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人類と馬の歴史についてその③(宮古馬と琉球競馬・ヌーマピラス・人頭税など)
皆さん、こんにちは。
宙唄(Sorauta)
です。
いつもお立ち寄りありがとうございます。
また
初めての方、『ようこそ!』
いつも『徒然なるまま』に、完全オリジナルの独自の視点で「note」しております。
前回はこちらの『note』しました。本日はとても気候が良かったので初めて海岸の公園でコーヒーを飲みながらライティングしていました。
風が適度に吹いて、鳥の声と波の音が聞こえる。
綺麗な浜辺と太陽がある。
10月の宮古島はとても「文化に浸ること」に適した気候生態環境です。
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最近、天馬だの芦毛だの、馬に纏わる事を意識して動かされています。
私の好きな諺に
「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。
全ての地球生命は「生死」の宇宙の因果律の中で、今日も生命物語を紡ぐ。
死ぬことも、生きる事も、全ての生命にとって、この地球にとって、宇宙にとって必要な事。
孤独、苦悩、悲哀、憤怒、執着、無愛、貧困などを外界から与えられた事に意識に気づきがある人は、
「塞翁が馬」です。
それは、宇宙への因果律の中で、
自由、豊富、愛、放擲、解放、静寂への扉が開かれた事ですから。
さて、話が脱線、長くなりましたが、
今日は宮古島に存在する天然記念物、「宮古馬」と「琉球競馬」についてより深くライティングしていこうと思います。
前回までのライティングは以下の通りです。
↓↓↓
沖縄地方では、古くから小型馬が飼育され、14世紀には中国への主要な輸出品となっていた。この馬は、中国の小型馬が伝わったとする説と、朝鮮半島の小型馬が九州を経て伝わったとする説とがある[7]。近年の研究では、体格、遺伝学的分析、遺存体の共伴物、馬具等の点から見て、沖縄本島及び宮古島には九州から渡来し、宮古島への渡来の時期は14世紀とする[8]。
宮古馬の原点は、14世紀朝鮮半島から琉球本土へと渡り、そこから宮古島にやってきたと捉えるのが有力な仮説の様です。
遺伝子としては「トカラ馬」との相関性が異常に高いとのこと。
https://www.city.miyakojima.lg.jp/soshiki/kyouiku/syougaigakusyu/hakubutsukan/files/kiyou16-01.pdf
また琉球競馬に関しては、300年ー500年前から、沖縄、奄美、八重山など各地で行われていた様子です。
それから宮古島と馬について
「宮古馬放牧場」と「鏡原馬場跡」の写真と詳細を掲載します。
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続いて「鏡原馬場跡」
です。
場所は宮下地区という農業地域にあります。
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鏡原馬場跡とは?
1887年(明治20年)ごろから、宮古島農民の間に「島政改革・人頭税廃止」を要求する農民運動が展開された。人頭税廃止運動は、旧支配者層官権の厳しい弾圧を受けたが、宮古30余村の農民は結束を固め、明治政府並びに国会へ請願代表として中村十作、城間正安、平良真牛、西里蒲ら4名を上京させ関係要路に陳情させた。1894年(明治27年)人頭税廃止の確約を得て一行が帰ると、農民は総出ではり水港に迎え、鏡原馬場において盛大な祝宴と競馬(ヌーマピラス)やクイチャーなどを催して宿願達成の喜びを分かち合ったと伝えられている。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A0%AD%E7%A8%8E
人頭税は
https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/itakura-ku/itakura-ss-08.html
https://kids.ohbsn.com/column/miyakojimanokyuuseisyunakamurajyussaku/
中村十作氏の功労からの友好関係で、
宮古島市と上越市は「交流都市」になっています。
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https://miyako-tour.com/spot/nintozei-stone
当時の人々が受けていた搾取は相当なものだったと考えられます。
大切な事は何なのか?今ここで、この時代に過去から未来に学ぶ為に何が必要な事なのか?
次は琉球競馬についてです。
琉球競馬は琉球王朝の士族の楽しみとして、約300年又は約500年前に始まった[12]。琉球競馬の最古の記録はウィリアム・アダムス(三浦按針)が書いた『琉球諸島航海日誌』で、「1615年、陰暦3月3日、首里は祭日で闘鶏と競馬が催される」(南島史学9号)と記されている[13][14]。
沖縄各地に150超-200カ所弱の馬場跡が確認されている[15][16][注釈 4]。馬場には琉球王家直轄の「真地(マージ)」と呼ばれる2か所(平良、識名)の競馬場を頂点に、村管轄、集落管轄の3管轄があり、真地での開催は沖縄じゅうの関心を呼んだ[17]。
「平良真地(ていーらまーじ[18])」(または「平良馬場」、「大名馬場」)は、首里城から北へ約1.5キロの距離で、那覇市首里大名(おおな)町(旧・西原間切平良)にあり、琉球王朝(第二尚氏)時代の1695年、尚貞王の代に造られた[19]。
「闢馬場干平良邑地 首里無有戯馬場人皆行至各慮習騎馬之法至干是年ト地平良邑西始闢馬場人民恆以騎馬俗名曰平良真地」
(訳=馬場を平良に開く。首里に競馬場はなく、人々はみな各地に行って騎馬の法を習う。この年に至って、平良の西に初めて馬場を開き、馬に乗った。俗に名付けて平良真地という)— 球陽八巻 尚貞王二十七年(『美ら島物語』より)
平良真地(全長二町五十五(約278メートル)幅十間(約18メートル)[20]で西から東に向けて競技する)は王府の直轄馬場となり[19]、競技があると沖縄各地から馬が集まり、大会の前には出場馬が崎山馬場から平良真地へパレードし、競技は国王も見物し、馬場中央の「ウサンシチ」(御桟敷:おさじき)に座った[19]。
江戸から明治となり、琉球処分で職を失い地方に進出[4](帰農)した屋取(ヤードゥイ[20]:士族の開墾地のこと[20]。)の士族により、琉球競馬は沖縄各地に伝播し、農民も交えて[1]隆盛を迎えた[15]。小型の在来馬を用いた[4]。
琉球競馬は、太平洋戦争末期の沖縄戦の前まで沖縄県内各地で盛んに行われ[21]、人々が熱狂したが[15]、1943年(昭和18年)、那覇市での開催を最後に途絶えたと報じられている[22]。第一次世界大戦以降の軍馬の需要拡大で在来馬の去勢法が施行され[4]、小型の在来種の大型改良の強行(大型馬移入による在来馬の駆逐[15]・在来馬の去勢[23])が進んだほか[24]、深刻な経済不況のいわゆる「ソテツ地獄」[15]、戦争への備え、島民の価値観の変化[15]などが途絶えた原因といわれる。
各地の集落には馬場の跡がみられ、戦後の整備で公園やゴルフ場、幹線道路になったり[17]、空軍の滑走路の一部となっている[25]。
琉球大学名誉教授の新城明久(しんじょうあきひさ)(育種学)は、ンマハラシーを「(沖縄において)過去最大の娯楽だった」とした上で「(琉球競馬の)王府の狙いは士族・平民が共に祭りを楽しみ、馬の生産に励み、優秀な馬を選抜・育成することだった」と、その歴史的意義を生き物文化誌学会で述べている[26]。
また対比の為に挙げると、日本人が「競馬」とみている近代競馬は、明治維新とともに西洋からやってきた様子です。
要は、明治政府による天皇家の西洋王族貴族に模した「ブランディング」「権威付」の一環として「馬」が存在したという事です。
宮古島をはじめ、琉球、沖縄などの南国はとにかく「祭りごと」がたくさんあります。
人や自然が触れ合って、楽しんで、躍動して、神々精霊を祀る事。
そして「ヌーマピラス」のように
活かして、喜びや感謝を表す、
琉球競馬の原点は、そんな「祭祀イベント」だったのだろうと推察します。
また宮古馬は、耕運機の普及と共に、減少していったとあります。
つまり宮古島の馬は、輸送や農耕の為に活用され、宮古島の生活や風土と密接に関係があったものと推察されます。
ここまでいかがだったでしょうか?
現代、馬や競馬の主流は「競走馬」にあります。
「資本主義」と「権威の象徴」と「賭博ギャンブル」「スポーツ競技」
といったカルチャーとして確固たる地位にあります。
昨今「女性騎手」「スマホ」「事件」などで世間を賑やかにしている
日本中央競馬会や
やはり、政治の腐敗、天下りや裏金キックバックなので政治家と共にメディアを賑やかにしている、親組織の政府省庁、農林水産省へ
一つ私からアイディア、提言として。
「JRA /琉球競馬場」を新設するのはいかがでしょうか?
JRAの売上は毎年「3兆円」を超える産業であり、これから先、風土や先住民環境と「TNFD」「ESG」など「バイオダイバーシティ・生物多様性」などを追求実践する上で、
近代競馬と琉球競馬のマルチバースプロジェクトはJRAには、必要不可欠な企図を含んでいるように感じます。
更に、沖縄の産業の中心は「農林水産業」であり、沖縄地方の金融経済と雇用産業の活性化において、意義のあるプロジェクトの様に感じます。
基地移転問題などが政局論争になりますが、地球人類の未来文化創造に対して、ワクワクドキドキから、国際社会へ「クールジャパン」を体験してもらえるような観光政策も是非検討してもらえたらな、なんで思いました。
「国際G1 宮古馬記念」「琉球競馬場記念競走」
みたいなものが未来にあったなら。ワクワクします。
そこで「ヌーマピラス」「クイチャー」を含んだセレモニーを
G20の様な国際財務会議で行うのはいかがでしょうか?
政治家の皆様、官僚の皆様、JRA、競馬ファンの皆様、
そんな夢の着想と現実化への具体的実践のきっかけに宙唄のライティングがなったなら幸いです。
以上、宙唄でした。
ではまた!!!
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