コロナ禍のトイレットペーパー
コロナウイルスにおる世界中の混乱。それをコロナ禍と呼ぶ。
この言葉が出始めたとき、読めなかった・・・。何?コロナなべ? コロナうず? 正解は、コロナか。すでに現在の常識になった。
これは私の感覚ではあるのだが、このコロナ禍。未来に対する漠然とした不安感を、未知の対象物・コロナウイルスに、投影したことによるパニックに思えてならない。
特に日本ではトイレットペーパーがなくなった。オイルショックの再来のようになぜか人は不安になるとトイレットペーパーを買いに走る。
なぜにトイレットペーパーなのか。他にもいっぱい物はあるのに。
ここはカウンセラーらしくエリクソンの発達課題を参考にしてみた。エリクソンの発達課題とは、人間にはいくつかの「発達段階」があると考えられる。そして、それぞれの段階において、課題があると考える。エリクソンはその段階を8つに分類し、それぞれの段階における課題を示したのだ。
トイレットペーパーといえばトイレットトレーニングの象徴。なので、幼児期前期の自立性vs恥の段階での課題があると考えられる。その課題で苦しんだ経験のある人は、目の前に大きな不安が現れると、トイレットトレーニングの失敗を潜在意識内で思いだし、お尻がムズムズしてくるのではないだろうか。そしてトイレットペーパーを買いに行きたくなるのかもしれない。
実際に、小学校に上がっても、たまにオネショをしていた私の姉は、「トイレットペーパー、買えたよ!」と、嬉しそうにラインしてきた。このように、私の身内では仮説はほぼ的中している(笑)