自分の名前が苦手
親から付けてもらったのだからそんなことを言うのは親不孝だと言う人もいるかもしれない。でも、どうしても自分の名前が苦手なのだ。
病院で名前を呼ばれる時、会食で名前の話題になった時、はじめましての人と名前を言い合う時、名札を着けなければいけない時。すごく辛い。心臓がドクドクして頭がくらくらしてくる。
学生時代、クラスメイトから「名前が残念だよね(笑)」と冗談っぽく言われた。大して関わりのない大人から名前をいじられた。私に言った本人からしたらそんなことを言ったなんてもう絶対覚えていないだろうし、私のことももう忘れてしまったのかもしれないけれど、この心の奥深くに眠ったちくちくしたトゲトゲのハリネズミみたいな苦しみは、深夜 仕事中 電車に乗っている時 友達とランチをしている時 急に発作のごとく思い出して私を苦しめる。偏頭痛のように痛み止めを飲めば治るわけでもなく、ただ苦しかった当時の自分に耳を傾け、前を向こうと必死にもがき苦しむ。
他の人からしたら私の気持ちはわからないだろう。そんなこと誰にも相談できないし、相談したところで大した悩みじゃないと言われてしまう程度のことなのかもしれない。
苦しい、苦しい、苦しい。この苦しみはどうしたら乗り越えられるのだろう。解決方法はあるのだろうか。ネットで色々検索しても沢山の本を読んでも結論はいつまで経ってもでないし、まあ仕方ないか、と自分に言い聞かせて眠りについて月日を重ねてきた。
そんな苦しみの中、恋人ができた。名前についてはじめて恋人が話題を出してきた時に、二度と私の名前に触れないでねって言ってしまった。恋人からしたら、私の悩みなんてわからないだろうし、頭の中ははてなマークでいっぱいだったと思う。でも、わかった。と言っていた。
数ヶ月経って、「〇〇(私の名前)の漢字にはこんな素敵な意味があるんだよ、すごく(私に)似合う素敵な名前だね」と言ってきた。親に名前の由来を幼い頃聞いたことがある。私の名前の由来は、父親の大好きな漫画のキャラと同じ名前であると言っていた。大の苦手な自分の名前をはじめて褒められて、なぜか涙が止まらなくなってしまった。嬉しいのか、やっぱり名前が嫌なのか、苦しいのか、少し解放されたのか、感情がごちゃ混ぜになって一気に私を襲ってきた。自分でもさっぱりわからなかった。涙が止まらなかった。涙が止まらない理由さえもわからなかった。
恋人が名前について庇ってくれたからといって、私のコンプレックスが一ミリでも無くなったわけではない。未だに大の苦手である。名前を変えたいと何度も願い、でも法律上でも社会通念上でもそう簡単に変えられるわけがなく、苦手な自分自身の名前で毎日生きている。不意に自分の名前について苦しくなってしまうのも変わっていない。病院に行くのも躊躇ってしまうほど自分の名前が相変わらず苦手である。自分の名前を自分自身で認めてあげられればどんなに楽になるのだろうか。人の目を気にして生きたくない。それでもまだ、人の目が気になって、自分の名前に怯えて生きている。もちろんこのことは恋人に一度名前のことは触れないで、と言ったきり誰にも打ち明けていないから、名付け親の両親もこんなに自分の娘が名前で苦しんでいることも知らないだろう。自分自身を象徴する名前がこんなにも自分の人生を苦しめるとは思ってもいなかった。この気持ちはきっとある一定の人にしかわかってもらえないと思うし、わかってもらえると思ってもいない。わかってもらうつもりもない。
でも、この気持ちはどこにぶつければいいのだろう。いつまでこの気持ちはついてくるのだろう。墓場までついてくるのだろうか。
そんなことを考えながらまた明日も自分の名前と生きる。うまくいかないことを全部名前のせいにして。