【読書感想文】『赤と青とエスキース』を読んで|2022年本屋大賞 第2位
「昔、鏡は神様でした。天照大御神そのものなのです」
そんな風に語るのは、ブルーライトカットレンズの生みの親、諸井晴彦さん。鏡は御神体であり、今のように簡単に入手できるものではなかったのかもしれない。
現在、鏡といえばほとんどがガラス製品だが、古くは石や金属を磨いたものを鏡として使用していた。現存する最古の金属鏡は、紀元前2800年頃にエジプトで作られたものだ。
金属鏡が開発される前には、水鏡だったという。
水鏡は、不便だ。
化粧をするにも、髪型をセットするにも、下を向かなければならない。しかも、どう頑張ってもゆらゆらしてしまう。水鏡を見て白髪を抜くのは達人の技だったに違いない。
昔の人はどうしていたのだろうか……
物語は、一枚のエスキースから始まった
青山美智子著『赤と青とエスキース』は、赤と青にまつわる話でまとめられている。物語の軸となっているのは、赤と青で描かれた一枚のエスキースだった。
エスキースとは、フランス語のEsquisseを指す。制作においての下絵、素案という意味だ。下書きとは意味合いが異なり、そのまま作品として完成させるものではない。
つまり、エスキースは設計図のようなもので、エスキースを元にして別の本番の絵を描くのが正しい手順といえる。
「漫画で言ったら、ネームみたいなもんか」
物語の中では、そんな風にも表現されていた。エスキースやネームは、制作者のイメージにもっとも近く、イメージが膨らむために制作自体も楽しいという。
物語の中で描かれた女性の肖像画は、題名そのものが「エスキース」だった。下絵のままで世に出た作品ということになる。物語は一枚のエスキースを軸にした、約30年間を綴ったものだ。
喫茶店で、二人の漫画家が対談するシーンがあった。「エスキース」の肖像画を背に二人が写真を撮影した後、先輩漫画家のひと言に「はっ!」とさせられた。
鏡の無い時代は肖像画がすべてだった?
鏡の無かった時代は、自分の顔は自分だけが見られなかったと言うのだ。その時代は、他人によって描かれた自分の肖像画が自分の顔を認識する唯一の方法だったに違いないと。
紀元前の話なので、勝手な妄想にすぎない。しかし、自分を見つめ直す意味でも、鏡は重要な役割を担っていることを再認識した。
考えてみてほしい。
自分の肖像画が超絶イケメンに描かれていたら、小躍りするくらい嬉しい。「いやいや、こんなにイケメンじゃないよ」などと謙遜しながらも、心の中では芸能人格付けチェックで正解したときの浜ちゃんの如くドヤ顔でガッツポーズをするに違いない。
反対に、描かれた肖像画が浜ちゃん以上に超絶ブサメンだったとしたら……
もう、自分は超絶ブサメンとして生きていくしかないのだ。浜ちゃんのように、人より秀でた技術があれば何のコンプレックスも抱かないだろう。しかし、何の特技も無い、ただの超絶ブサメンだったら、自己肯定感も何もあったもんではない。
ただし、重要なのは本当にイケメンか否かではなかった。
本当は超絶イケメンなのに、超絶ブサメンとして肖像画に描かれている場合も同じ。一生、超絶ブサメンとして生きていくしかないのだ。
オレなんて、生きてる価値なぇな……
そんな風に考えてしまう可能性も高い。私なら9割9分くらいの確率で考えてしまうだろう。怖い。怖すぎる。鏡の無い時代に生まれてこなくて良かった。
世の中のすべてを恨み、ナイフのように尖っては、触るものみな傷つけたに違いない。
コーチングなどでは「褒めて伸ばす」と言われるが、その理由がよくわかる。ギザギザハートも褒めて伸ばせば丸くなる。
周りから超絶イケメンだと言われて育てられれば、本当にイケメンになるだろう。見た目だけでなく、中身がどんどんイケメン化するに違いない。
一方で、超絶ブサメンと言われて育てられてきたらどうだろうか。自分は何をするにも自信がなく、どんどん卑屈になっていくに違いない。中身までもが超絶ブサメンまっしぐらなのだ。
見た目だけではない。「お前はバカだ!クソバカだ!この野郎!」と言われて育てられたら?「お前は何にもできねぇな!」「使えねえな、クズ野郎!」と職場で言われ続けたら?
考えただけで足がガクガク震えてくる。(ウソ)
そんな世の中を正してくれたのが、太陽神の天照大御神だったのかもしれない。八百万の神の中でもすがちゃん最高No.1的な存在なのだ。
天照大御神、あんたは偉いよ。
素直に感謝したい。これからは鏡を大事にしよう。そして、正月には鏡餅をいっぱい食べよう。デブになって、今以上に超絶ブサメンまっしぐらだ……
2周目が面白い『赤と青とエスキース』(まとめ)
下記の2記事は書籍を読まずに書いた似非読書感想文だった。読んでいないので、おそらく疑わしい部分もあるだろう。
しかし、今回の読書感想文は内容を知ったうえで、できる限りネタバレしないように気を配ってみた。
『赤と青とエスキース』は本当に面白い物語だ。1章から4章まであり、それぞれが短編集を思わせるような構成になっている。そのことを知らずに読み始めたため、
あれ?さっきの続きはどうなった?
と、少々不安を覚えた。一部、読んでいて睡眠に誘われそうな部分があったのは確かだ。しかし、最終的にはその部分が重要だったことがわかり、結局2周目に突入してしまった。
2周目になり、ようやく話がつながった。周回遅れも甚だしい。天才物理学者の湯川学も興味津々だ。
『赤と青とエスキース』は2022年本屋大賞で第2位となった作品だ。私の中では
本屋大賞は裏切らない
と確信している。何せ、書店の店員がおすすめする書籍なのだ。
ほかの文学賞の受賞作を読んで「あぁ、時間の無駄だった」「こんなことなら、テトリスして時間潰してた方がよかったよ」などと思った人も多いのではないだろうか。私もその一人だ。どちらかといえばぷよぷよ派だが。
小学生のとき、担任の先生に「コレおすすめ」と言われて騙された人はいないだろうか。私は完全に騙された。ちっとも面白くなかった。本嫌いが、さらに本嫌いになった一番の要因でもある。
しかし、本屋大賞は裏切らない。
ぜひ、『赤と青とエスキース』を手に取って読んでいただきたいと思う。
あなたは、「エスキース」自体に疑問を持つかもしれない。
「どうして世に出ている絵の題名なのに下絵なのだろうか……」
そう思ったらぜひ、読んでみてほしい。
最後の最後にスッキリする……かもしれないし、スッキリしないかもしれない。
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