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「やれることからやってみた」noteに救われたライターの2024年振り返り

「今年のnoteまとめ」が届いた。
書き続けるためのモチベーションを支えてくださるnoteの心配りに、感謝!

開いてみると、よく読まれた記事3本、すべてスポーツコラムだったことに驚いた。

お読みくださった皆さま、「スキ」を届けてくださった皆さま、記事をマガジンに加えてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

「エッセイ100本チャレンジ」と名付け、noteに取り組み始めたのは2022年5月のこと。すでに2年半が過ぎたのに、エッセイはまだ33本しか書けていない。

このペースだと100本に到達するまで、あと何年かかるんだろう。

そもそもnoteでエッセイを書こうと決めたのは、ライターという職業は、もしかすると私には向いていないのではないかと、自信を失いかけたことがきっかけだった。

担当者に、想定外の方向から修正の指示を出される。
考え抜いて選んだ言葉を、いとも簡単に覆される。

「文章に絶対の正解はない」
「心の中には、人それぞれの辞書がある」

気持ちを整えようと、校閲講座に参加してみたり、文章づくりの記事を読み漁ったりして、心が震える言葉を受け取っても、胸の奥にどんよりとたまった澱みを拭い去ることはできないでいた。

そんなすっきりしない気持ちのまま、次の原稿の修正指示を受け取った時のことだった。どう読み返してみても、担当者の「好み」の文体に近づける意図しか感じられない指摘に、抗うことを心が拒否し始めた。

文章を「。」で切って二つに分けるか、「、」でつないで一つに収めるかといった、些細な表現の違いでしかなかったのだけれど、私にとってその一文は、原稿全体の核となる部分だった。

話をしてくださった取材相手が、最も大切にされている想いだったはずなのだ。それなのに……

「……もう、いいか」

それまで散々跳ね返されてきた「抗いの残骸」を思い出し、私は考えることを放棄してしまったのだ。

指示の通りに修正し、原稿は滞りなく校了を迎えた。

取材相手はとても喜んでくださったが、日が経つにつれ、私の中では後悔の想いがどんどん大きくなっていった。

仮に抗いを却下されたとしても、書いた意図をどうして理解してもらおうとしなかったのか。なぜ、もっと自信をもって自分の書いた原稿を……いや、取材相手から受け取った想いを主張できなかったのか。

一行への後悔が、私をnoteに向かわせた。

「書くことで落ち込んだ気持ちは、書くことですくい上げるしかない」

納得できない意見も、反抗したくなる指示も、聞かなかったことにしたいダメ出しも、何一つ存在しない世界。私が書きたいことを、書きたいように書ける場所として駆け込んだのがnoteだった。

ここなら、誰に忖度することなく表現の実験や勉強ができる。目標は、エッセイ100本の書き上げだ。

こうしてスタートしたnote活動。記念すべき1本目のエッセイは、作家・辻仁成さんのエッセイ教室の課題。「食と旅」をテーマにした作品の執筆だったのだが、提出日に間に合わなかった悔しさからnoteデビューとなった。

ここから、マイペースに身の回りの出来事をぽつぽつと綴っていたのだが、転機が訪れたのは、2023年秋に受けたNumber主催「スポーツライティング講座」だった。

本当は、スポーツライターになりたかった。

社会人になりたての頃は、今のようにインターネットで情報を集められる時代でもなく、地方暮らしの私には手の届かない別世界の、憧れで収めなくてはならない職業だと思っていた。

だが、見つけてしまったのだ。受講案内を。

思い切って参加したスポーツライティング講座では、世の中に出せない作品とはいえ、トップアスリートたちにまつわる素材をいただき原稿に仕上げたり、アスリート本人に取材を行って執筆したり、とてつもなく楽しい時間だった。

あっという間に過ぎた6カ月だったが、実はこの講座をきっかけに、noteにスポーツコラムを書こうと決心できたのだ。

講座の最終日、講師が受講生みんなに、かけてくれた言葉がある。

「やれることから、やればいい」

あぁ、そうか……。

今さら、スポーツライターなんてなれっこない。
取材もできないのに、コラムなんて書いちゃいけない。

……何をかたくなに、そう思い込んでいたのか。
書いてもいいんだ。やれることを見つけて、やってしまえばいいんだ。

そして書き上げた一本目が、柔道家・藤原崇太郎選手の世界復帰戦のコラム。今年、いちばん多くの人に読んでいただいた記事だ。

この世界への復帰戦の後、藤原選手はグランドスラム東京2024で優勝を収めた。いよいよロス五輪に向けて、ギアがあがっているはずだ。

2番目に、多く読んでいただいた記事がこちら。

元バレーボール選手としては、どうしても多くの人に伝えたいゲームだった。

何度も何度も世界の壁に跳ね返され、悔し涙さえ流れないほど勝てなかった日本男子バレー。それが今や、世界の3強に食い込もうかというほどの勢いだ。

パリ五輪では悔しい結果となってしまったが、あのイタリア戦で取りきれなかった1点を、どうしても書き残しておきたいと思っている。

そして、3番目に読んでいただいたコラムはこちら。

歴史に名を刻む活躍を見せた、今シーズンの大谷翔平選手。

40-40を達成したゲームは、後世にまで語り継ぎたくなる40盗塁、40本だった。その時、私が思い出したのは大谷選手が語った、自分の「才能」のこと。

打てる、走れる、投げられる……という力ではなく、大谷選手が大谷選手であることの証明のような「才能」の定義を、書いておきたかった一本だった。

オフシーズンの間に書いてみたいのは、地区優勝決定戦の対パドレス第1戦で放った3ラン。せいぜい野球素人の、大谷推しの “ひいき目” コラムだけれど、世界一を決定づけたのは、あの1本だったと思っているのだ。

他にも、高校野球や高校駅伝、箱根駅伝など、白紙のnoteを前に、うずうずするシーンが次々に生まれている。

あの日の講師の言葉に従い「やれることから、やってみた」。すると、書くことですくいあげたかった、ライターという職業であることの楽しさ、喜び、誇り、自信を、少しはこの手に戻せた気がする。

「2025年の記録」も、またこうして書き残せるよう、エッセイ100本目をめがけて真っ白なnoteに向かおうと思っている。  (終)

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