【読書感想文】2024年 課題図書『ごめんね でてこい』
私には、二人の祖母がいる。父方の祖母と母方の祖母。父方の祖母は私が小学2年生のとき、自宅で亡くなった。私も家にいたが、当時のことはあまり覚えていない。祖父が「死んどるぞ!」と急いで言いに来たこと以外は……
祖母は痴呆症だった。だから、周りの人に迷惑をかけたようだ。私自身も泥棒と間違われたことがあるらしい。よくテレビで見る「ドロボー!」と叫ぶ年寄りのシーンそのままだった。
だから母は、祖母から3人の子どもたちを守るのに必死だったらしい。祖母の介護もしつつ、母親としての役割も果たさなければならない。まだ「介護」などという言葉すら聞いたことが無い時代だった。
そんな祖母がまだ痴呆症になる前の唯一の記憶がある。私がまだ幼稚園の頃、「手に鈴を着けてほしい」と言ったのだ。だが、上手く伝えられなかった。
70歳以上も年の離れた孫の思いは、なかなか伝わらない。その思いが歯がゆく、泣いてしまった。記憶はそれだけだ。
そのあとにどうなったのか、どうしてそのような発言をしたのか、まったく思い出せない。サザエさんに出てくるタマの自由奔放さに憧れていたのであろうか……
孫の思いが伝わらないのと同じように、祖母の思いが伝わらないこともあったと思う。
『ごめんね でてこい』の主人公のはなちゃんは、口うるさい祖母に対して「おばあちゃんなんてきらい」と口走ってしまう。
孫への思いは、うまく伝わらない。大人のおせっかいが鬱陶しいことは全世界共通だろう。私自身も、口うるさい親に何度も感じたことがある。親となった今は、子どもに「お父さんなんてきらい」と思われているに違いない。
祖母や親の思いはうまく伝わらなかったとしても、それはまごうことなく無償の愛だ。
一方で、孫から祖母へは、必ずしも無償ではなく、欲望の塊かもしれない。しかし、私自身が親になった今、それも愛なのだと素直に思える。
『ごめんね でてこい』では、主人公が祖母からの愛情に気づくことになる。しかし、なかなか「ごめんね」が言い出せなかった。その歯がゆさが心に刺さり、返しのついた針のように抜けない。
今、私は大人の思い、子どもの思い、その両方が理解できる。それでも大人の思いを押し通したいと考えるのは、無償の愛ゆえのことなのだ。老害このうえない。
私は父方の祖母との思い出がほとんど記憶にない。口うるさく言われた記憶が無い代わりに、一緒に遊んだり出かけたりした記憶もない。
私は素直に「ごめんね」と言えただろうか……
じつは、もうすぐ母方の祖母の誕生日だ。母方の祖母はもうすぐ107歳になるらしい。大正6(1917)年生まれだというから驚きだ。ありがたいことに、母方の祖母に「ごめんね」を伝える必要はない。
伝えるとすれば「ありがとう」だけだ。
今回のnoteは、Amazonの口コミと「読書メーター」を参考にして書いてみた。実際に「ごめんね でてこい」を読んだわけではない。
便利な世の中になったと思う。課題図書を購入しなくても、実際に読まなくても1,000文字程度の読書感想文は簡単に書けてしまうのだ。もう少し書籍の内容に踏み込めば、原稿用紙4枚は余裕で書けるだろう。
このような文章を読書感想文と呼んでいいのか?
あなたは、そう思ったかもしれない。しかし、あなたも読書感想文で評価されている作品を読めば気がつくだろう。じつは、読書感想文は本の感想を書く必要がない。自分の体験と書籍の内容を結び付けた創作活動なのだ。
Z会のサイトには以下のように書かれていた。
小中学生の頃、夏休みの宿題として出される「読書感想文」が苦手だった。本を読んでも感想など出てこなかった。「無」なのだ。すでに悟りを開いていたのかもしれない。
元々感受性が低い子どもだったのだが、今考えると経験が少なかったことが大きな要因だろう。残念ながら、まだまだ悟りの境地にはほど遠い。
だから、読書感想文の本を選ぶ際には、自分の経験に近い物か、まったく正反対のことが書かれた書籍がよいのではないかと考える。
酸いも甘いも経験した今なら、どのような書籍でも読書感想文が書けそうだ。
夏休みドンと来い!
と思っても、私に夏休みはやってこない。
その代わり、夏休みの宿題も無いが……