自分が発する全ての言葉は、自分へのメッセージ
こんにちは、にょびたです。
私は、よくスタバなどのカフェや喫茶店で執筆をしている時に、必ずといって良いほどイヤホンをつけて、川や海の音など、自然の音をyoutubeなどで流して聞いています。
それは、なぜかというと、
外界の音を遮断するので、集中しやすいというのもありますが、しかし、それ以上に、以前あるカフェで数人のグループで井戸端会議をしている場面に遭遇した事があって、その時に、噂話レベルならまだしも、人の悪口や愚痴を言ってるのが聞こえてきて、その悪口を聞きたくなかったからです。
カフェに入って座って少ししてから、その悪口に気づいたので、苦肉の策でイヤホンをしたのが最初です。
「人の悪口を言ってはいけない」
と言うのは、皆小さな頃から言われている事なので、知識として知ってはいるはずなのですが、大人になってもストレス発散を大義名分に、人の悪口を言ってしまうこともありますよね。
特に、SNSなどのインターネット上では、悪口を超えて誹謗中傷のレベルの発言が非常によく見られます。
しかし「人の悪口」を言うと、一瞬気持ちの良い快楽を味わう事ができるのですが、その後のデメリットがかなり大きいことに、あなたは気づいていますでしょうか?
そこで今回は、「人の悪口や愚痴を言うことのデメリット」について考えていきたいと思います。
この記事を読めば、悪口のデメリットを知るだけでなく、悪口を言う人間の本質的な原因を理解しすることができるでしょう。
悪口や愚痴、誹謗中傷を言う人と言わない人
人の悪口や愚痴・誹謗中傷はとても目立つので、どこからともなく目にしたり、耳にするので、誰で悪口や愚痴を言うものだと思っている人も多いと思います。
しかし、世の中には様々なタイプの人間がいるので、悪口や愚痴を日常茶飯事に言う人もいれば、全く言わない人も必ずいるはずですよね。
では、人の悪口や愚痴、誹謗中傷を言う人と、全く言わない人とは何が違うのでしょうか?
その答えは、悪口や愚痴を言う人は、
「自分に自信がない」
からです。
言い方を変えれば「自分自身を信頼していない」とも言えますし、「自尊心」や最近よく聞く「自己肯定感」が低いとも言えます。
逆に、悪口を全く言わない人は「自分に自信があり、自分自身を信頼していて、自尊心・自己肯定感が高い」ということになります。
「自分に自信のない人」というのは、自覚が有る無いに関わらず、他人と自分を比較し「自分より上か下か?」と言う価値観で他人を見ています。
そして、自分に自信がない為に、「自分より上」と判断した人に対して、その人の悪口を言ったり、マウントを取ったり、誹謗中傷することで、その人の足を引っ張り、相対的に自分の地位を上げようとするのです。
どれだけ他人の悪口を言おうが、マウントを取ろうが、誹謗中傷しようが、その人より絶対に上に来ることはありません。
そもそも「自分に自信のない」人の勝手な価値観で、上下を決めているので、ただ一人で妄想を繰り広げているのと同じで、何の意味もないのですけれどね。
しかし、
自分に自信のない人は潜在意識の部分で、そのようにして、自分の評価を自分の中で上げようとするのです。
顕在意識の部分では、悪口や愚痴を言った時の「スッキリ感」を味わうために悪口などを言うのですが、その「スッキリ感」すら幻想であることは、後述することにしましょう。
無意識には主語がない
心理学では「無意識(潜在意識)には主語がない」と言われています。
これが何を意味するのかというと、
「自分が発する全ての言葉は自分へのメッセージ」
だということです。
詳しく説明すると、
例えば、
「お前はダメ奴だ!」
と怒りを他人にぶつけたとしましょう。
言った人の意識(顕在意識)の中では、「お前」という相手がいるのですが、無意識は「私」という一人称しか理解できないので、
「私はダメな奴だ!」
と言っているのと同じになるのです。
すなわち、
悪口や愚痴、誹謗中傷を言う人というのは、他人の悪口を言うたびに、自分に対して悪口を言っているのです。
先ほど述べた通り、悪口や愚痴を言う人というのは「自分に自信がない」人ですから、悪口を言うたびに、その悪口が自分に対しても影響するので、益々自信がなくなるように自己暗示をかけていると解釈することもできます。
その為、顕在意識ではスッキリとして、ストレス発散しているかのように感じますが、心の奥深くにある無意識のレベルでは、悪口を言えば言うほど、自分を傷つけ、自ら自信をなくしているのです。
このように、他人に悪口を言うことは、メリットになる部分は一切なく、デメリットしかないのです。
人を呪わば穴二つ
次は「スピリチュアル」な観点から「悪口」について考えてみたいと思います。
昔から「人を呪わば穴二つ」と言われるように、人を呪うと呪った相手だけでなく、自分にもその呪いが返ってくるので、墓穴を二つ掘ることになります。
この事は、仏教では「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」といって、「他人からの呪いは観音菩薩に念ずれば、跳ね返って呪った本人に返っていきますよ。」ということを意味します。
また、自業自得という言葉もある通り、悪い行いをすれば、必ず自分に報いが返ってくるというのもあります。
そして、
「悪口や愚痴・誹謗中傷」といった、相手に対して悪意を持って言う言葉というのは、「呪い」の一種であると思います。
なぜなら、言葉一つで相手の心を傷つけるに留まらず、病気にさせてしまったり、さらには命をも奪ってしまいかねないからです。
「呪いの言葉」については、新年のご挨拶の記事でも少し触れていますので、ご興味があれば下記リンクからお読みください。
悪口を脳科学的に見ると・・・
次は「悪口」を言った人の体の中で何が起こっているのかを、科学的な観点から見ていこうと思います。
2020年8月16日付の東洋経済ONLINEで「よく悪口を言う人ほど『不幸になる』科学的根拠」という記事が投稿されています。
この記事によると、
他人に対して悪口や愚痴・誹謗中傷を言った人の脳内では、ドーパミンという快楽物質が放出されているそうです。ドーパミンは、報酬系と呼ばれる神経系を活性化し、気持ちの良い感覚を作り出す主要な神経伝達物質と考えられています。
このドーパミンは、ギャンブルやアルコールや麻薬などの刺激でも活発になるのですが、その刺激に人はすぐに慣れてしまうので、ドンドン強い刺激が欲しくなり、その結果、依存症になることもあるのです。
つまり、悪口を言ってドーパミンが脳内で放出されると、気持ちが良くなり「スカッとした感覚」になるのですが、悪口を言い続けている人というのは、その「スカッとした感覚」を感じ続けたいために、依存症になっているとも考えられるのです。
そして、その刺激はドンドン強いものを欲していくので、悪口や愚痴では満足できず、他人を誹謗中傷するにまで発展することもあるということです。
ここで、
最初の方で私は悪口を言った時の「スッキリ感」は幻想だと述べましたが、なぜそのように思うのかというと、
悪口を言った時に、脳内ではドーパミンによって気持ちが良くなっているのですが、それと同時に体では副腎皮質からコルチゾールと呼ばれるストレスホルモンが放出されている事実があるからです。
コルチゾールは、人が外界から何かしらのストレスを感じた時に、そのストレスに対抗するために放出するホルモンで、ヤクルトの中央研究所のホームページでは、
と紹介されています。
すなわち、
悪口でストレス発散したように脳では感じてるのにも関わらず、体はストレスを感じているという事になります。
先ほどの東洋経済ONLINEの記事の中では、
と書かれており、実際に「悪口」は自分の体を科学的にも傷つけてしまうようです。
悪口を言わない人になる為に
これまで見てきたように、人に対して「悪口・愚痴・誹謗中傷」を言ったり、ネットで書き込みをしたりするのは、
百害あって一利なし
のことです。
では、どうすれば他人に対して「悪口」を言わないような人になることができるのでしょうか?
最初に話したように、「悪口・愚痴・誹謗中傷」を言う人というのは、
自分に自信のない人
です。
そのため、自分に自信をつけることで、自尊心、自己肯定感を高くすれば良いのです。
そうすれば、他人のことが気にならなくなりますし、今まで悪口を言うために他人の粗探しをしていたのが、逆に、人の良いところを気がつくようになります。
とはいえ、「そんな簡単に自信がつけば誰も苦労しないよ〜」という人に向けて、最後に私の経験談を一つご紹介しようと思います。
自信がつくキッカケとなった社労士試験
以前知り合った、ある社長さんから社会保険労務士(社労士)の資格を取ってもらえないか?とお願いされたことがあります。
「まぁ〜、勉強すればなんとかなるやろ!」
と簡単に考えた私はそのお願いを受け入れ、社労士の試験を受けるため勉強し始めました。
社労士は、企業の就業規則を作ったり、労働関係の相談を受けたり、年金に関する相談を受けたりする労働と年金のスペシャリストです。
もしかしたら、年金事務所で年金の相談をしたことがあれば、その時相談員としているのが社労士です。また、経営者の方で社員を雇用している人は社労士と顧問契約している方もおられると思います。
このような、社会保険労務士という資格があるのですが、巷では難関資格と言われる国家資格なので、年に1回、8月に実施される国家試験に合格しなければ社労士資格を得ることは出来ません。ちなみに、合格率は概ね6%程度になります。
初年度は残念ながら合格基準点に足らず、不合格となりましたが、2年目は「やり切る」ことを重視することで、合格することが出来ました。
この時の「やり切る」とは言い換えると「120%の努力をする」ということです。
つまり、「もうこれ以上は努力のしようがない」と思えるところまで努力をすることで、もし不合格になったとしても後悔のない状態にしようと思ったのです。
そして、社労士試験に向けて「やり切る」ことは、私とって思いがけない効果がありました。
それは試験後の帰りに、
「もし不合格で、他人に何を言われようととも、私はこれ以上できないくらいの努力をしたので、他人からの批判は気にしなくて良い」
と思たのです。
今から考えると、この瞬間に自信がついたのだと思います。
すなわち、これ以上努力できないところまで努力したのだから、他人に何も言われる筋合いはないと思ったのと同時に、自分のことを自分で認めたのだと思います。
巷では自尊心や自己肯定感を上げるために、「周りから褒めてもらいましょう」とか、「小さな成功体験を重ねましょう」といったことがよく言われますが、
私の場合は、「もうこれ以上は努力できない」と思えるまで努力して、自分を自分で認めてあげることで自信をつけることが出来ました。
なので、「自分に自信がない」と少しでも感じるならば、何かに没頭しやり切ることで自信につながることがあるので、自分の興味のあるものに努力し「やり切る」のも一つの手だと思います。