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4月の私と表出する朝

タイピングしている時間はあまりなかった。あと5分ほどで中浦さんがドアを開けて部屋に入ってくる。中浦さんはもの静かな女性で、周囲を良く観察するタイプの人だった。始業前に私が自席でタイピングしていることを、彼女は知っていたのだと思う。

毎朝8時25分に出勤してくる中浦さんは、ドアを開けて部屋に入ってくると、いつも小さな声で「おはようございます」と言って自席に向かう。それを合図にして、私は「おはようございます」と言いながら、タイピングを止めて閉じたポメラをデスクの抽斗にしまう。鞄を置いてから私の席にやってくる中浦さんに資料の並びをチェックしてもらい、仕事の準備を二人ですすめるのが毎朝の流れだった。

彼がこの世界に「ない」と思っていること。「ない」と思い込んでいること。ほんとうは「ある」こと。「ない」ことを認知することで「ある」世界を目指すことになること。いやなこと、考えたくないこと、避けていること、それがトリガーになって、彼のなかで「ない」と思い込んでしまっていること。失ってしまったと思っていること。それは愛とかつながりとか。彼が何を感じているのか。どのようにして逃避しているのか。

私は画面から視線を動かして腕時計をみた。8時30分を過ぎていたが、中浦さんはやってこなかった。今朝はドアが開かない。

相手のことを思うことであったり、誰かに会いたいと思ったり、どうしているかなとか、元気だと良いなとか。そういう思いは愛ではないのかな。そのことを伝えたいとか、伝えて私を感じてほしい、思ってほしいとか、そういう思いもあるが、それだけではなくて、ただ単に思うだけでも、愛なんだと思う。

さみしい思いも持っているし、腹立たしい思いも持っている。おぞましい思いも持っている。それらの思いは善し悪しではなく、私が持っている思いだと認知する。認知すると私以外の人もいろんな思いを持って生きている存在だと想像できるようになる。人は持っている思いを基にして行動し歓び苦しむということなんだろう。

自らのなかに愛があることを認知して、感じて、開かれて生きていくと、そのことに周囲は反応する。それで周囲が変わっていくことはあるのだと思う。私のなかにある思いに気づいて、観つづけていくこと。つらい思いをすることなく、楽な気持ちで居ることができる場を私はつくりたい。

ドアが開いた。入ってきたのは中浦さんではなく、4月異動で配属になった高尾さんだった。彼女が「おはようございます」と小さく言うので、私も小さめの声で「おはようございます」と言った。タイピングを止めて閉じたポメラをデスクの抽斗にしまった。

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