明日も休みだろ。昔、こんな祝日なかったよね? なに? 半ばキレ気味で海の日に当たり散らす。まずいまずい、そうこうしているうちに口唇ヘルペスが痛みを増してくる。ヘルペスウイルスが私の中でどんどん増殖している。以前、帯状疱疹になったから知っているのだ。このウイルスはとにかくはやく治療をはじめることが肝心なのだ。一刻もはやく口唇ヘルペスの薬を塗らないと、明日もっと悪化する。私は焦った。仕方がない。休日診療所に行こう。またコロナ患者が増えてきて、休日診療所は混みそうだが、ヘルペスが悪化するのも困る。何時までやっているか、スマホで調べる。······10分前に診察終了している。いつでも開いていると思っていたよ······。また「親孝行、したいときに親はなし」の休日診療所バージョンだ。…もうなにも思いつかない。ボケる気力がない。ヘルペスが悪化してきたせいだ。
万事休すかと思われたその時、朗報がもたらされた。「イオン薬局なら日曜日も薬剤師がいる」。さすがは巨大資本イオン! われらの味方イオン! WAON! 私の中であの決済時に鳴る「WAON」という音が明るく響く。しかしそのイオン薬局も19時までしか薬剤師がいないという。時は18時20分。あと40分······! 間に合うだろう。私は天駆ける馬に飛び乗った(乗用車)。イオン薬局の薬剤師は日曜日も働いていてえらい。最高。おつかれ! あなたに幸あれ! ありがてぇありがてぇ。日曜日も働いているイオン薬局の薬剤師を心のなかで褒めちぎりながら、口唇ヘルペスの薬を購入し、無事に薬を患部に塗ることができた。ふっ、まあ今月もハプニングの神は私のもとにやってきたが、この程度だったか。今月は軽く済んだわ(先月の死にかけた話をご参照ください)、と安心して眠りについた。
翌朝、顔を洗おうと鏡をみて私は目を疑った。······なんか口唇ヘルペスが白い。なぜだ? 口唇ヘルペスは水泡が特徴なので白くはならないはず。どうしてだろう······。疑問に思いながらも顔を洗い終えてタオルで拭いたそのとき。プチっという感覚とともに口唇ヘルペスはドロっとしたものを吐いてその弾力を失った。まさか、まさかお前······口唇ヘルペスじゃなかったのか…! お前の正体は······うっ、言いたくない······! 言いたくないが······! ああっ! 言いたくない······! 「そうでゲス。おいら、ニキビっていいます。へへ、旦那、まさか見間違いでございますか? あんなに騒いで薬をお求めになっていて? そいつぁ、いけませんね。イオン薬局に、薬があるかわざわざ電話してましたよね? へ? それでお間違いだったと?」「うっ。おぬし、なぜそれを······! やめい!」「あーあ、昨日の自信はどこいっちまったんですかねぇ。おいらのこと、口唇ヘルペスだっていってましたよねぇ?」「あっあっ、おのれ、よくもだましたな! 切り捨て御免!」口唇ヘルペスの姿にうまく擬態していたニキビは、少量の出血とともにその姿を消した。
ここで読者の皆さんにはこの連載のサブタイトルに戻ってもらいたい。「ドジとハプニングの神」。ただのハプニングだと思っていた今月は、ドジの神がハプニングの神に擬態した月だったのである。ではご唱和ください。「本当にドジとハプニングの神は私を愛している」。
麻績日記「さすらい」 - なつめ
今思えば、昨年一年間は激動の一年だった。あの頃の私は、気持ちがどこか急いでいて、行動も歩く速さも異常に速かった。今の私がまたその速さで動くことはとうていできないだろう。とにかく早くどこか遠くの知らない場所に辿り着きたかったのである。今まで見たことのない景色や、出会ったことのない人々に出会いたい。今までの私を取り巻いていた環境を、一回忘れて、新たな世界を見つけてみたいという思いが強くなっていた時期だった。
いよいよ夏休みになった。東京から新幹線と篠ノ井線に乗り、片道約2時間半で村に着いた。相変わらず人はあまり歩いていなかった。駅前には一軒しかない定食屋でお昼ご飯を食べ、歩いて村役場へ向かった。それから移住相談窓口の松本さんに会い、村役場の車に乗って20分ぐらいでお試し住宅までに着いた。周りには何もないと聞いていたが、思ったより民家が近くにあり、ほっとした。村の地域おこし協力隊の農業班が育てているという畑の野菜を見せてもらったり、工芸班が活動している「草木染」といものも体験できる、ということも教えてくれた。「草木染」を知らなかった私は、
「草木染? 体験に行けるならぜひ行ってみたいです。体験はいつできるのでしょうか?」
と、興味深々で聞いてみた。松本さんはすぐに電話で地域おこし協力隊に確認してくれた。すると、
「今から体験できます!」
とのことで、ひとまず、お試し住宅に荷物を置いて、早速息子と草木染体験に行く流れになった。とりあえず、ものは試しにという感じだった。予定にはなかった場所に急遽向かうことになった。私たちは、村役場の車に再び乗り、昔は村の宿場町だったという道沿いにある「大和屋」という古い和風の建物に着いた。そこは山崎斌さんという草木染の命名者とも言われている染織家で作家の生家であるという。とても落ち着いた雰囲気の日本家屋であった。今は、村の地域おこし協力隊の工芸班が活動場所として使用しているとのことだった。昔ながらの雰囲気がそのまま残っている家がここにもあるのだなぁ、としみじみと思いながら、中に入った。そこはまるで、日本昔話の世界のような空間であった。中の作りも、置いてある家具も、昔のまま残っているような趣のある日本家屋で、縁側から見える庭の奥には古い茶室もあった。知る人ぞ知るような由緒ある日本家屋に偶然来れたことがうれしかった。工芸班の二人が広い土間を抜けた庭先で染物をしていた。一人は男性で、一人は女性だった。二人は私よりも若そうだが、話し方も佇まいも随分落ち着いている。この古風な建物の中で草木染をしている姿が二人ともよく似合っている。まるで長年住んでいる村人のような印象だったが、まだこの村に来て半年ぐらいと聞いてとても驚いた。この村にすっかり馴染んでいるように見える。初めてお会いしたというのに、話しやすく、とても親切に草木染について教えてくれた。息子は藍染、私は茜染で、早速、手ぬぐいの草木染体験をさせてもらうことになった。その「大和屋」の裏に裏山があり、草木染めに使う植物を育てたり、裏山にも生えている植物を使うこともあるという。その日は育てている藍の葉や、茜の根っこを使って染めるということだった。自然に生えている草や木、根っこなどを染め液に使うことができる「草木染」というものを私はここへ来て初めて知り、100%植物で染め液ができあがることに感動した。それぞれの植物が持つ自然の色や匂いを目や鼻で感じ取りながら、自分の手を使い、すべて手仕事で、丁寧に染めていく。真っ白な手ぬぐいが、その染め液にだんだん馴染んでいく。草木染はその日の気温や空気の状態によって色味が変わってくるという。この地球上にある植物で、またそれらを組み合わせることによって、何通りにもなる様々な色の染め液が出来上がるという。話を聞けば聞くほど草木染は奥深い。実際に染め液に布を入れ、自分の手で馴染ませていくと、その香りや、その植物が持つ生命力を受け取っているように感じた。葉の色、匂い、あたたかい染め液、この自然に囲まれた静かな環境に私はじわじわと癒やされていた。その染め色は、今まで着ていたような鮮やかで人工的な色ではなく、いかにも植物から抽出されたような優しい色合いであった。植物にしか出せない色味の、渋くてかっこよい藍色と、柔らかくかわいらしい茜色に染まっていく。まるで草木染を教えてくれる二人の雰囲気を表しているかのようでもあった。静かでゆったりとした時間の中にいることがだんだん心地よくなってきていた。
その家の別室には、昔ながらの機織り機もあると聞き、その機織りでコースター作りも体験できると言う。手ぬぐいを染め液につけている待ち時間に、今度は機織りも体験させてもらえることになった。また日本昔話に出てくるような部屋で、木で作られた古い機織り機が置いてあった。早速、糸を選び、初めての機織り体験で自分の手と足を使って編んでいく。機織りで使う糸もすべて草木染で染めた糸であると聞き、どの糸も自然の色味で、見ているだけで優しい気持ちになった。私も息子も初めての機織り体験にワクワクしていた。私はまた茜染の糸で、息子は藍染の糸を選んだ。私たちは教わりながら、ゆっくり一つ一つ編んでいった。静かに糸と向き合いながら、機織りをしていると、私の頭の中で中島みゆきの歌の「糸」が思い浮かんできた。
この歌をイメージしながら、実際に縦糸と横糸に向き合い、ゆっくりと丁寧に自分の手と足を使って、交互に編み始めた。二つの異なる色の糸が一段ずつ織りなされてできた布が、誰かの心をあたためることができるということなのだろうか、と真面目に考えていた。ふと、横を見ると、その部屋の隅に小学生のときに学校で読んだ『たぬきの糸車』に出てくるような本物の「糸車」がそのまま置いてあった。またしても私は驚いた。ここは、本当に日本昔話の世界がそのまま残っている場所のようだ。今ここで黙々と機織り体験をしているのは、私と息子だけだったが、このような伝統工芸班の活動がこの村にあることを、たまたま知り、今でもそれに適した場所がこの村にあるということを知ることができて、格別な思いであった。長野県内の多くの人が知る有名な観光地ではなく、全然知らなかったこの村にたまたま来たことが、私にとって特別なことのように感じ始めた。ただなんとなくこの村に来たというのに、思いがけずこの体験につながったことによって、今までの色々なことを思い出し始めた。以前から日本の文化や伝統工芸に魅力を感じていた私は、日本を伝えたい思いで去年まで外国人に日本語と日本文化を教える日本語教師の仕事をしていたが、途中、コロナ禍となり、離婚する流れによって、やむを得ず退き、それどころではなくなっていた。それから八ヶ月ぐらい経ったところで、今回偶然体験することができた草木染と機織り体験によって、私の中で日本文化好きの精神がじわじわと再燃されていくようだった。機織りをしている間に草木染の手ぬぐいが完成した。割りばしを使ってできた模様もきれいに付き、それぞれ味がある手ぬぐいができあがった。「トントン」と音を立てながら織ったコースターもできあがる頃だった。私が選んだ茜染のコースターは自然のぬくもりを感じるような優しい色に仕上がった。この手ぬぐいとコースターがあれば、都会にいても使うたびに自然を身近に感じることができそうだ。こんなに味わい深い自分だけの一品ものが作成できる草木染と機織り体験が、この村でできると思わなかった私は、その体験に終始感動し、一気にこの体験によって、この村に心を掴まれてしまったようだった。
この村は、昔ながらの日本の世界観がそのまま残っている場所であり、伝統工芸の草木染と機織り体験に思いがけず魅了されてしまった私は、自分が今、何時代の人間かということも忘れかけていた。たまたま辿り着いたこの場所は、同じ時代の日本のとある場所だというのに、どこか遠くの時代の日本昔話の世界に入り込んだかのようだった。
どこにいるのか - 下窪俊哉
雨に煙るタワーとビル群を背景に、海が横たわっている。その上を雨と一体になりながら、船がゆく。ゆっくり、ゆっくりと街へ近づいている。雨によって空と海が混ざり合って、その中を海鳥が飛ぶ。彼らは何かを叫んでいる。汽笛がくぐもって鳴った。エンジン音がそのなかに浮かぶ。屋根の下にいても、飛沫は吹き込んでくる。海辺の倉庫群が、何か不気味な要塞のように大きく見える。
さて、「どう見るか」の前には当然、「なにを見るか」がある。見るものがないのに「どう見るか」もない。見ているものは、まず見えていなければならない。そこで、誰が、どこから見ているのか、というのが重要なことになる。
それを「視点」という。
文章には必ず「視点」が存在している。その「視点」がどのようなものであるか。そのことが、その文章を決めると言ってよい。
書き手は「視点」を自由に使えるが、それは同時に、その「視点」でしか見られないという不自由の上に立っている自由である。
一度に複数の場所に存在することはできない。もちろん時間が変われば違う場所から見ることもできる。
書き手には「時間」が与えられている。それはどんなふうに使ってもよい。速めてもいいし遅めてもいいし、巻き戻しても、飛ばしてもいいし、伸ばしたり縮ませたりしてもいい。しかしその「時間」を使わずに、一度に複数の場所から見ることはできない。
(ところで人は多くの場合、不自由を求める。本当に自由にしてよいとなれば、不安になるはずである。しかし、創作はそんな不安の向こうにある。)
つまり時間と共に空間があり、書き手はその空間を創り出す。ことばを置いて、空間の出現を待っている。
(私の創作論⑥)
かなしいとちょっとしあわせ - カミジョーマルコ
かなしいとちょっとしあわせ。
かなしくなると心がちょっとうごくから。
心がうごくと
言葉を紡いだり
絵を描きたくなったりするから。
平和な毎日は ちょっとふしあわせ。
ゆるくて甘い時間のなかで
心がふやけてしまうから。
心が伸びると
いったいなにがしたかったのか
すっかり忘れてしまうから。
このまま流されてゆく恐怖感すら
うっかり消えてしまうから。
かなしくなるとちよっとしあわせ。
それでもまだまだ伸びきってない
自分の心に気付くから。
もうすこし、締まっていこうと
ふるいたつことができるから。
巻末の独り言 - 晴海三太郎
● 台風の季節がやってきています。夏の頂は、もう越したでしょうか。今月も、WS(ワークショップ)マガジン、お届けします。● 今月はいつもより少なめです。体調を崩しているらしい人もいるようで、どうか無理なくお大事に。とはいえ、原稿はこれから増えるかもしれませんので、時間を置いて覗いてみてくださいね。● WSマガジン常連のふたりの新刊をご紹介します。まずは先月(7月)、UNIさんの『たたかうひっこし』という私家版の本が出ました。これは昨年10月から今年3月にかけて、UNIさんに襲いかかってきた激動の日々を綴ったもの。それから今月(8月)は、犬飼愛生さんの新しい詩集『手癖で愛すなよ』(七月堂)が出ます。ぜひご注目ください。詳細はまた、編集人から何らかのかたちでご紹介する機会がありそうです。● 以下はいつもの文面になります。このWSマガジンの参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、さらに話すこと、というのもあり「WSマガジンの会」というのを毎月、画面越しにやっています。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。● 引き続き、よい夏を。また来月! ぼちぼちお元気でお過ごしください。
道草の家のWSマガジン vol.9(2023年8月号)
2023年8月10日発行
表紙画 - 矢口文
ことば - RT/犬飼愛生/カミジョーマルコ/下窪俊哉/スズキヒロミ/なつめ/晴海三太郎
工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 波に乗ってよむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 道草海水浴場掲示板
手網 - 珈琲焙煎舎
名言 - 運をストックしておけ。
謎謎 - オウムがお菓子を食べたのは、いつ頃?
道端 - 夕焼け色
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
心配 - 鳥越苦労グループ
音楽 - 真夏の昼の夢
出前 - 冷やし料理特集
配達 - 風車便
休憩 - マルとタスとロナの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会
企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎
提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房