産地を訪ねて④~日本最古のあおぐ団扇・奈良団扇~
日本に団扇が伝来したのは1250年前の奈良時代。中国から春日大社に入ってきた『禰宜(ねぎ)団扇』がはじまりだとされている。
当時はあおぐものではなかった。顔を隠したり虫を払ったり持つだけの用途であり、特別な人だけが持つことが許された。神職や権威の象徴とされていたのだ。(武田信玄が持っている像や、現代であれば相撲の行司さんが持つ軍配団扇がイメージしやすいのではないか)庶民が使えるようになったのは江戸時代末期。1000年以上の時を経て誰しもが知る現代の団扇の形になった。
団扇をはじめて〝あおぐもの〟かつ〝庶民が使うもの〟として作り普及させたのが『奈良団扇』である。
今回は奈良団扇の祖であり現存する唯一の奈良団扇工房『池田含香堂』さんにお話を伺った。
<奈良団扇の歴史>
奈良団扇のはじまりは江戸時代の初期。しかし、暮らしの中での団扇の優先度は低く、中期のころには一度滅んでしまう。池田含香堂初代(詳細不明)は江戸時代末期には店を営んでいたが、団扇を作っていたのかも定かではない。(文献も無い)
明治になり、現在の形の奈良団扇が完全復活を遂げる。その立役者となったのが池田含香堂の二代目、栄三郎さんである。
1893年にはアメリカ・シカゴで開催された万国博覧会に出展することになる。そこでの世界的な評価がすごかった。奈良団扇のみならず、団扇そのものを日本を代表する工芸品にまで押し上げた。
しかし、世界的に称賛を浴びた奈良団扇も再び消滅の危機が襲う。戦争である。戦前には7.8件あったという工房も戦争を境に消滅。現在、残されている工房はわずか1件『池田含香堂』だけとなっている。その池田含香堂も戦時中には道具を布団の中に隠すなどしてなんとか生き延びてきた。
消滅と復興を経験し、地域の工芸品として築き上げてきた歴代当主の想いと努力が繋いできた、歴史ある工芸品である。
<特徴>
奈良団扇の特徴は大きく分けて3つ。
①透かし彫り
②特徴的紋様
③実用性
①透かし彫り
この技法は奈良と京都(都うちわ)だけで行われる(都うちわとの大きな違いはのちに記す)。小刀で突き刺し彫るように和紙を切り抜く。繊細な技術が必要で細かい紋様を浮き立たせていく。
②特徴的な紋様
商品と作品で2種類ある。
商品:奈良の風景を特徴とする鹿や藤の花、正倉院文様、朱雀や青龍、和歌など。
作品:その代の職人さんの独創性により創作される。
奈良の風景は作られ始めた当時から変わらずに受け継がれている。
③実用性
京都(都うちわ)との最大の違いが〝実用性〟にある。飾って目で楽しむことを目的とする都うちわ。一方で、実用性を第一に考える奈良団扇。骨組みの数が60~90本と、一般的な団扇(20本)の3.4倍。それでいて軽く、竹によるしなりが軽い力でたくさんの風を生み出す。見て楽しみ、使って涼しめる。
鑑賞美と機能美を両方併せ持つのが奈良団扇の特徴である。
<制作工程>
春夏秋冬、年間を通して製作作業がある。和紙の制作と竹を取ること以外、すべての工程を一貫して行う。分業をせず一つの工房で一貫製作する団扇はおそらく奈良だけだという。
時間はかかり大変ではあるが、完成形をイメージしてひとつ前の工程を行うことが出来るメリットもある。
製作工程は以下。
①紙染め(色付け) *冬作業
②竹骨の加工
③下絵付け
④突き彫り
⑤たたき張り *夏作業
⑥念付け
⑦裁断
一貫製作は完成形からの逆算工程ができズレが少ない。精錬された美しさの秘訣でもある。
<見学レポート>
6代目当主、匡志さんにお話を伺った。
奈良団扇は全て手作業&天然素材で作られる。紙染めの染料も当時からの素材そのままで天然の草木から取る。竹骨に和紙を貼るノリも米100%で作られている。
代々受け継がれる道具も自分の手に合う個別仕様の道具も、全て手作り。突き彫りの道具には職人さん一人ひとりの癖があるという。先代の使っていた道具を見て、自分で削り出す。匡志さんは自分の癖に合う道具に仕上げるまで6年もの年月がかかったという。一度作った道具は一生モノ。職人さんの成熟とともに道具に年季が入る。一時代を道具と一緒に刻んでいく。
いとも簡単に流れるように突き彫りをする姿はまさに職人技でした。
<感想>
今回、製作工程はもちろんのこと、匡志さんの奈良団扇に対する想いを聞くことが出来ました。家業を継ぎ職人になることを決意した高校時代。お若いのにとても立派な想いをお持ちでした。
大々的なPRは行わず、奈良旅行に訪れた方々の立ち寄りがメイン収益だという。親子2人での製作のためたくさんの数は作れない。
コロナで苦労はしたが、同時に本当に好きな仕事ができていると有難みにも気付いた期間だという。
昔ながらの製法で代々当主の想いを繋ぐ。
奈良団扇を純粋に愛し、とても柔らかな中に意志を感じる6代当主、匡志さん。
本物を守り続けていく。
後世に残した文化がそこにはたしかに息づいていた。
どうもありがとうございました。
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