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「小さき声」 を聞け

こんにちは。あすぺるがーるです。


巷では、衆議院議員総選挙に出馬経験のある橋本琴絵氏のツイートが話題になってます。

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このツイートは、産後うつを経験された方々を中心に、大きな批判を浴びています。

橋本氏本人が行ったツイートではない、という説が浮上していますが、それはさておき。


このツイートの主が行ったことは、自分にないマイノリティー属性を、「甘え」 として抹殺することでした。

私たちは、このツイートの主と同じようなことを無意識に行っていないか、自分の心に問いかける必要があると思うのです。


中学生の頃、私にそれを教えてくれた本が帚木蓬生氏の『臓器農場』という本でした。


声なき者の存在と 「こころ」 はどこに

※この先、『臓器農場』のネタバレを含みます。これから読む予定の方はご注意ください。


聖礼病院に赴任した、新米看護師の天岸規子。

彼女はある日、病院関係者が 「無脳症」 という単語を発するのに気づきました。

そしてそれが自分の病院の産婦人科の 「特別病棟」 での恐るべき計画に関係している、と推測し、その謎を解き明かしていきます。



幾多の困難を経て、規子は 「特別病棟」 で起きていたことを日の元に晒すことに成功しました。


それは、冒涜的で考えさせられるものでした。



聖礼病院の副院長は裏で、若い女性を募っていました。

彼らは、若い女性を夫やパートナー、未婚者の場合はとある男の協力のもと妊娠させ、彼女たちに注射をすることで意図的に無脳症児を産ませました。


彼らは産まれた無脳症児を機械に繋ぎ、子どもの臓器移植が必要になったとき、その無脳症児から臓器を取り出して移植していたのです。

この計画の関係者全てに、多額の報奨金が配られていました。


臓器移植を必要とする子どもたちを一人でも多く助けたいと願い、この計画に携わっていた間島看護婦は、こう言いました。

自らを捨てて他を救う、純粋で根源的な例が無脳症児という存在 (P.489)



全ての真実が明らかになったとき、規子は間島看護婦に、こう返しました。

間島さんがいつか私に言われたのは覚えています。無脳症児は神様の贈り物で、それによって先天性の奇形を持った赤ん坊が全部救われるのだと。でも私は、どうしてもそうは思えないのです。頭がなくても、心臓や手足が動いていれば、そこにいのちが宿っている気がします
いのちは脳にあるのではなく、全体にあるのです。考えることや感じることはできなくても、いのちはあります (P.591)


間島看護婦は、この計画の関係者のなかで唯一の良心ともいえる存在です。


しかし、彼女は決定的なことを見誤ってしまいました。

臓器移植を必要とする子どもたちを助けようと思うあまり、無脳症児に 「いのち」 はないものとしてしまったのです。


それは、産声を挙げることも意志を持つこともできない無脳症児たちの存在や 「こころ」 を無視するもの、ともいえると思います。


「小さき声」 は聞こえていますか

世の中の人間は、マジョリティーとマイノリティーに大別されます。

しかし、人間は複数の属性を持ち合わせるため、全ての人がマジョリティーでもあり、マイノリティーでもあります。


さらに、ある環境ではマジョリティーである属性も、別の環境ではマイノリティーであり得るのです。


そして人は、みずからが持ち合わせていないマイノリティー属性を持つ人間の存在や 「こころ」 を抹殺してしまいがちです。


全てのマイノリティーの存在や 「こころ」を主張する声を、ここでは 「小さき声」 と表現します。

橋本琴絵アカウントの中の人も、間島看護婦も、この 「小さき声」 を抹殺してしまったといえます。


私たちは、この二人と同じ轍を踏まないようにしなくてはならないのです。


想像するのは難しい、けれど

自分が置かれたことのない状況の人々の心情を慮るのは、決して簡単なことではありません。


他者の心情を想像することについて、私がヘルプマーク広め隊アカウントで書いている記事では、このようなことを言いました。

人の苦しみを想像することは、決して容易いことではありません。(中略) だからこそせめて、目に見えるものだけでも正しく理解し、尊重するべきだと、私は思います。


今は便利な時代になりました。

ある状況について何かひとつでも言葉を知っていれば、本やインターネットがヒントを与えてくれます。


だから、何か発言をするとき、特に「小さき声」の主の批判をするときには、まずはその背景について調べてみてほしいのです。

本まで読む時間がなくても、インターネットならすぐに調べることができるでしょう。


何が自分の信じる理想を妨げているのか。

どうしたら、そこに携わる全ての人の苦しみを最小限に、理想に近づけるのか。


特に 「小さき声」 の主たちは、取れる行動の選択肢が狭く、声を挙げるのもやっとで、些細な批判にも傷つきます。


だから、「小さき声」 の持ち主の批判は、その声について調べ、傷つけないような言葉を選んで行ってほしいのです。


全ての人が、ある属性のマイノリティーであるとともに、他の属性でのマジョリティーでもあります。

「小さき声」 を聞くことは、全ての人のマジョリティーとしてのノブレス・オブリージュであると、私は考えます。








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