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Onset of lightgreen.

                          卑火蘇


むこうからやって来る野良犬はどこにももういなくなった。彼とすれ違う一瞬が好きだった。理性と野生のかけひき。わずかな間隔に彼の内なる熱も肌の湿度も感じ、時に、行く先に陽炎を見た。

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風鈴のピアノが、果てる狼煙の如く遠くしなびゆく。

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1【ナゴシ】

「来てくれたのね。ほんとに。ありがとうございます」

「あいつら。みんな眼鏡かけてたろ? おれは目ん玉撃ち抜かれようが眼鏡なんか最期まで死んでもかけねぇ」

「お邪魔ですの?」

「世の中が見え過ぎちまうと、目の見えねぇ自分が見えなくなっちまいそうだ」

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大阪に上り、空き昼の空、一方通行。雑踏を歩み、ヨシオはナゴシに餃子をご馳走になった。それは良心からであったが、下の名が思い出せぬ。

「どうぞ、お風炉になさいまし」

ヨシヲは銭湯に入った。

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2【 Dr. 】

「よく来れたな」
国の山壕の中へ。指す。駒を並べていく。

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牛島は一枚一枚彫刻刀で削り鑢で磨きつ並べいく。ヨシヲは無造作に。終わった。負かされた。駒を並べ直す。輝く駒とヨシヲの駒が交じり合う。互いに悪いと思う。

「リ…」と一つ鳴り切る前にドクターは受話器を抜いた。黒電話は八原から。牛島は用があるから5時以降にしようと言う。ヨシヲはワタシの帰る時刻は、5、6時なのだと思う。

「試験はどんな調子だった?」 

ヨシヲは何と答えてよいか分からなかった。

「まずまずだ」

と浮かび上がるワタシは答える。牛島はみるみる怪訝な態度になった。


3【オオタ】
裏千家の箱部屋。大田に会う。大田のその満面に、ヨシヲは裏切りの親類に再会した己の顔(ああ。メンドクサイ)を思った。

「実は、ここからは地域に住んでいる。開業(大きく)しようと思う(美容院と整体院)。前は小さくやっていたが、コツが分かった。バーンとやってみようと思う」

「待てっ。あそこは強い奴(美容院)がいる。それに岡山の友達がすぐにあそこで開業する(整体院)。競争が激化する。少し待て」

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「……だからお前に相談したくなかった」
怒りに噴火しそうな顔のくせに弱弱しい大田。

「……知りたくもないことを知らせる。貴様は……いつもだ」

judoをする。ヨシヲが大田を抑え込んだ。二十秒で一本。周りに審判(爺婆)が五人いる。大田が逃げる。ワタシが抑えている。爺さんは、

「解けた」

という。抗議する。

「生態のルールだ!」

と、爺さんは刀の鞘の先で私の頭をつついた。

「judoのルールでやれ」

とワタシは言う。ワタシは、次に甘い段階で、

「抑え込み」

を自ら猛る。素人には分かるまい。そして、だいたいの見当(20秒)で

「ニッポン」

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と吠え勝利の判定を下した。ワタシは威張り、大田はルールゆえにフンッとした顔で涼しく、八原は観客席からモラハラのために悔し泣きしている。


4【イサム】
夏。猛暑のうどん屋。蒸した。長火鉢のカウンター。冷房がない。ニッカポッカにねじり鉢巻きの青年。彼とヨシヲ以外は皆うちわを振っている。ヨシヲの前で立礼しワタシの隣に腰掛けた。18か20才前後か。向こうはヨシヲを知っている。ヨシヲは(イサムを)思い出せぬ。

「ここのうどん。美味いっすよね!」

それでワタシはここのぶっかけうどんの美味さを思い出し、

「おばちゃん。ぶっかけうどん二つ」

しかし、切らしていると言う。そこで、土壁の和紙にマジックインキの文字を朱線で縁取った品書きを見、

「特ワカメうどん」

(これも美味かったはずだ)を頼む。ビールを一本頼む。

「後で大型を転がすから無理っす」

「ワタシが飲むからいい。分かってる。『が』が二つ要らねえんだろ?」

ヨシヲは¥1,000で行くと思っている。ワタシは¥2,000必要だなと思う。

「銭湯に行けよ」

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ニッカポッカの後輩は、

「先輩。ぼくは差別用語の持ち主じゃけえ」

彼は椅子から立つと、動き出した。ロボットのようだ。後ろ姿が差別用語の脚を引いている。

「ぼくらは不具者じゃけえ」

ワタシは銭湯に入りたかった。昨日の風炉を探す。職員室の看板のように壁から突き出る木板の名札に『——の湯』とある。木板の名札が延々に続く廊下。皆、貸切り。軒並み、

「——社。御一行様」

と垂れ幕がぶら下がる。ワタシはそれでも覗いて見ようとすると、

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5【フジオカ】
フジオカが、

「そこには入れない。見るな」

と言う。

「何時に帰るんだ?」

とフジオカが聞く。まだ朝8時ほどだった。

「昼前の新幹線に乗ろうと思う」

「そうか。帰れよ」

とフジオカは言う。店をフジオカと出た。アーケードの商店街を抜け、高台から国の駅を見下ろした。乾いた黄土の平原。その向こうに老いて褪せた緑の草叢が派生して、薄青空はワタシの視野いっぱいに広がっている。

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爽やかさとは懐かしさだ。清冽だが、それでもまだ清掃には及ばぬ風が吹き抜けた。

「上り方面へ御乗客予定のお客様へお伝えいたします。本日より3日の期間、試験合格者3万2000名様の輸送を優先的に行うことを国は決定いたしました。なお、キャンセル料金に置きましては国は優遇措置を施します。走行距離・運賃に係わらず最低、試験の受験資格12か月分の費用を保証し、乗車券はこれとのみ交換させて頂きます。難関の合格率は周知の通りでございますが、ぜひ、御受検下さいませ。あるいは国の勝手とも存じておりますが、なにとぞご容赦の上どうぞご理解下さいませ」

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ラッパの拡声器が発していた。国の駅から大音量のアナウンスが町中木霊した。

「インチキ。分かるだろ?」

フジオカは国の駅への方角に向かい、ヨシヲはそれについていく。フジオカが国の駅の手前を通り過ぎた。ヨシヲはそれにも従った。国の駅前の東通り商店街へ向かっていた。ヨシヲは歓楽街に行くのだと思った。

フジオカは裏切った。市電の改札をくぐったからだ。構内をいくと、先にファッションが感染した女子高生3人が物真似笑顔で話していた。真ん中の子だけ素敵だった。

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一番小柄だったが一番利発そうだった。金髪を黒髪にして生粋の日本人に戻したかった。フジオカは彼女に近寄った。見下ろすほどに彼女の目の前に立つと右手で彼女の額に触れた。そしてその黄色のバンダナを解き放った。

フジオカは自らのビジュアルにまかせて彼女に何か一言言った。下りの電車に乗るためには階段を上り高架橋を渡らなければならない。少女たちが歩くワタシたちを見上げて憧れのように手を振ってくる。

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真ん中の少女の顔面がフジオカに変貌していた。フジオカとワタシは横に並ぶ。歩く。歩く。フジオカはワタシよりもとても小柄になっていて、その容姿は黒髪になったあの少女だった。

可愛らしくて、抱きしめたかった。

「フジオカ。忘れられないんだろ? 6年生の時僕の掌に鉛筆を突き刺したこと」

「俺は皆に床の上にはがいじめにされた。クラスの全員が俺を取り囲んで、全員がお前には俺を殴る権利があると言った。そして、お前はおれの頬をその掌で張った」

「僕には分からなかった」

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「俺もさ」

「だが。エクスタシーも感じた」

「ああ。お前が人を動かしたのか、俺が人を動かしたのか、謎だった。それで俺もお前も結局試験を受けた。そして両方受かった」

「その通りさ」


「右手を見せろよ。刺青になってんだろ? しかたねぇ。来いよ」

少女が言った。ヨシヲは右手を差し出した。彼女は自分の左手をヨシヲの掌にソッと合わせた。濡れていた。一途にしっとり。


6【ヨシヲ】
芝生の上に抑え込まれた。フジオカの顔をかいくぐり空が曇る。黒雲が遅く流れる。霧雨。ヨシヲが少女だった。仰向けに両肩を抑えつけられていた。

フジオカの肘は力強く伸びたままだが、まるで飢えて痩せた筋肉質のハイエナだ。その覆い被さる裸体も表情もれっきとした獣だ。

頬の筋肉が削げ目はカミソリの刃。ワタシは怯えてもいないのに顔を再び横に反らした。期待であり、それはむしろはにかみだった。牙から滴る涎みたいに、フジオカの上半身からは汗が噴き出した。

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一滴一滴が少女の衣服と少女の顔にこぼれ落ちた。しかし不快ではないのだ。ヨシヲは少女の感性を味わい、そしていちいち呑み込むように確認した。ワタシの中の生き残りの性はこのように出来ているのだと納得した。


7【護送院宝物庫】 
         
『人を深く感銘させ涙を誘い心に沁み渡らせる芸術こそ、髪を楽しませる。人が知らない動物の生態の一面を垣間見て感心するが如くだ。分かるかい? 優れた者と劣った者とはそういう立ち位置なのだ。勘違いするな。

希望や絶望とか、諦めるなとか無駄な抵抗は止せだとか、環境だとか素質だとか、教育云々とか、人の作り上げた社会そのものも含めて彼らはヒトの生態の一部なんだよ。

ゆっくりでいい。分かる筈だ。人にとって鳥もいろいろいるだろ? 魚でもいい。その生態の違い。珍しい生態を眺めることは楽しいじゃないか。それと変わりゃしない。人が他の生物を観察するのと本当に同じなんだよ。

そう聞けばヒトに……君に空しさや怒りの感情が湧き出ても、これも彼らには彼らの興味をそそる対象でしかない。ワタシたちがそう反応することが彼らには普通に楽しい』

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賛同した。少女は逆さ吊りに絶叫した。全裸。開かれる股間が痛い。左右から両方の足首を細いロープで結ばれていた。地上2mの高さに足場を築いた左右の架台から滑車で引き上げられた。

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動力は左に男女の認知高齢者、右に男女の小学生。無理に少女を引き上げようとする。指揮はサングラスのフジオカが執る。背景にダ・ヴィンチの晩餐が3畳に拡大されてコンクリート壁に貼られている。

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「ヨイショ。ヨイショ」

左右から音頭が掛かりワタシは逆さに宙に浮き上がる。ショートの黒髪。浮き出た鎖骨。熟していない乳房とその豆。静脈の鮮明な青。腕は下垂し腋にわずかな産毛。ぷっくりとした下腹部。陰毛。足が鋭く開脚されている。

天井から男性器になぞらえた一本の棍棒が突き出す。ワタシはそれを目指す。どれだけの開脚が必要なのか。我慢が必要なのか。ワタシは上昇と下降を幾度も繰り返した。

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「よいしょ。よいしょ」
老人と子供の明るい声。問題は逆さに上昇するということで頭により血が上ること。鼻血。目に熱湯を感じた。股間の痛みが消え、恐ろしい予想がよぎった。ところが、ほんのもう少しで棍棒がワタシの女性器に到達しそうだ。

「ヨイショ。よいしょ。ヨイショ。よいしょ」

と老人と子供の明るい声が愚直に加速していく。棍棒がワタシの陰核と陰唇と膣と肛門と尾骨を舐めながら彷徨う。歯を喰いしばる少女の下唇から出血があった。少女は鼻血を撒き散らし、口から血を吐き散らし、

「上の穴なの? 下の穴なの?」

と鳴いた。フジオカはカメラのファインダー越しに言う。

「ここから先に作為はない。あってはならない」

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時間は素早く流れた。素早く差し込んだ。棍棒はワタシの膣に届いた。シャンプーのような少女の液。差し込まれた。血が逆流した。脱力。股関節に無痛の違和感が、しかし脳裏の片隅、

「ぅぅ」

嗚咽した。エクスタシーがワタシの心のすべてを溶かした。フジオカの仕上げた写真はレクのように軽く明るかった。少女の絶頂より、老人と子供の共に無邪気な笑顔が労働者の汗を嗅ぐわせていた。

フジオカはマジックで写真にテーマ(題名)を書く。『ボラティア』。『ン』の字の撥ねが少女の首を刈った。1人の男の子がフジオカへ提案した。

「前の写真のほうがいい。もう一回やるから撮ってよ」

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少女は動けない。イッてもいたが股関節が右も左も脱臼ていた。少女の遥かなる感情がその写真を見たいと欲した。

「これ以上の感情なんてない。この上の心なんてない。(殺す)」

少女の本性がそれ以外を認めない。少女は這って場面(シーン)に辿り着いた。見上げると、その男の子ともう1人の女の子が2人で演じていた。

背景はライトグリーン。草原が涼しげに靡く。先頭正面。制服の少年少女は、風を誘うよう身体を前後左右に揺らした。いきなり項を反り上げ激烈に首は前後に振り続けられた。それを合図に塑像の空間に(旋律)が忍ぶ。

(旋律)はフジオカ諸共たちまち空を染め始め、やがて草原が萌えた。彼ら2人の(舞踏)と(旋律)でライトグリーンは発火した。フジオカが瞳に涙を溜めて囁いた。

「文字絵筆で『旋律』など説明できぬわ」

草原がパチパチ萌える。

【よい音楽とは一点の句読点も解釈もない曇りのない風だ. ただし. その風は毒か薬の粒子を必ず含む. 汚染か浄化か. 聴く者にそのどちらかを強制する. by リンダ】

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ワタシは泣いた? 音楽と一体化した2人の子供がライトグリーンを増幅させるマジックに? 少女もこらえきれず感涙していたが、最後までその種も仕掛けも探そうと懸命だった。その末息絶えた。

サングラスのフジオカはスタッフに向かい拍手する。少女の亡骸に、子供らに、高齢者らに。自らの口元の笑みに。2つの種族は歓喜か謝辞の2通りの返礼でフジオカに示した。ワタシは少女の遺言(遺志)を1つ果たした。

フジオカのサングラスに超小型カメラが仕込まれているのを発見した。

カメラがファインダー越しの一瞬を盗んだのではない。サングラスがドキュメントの如くすべての光景を舐め尽くし貪っている。今も。フジオカは転送、献上し続けるのだ。努力の尊、滑稽、切実、甲斐、無駄。欲を。

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8【八原】
梅が開いた朝。霜が降りた。
児童・高齢者リンチ殺人事件。

死刑執行60分前:「神様ってホントはいないのでございましょ?」

爺婆:「神のことはお前が殺めた4、5才の子供たちが一番よく知ってっている。『変身』『魔法』。誰も変身したい。魔法を使いたい。自分も他人も変えたい。だから、それができる神に祈る。手を合わせておねだりするのじゃ」

死刑執行50分前:「今からでも受験すれば天国に行けますか?」

児童:「殺人も自殺も死刑もその共通は人の命を奪うことでしょ。あなたはすでに試験に合格しているんでしょ。殺ったんでしょ。人のできる唯一の『変身』。それは有から無になることでしょ。

生きているということから死ぬということの変化。神が人に与えたただ1つの奇跡の術でしょ。あなたはそれを行ったのでしょ。だから今度はあなたがそれを受けましょ。奇跡を受けましょ」


死刑執行30分前。:「信仰がありません。死ぬのが怖い」

八原:「心配ない。皆一緒だから。ただあなたが心から一番愛したもの。それは『男性』と快楽のためのセックスです。性交渉です。マスターベーションをなさい。ふしだらではありません。

それがあなたの信仰です。きれいなことです。本当にきれいな行為です。人類皆、死の恐怖から身をかわしながら生活しています。そのための信仰でありモラルであり法律であり自殺です。優劣などはありません。

心の中、誰を思ってもいいのです。あなたは、イくことで恐怖から身をかわせます。やがて汚れた『生』から新しい『白死』に変身します。転送されます。必ずそうなります」


9【アユミ】
死刑執行5分前

最終質問:「——」

歩未はキッパリと言った。

「恥ずかしいのですが私3分でイケますの。ありがとう。私。あなたを想わせて頂きます」

道が抜けた。死刑執行直後3分。
ツェレ室の鉄格子。虫か草花の息でも聞こえればいいのに。ワタシもイッた。同時に。

検死確認終了。名越 歩未(享年97歳)。

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舌を出しビッコを引く野良犬が突然歩くのを止めた。風鈴のつぶやき。立ち止まったまま首だけクルリと振り返った。すれ違ったDr.の後ろ姿を見つめている。

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流氷の飛び石を歩んだ。
                               (了)









































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