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御嶽(うたき)と御嶽(おんたけ)の神道

みんな、こんばんは。マルチライターの宙唄です。

こちらは風が強くなってきて、台風の気配を少しずつ感じています。

度々、この先島列島の文化風土について書いてきていますが、
今回はその中心的存在としての御嶽と、全く同じ文字で読み方をする御嶽を考察してみたいなと思っています。

考察を始める前に、今日の気づき。
鬼滅の刃、竈門炭治郎の呼吸ではないですが、
ヒヌ神(火)、ミナ神(水)、それを合わせて火と水を操る神女、卑弥呼(ヒミコ)だったのかな?
なんて思ったのですが、皆さんは考えたことはありますか?

御嶽は琉球神道の中心をなす存在です。宮古島では御嶽のことを「すく」と呼びます。

また琉球神道は男子禁制です。
神社や相撲、修験道、何かにつけて女人禁制の日本神道は、恐らく朝鮮半島の影響が大きいのだと思います。道教、儒教、仏教の影響を明らかに受けた結果だろうと思われます。
また、7300年前つまり、紀元前5300年あたりにあった鬼界カルデラ噴火によって縄文が途絶えてそこに、琉球と朝鮮半島、また四国や本州から人が移民していった可能性が高いと思われます。

先島列島は文字や文献が残っていない代わりに土着の風習、伝統が残っています。
御嶽の多くは森やガーと言われる湧水の井戸、岩などの地形と自然が形成した守護神精霊が宿り、信仰の対象として地域の生活と一体となって大切に管理されてきた。
また「ノロ」と言われる琉球神道の祭司、神官、巫の中でも偉大な人物の墓も御嶽として祀られたものも存在する。

余談だが、ノロは王族の家族やノロの娘が世襲する事が多かったため、イメージとしては日本神道の女系天皇を想像すると良いのだろう。

ここまで見てくると、琉球神道は日本神道とは男女の役割が真逆であることがわかります。

ではここからは、日本神道における「御嶽」を見ていこうと思う。
御嶽とは御嶽山信仰のこと。山岳信仰の修験道として各地に御嶽山が生まれました。
また御嶽教という、教派神道の宗教も存在する。明治政府が神道を国教として宣教するために公認されていった14の宗派神道教団であったとされる。奈良県の奈良市に本部があり、長野県木曽郡木曽町に本宮を有しています。

修験道から派生している神仏習合が元となるが、基本的に祭祀が中心となっているとされています。

つまりオンタケ信仰は山を、ウタキ信仰は木や岩などの自然や人を信仰の対象としています。

ここにもいくつかの歴史のロマンを感じるところです。

日本神道の中心は今話した奈良県を中心とした紀伊半島一体を中心とした山岳信仰であり、三輪山の大神神社や、神仏習合は役行者や南朝天皇の都、吉野、金峯山寺へと繋がっていく。

全く答えはない話ではありますが、

この宮古島諸島には、御嶽も、大神島も、吉野の地名も存在しています。
また明治維新後も、宮古島は人頭税が取り残されていたように、明治政府の影響から逃れた文化伝統を保全していた可能性はあります。

如何せん鹿児島から600キロも離れている。今のように飛行機がなく、船の移動が主流だった時代、産業もなく、南に敵も少なかった時代、水も少ない離島を占領する地政学的価値はなかったのでしょう。

以上が、御嶽から見た琉球と日本の神道の違いになります。

アメニズムとして捉えたときに琉球神道も日本神道も同じように、国際的には捉えられるのかもしれませんが、正直全く違った意識から信仰をしているようにも感じます。

本当の意味での平和への祈りや風習を選択してきたのは誰だったのか?

数なくとも琉球の人々は平和というものを実践してきたことは歴史が証明しているように感じます。

我々が今選択するもの、それは我々一人一人の生き方が、未来の平和を決めていきます。

人類と地球生命にとって本当に価値のある生き方はなんなんのか?

そんな基準で、国家や宗教、政治の一つ一つの答えを見つめていく事が求められている気がしています。

以上、夜の追加ライティング、宙唄でした。

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宙唄(そらうた)Author Sorauta
私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。