「上も下も多様に分散しがちな性」はどちらなのか:男性と女性のパワーバランスをめぐる言説の類型化
はじめに
弱者男性言説などを観測しているかぎり、結局のところ男性と女性のどちらが生きやすいのかと言うことに関して、はっきりとした見解をつくることが難しいのではないかと思える状況である。もちろん、SNSでは必要以上に強調される承認の次元での男女のパワーバランスの問題はそれとして、基本的には、承認の次元よりも経済や生存に関わる次元を考慮して強-弱を判断するということが必要である。それにともなって、どのような状態が悪質な非対称的構造にあたるか、それを「差別」と呼ぶか、「排除」と呼ぶか、なにか他の呼び方をするかということも、そのような形勢判断にとって必要である。
以下では、男性/女性×強者/弱者の4つのカテゴリーのパワーバランスの順位のモデルを提案し、関連する言説の類型化を試みたいと思う。それは強者>弱者という力関係は変わらないにせよ、強者と弱者それぞれを細かく見ていくと、強者と弱者それぞれの世界で男女の生きやすさが反転しているのではないかという着想に基づいている。
1. 上には行けないが最低限を保証された女性⇔上に行くチャンスが女性に比べて多いが落ちぶれるとケアを失って露頭に迷う男性
一つ目のモデルが「上には行けないが最低限を保証された女性⇔上に行くチャンスが女性に比べて多いが落ちぶれるとケアを失って露頭に迷う男性」という構図である。
生きやすい順に、
強者男性
強者女性
弱者女性
弱者男性
ということである。
つまり、男性がハイリスクハイリターン、女性がローリスクローリターンな人生を強いられているという構図である。
この上半分の構造のみを取り上げるのが、白人フェミニズムやエリート女性のフェミニズムである。
この下半分の構造のみを取り上げるのが、ステレオタイプ的な弱者男性言説である。
2. 身分が高いほどリベラルになり、仕事も家庭も選択肢があるが身分が低いと男性に従属しがちになっていく女性⇔身分が高いと上に行く以外の選択肢を狭められるが、身分が低くても女性を従属させる権利は保証された男性
二つ目のモデルが「身分が高いほどリベラルになり、仕事も家庭も選択肢があるが身分が低いと男性に従属しがちになっていく女性⇔身分が高いと上に行く以外の選択肢を狭められるが、身分が低くても女性を従属させる権利は保証された男性」という構図である。
生きやすい順に、
強者女性
強者男性
弱者男性
弱者女性
となる。
つまり、女性がハイリスクハイリターン、男性がローリスクローリターンな人生を強いられている。
この構図の上半分が見えていると、「○○の業界では男性より女性が優秀だ」、「エリートの世界の一部では男性より女性の方が生き残りやすい」という証言が出てくる。
この構図の下半分が見えていると、家父長権力規範の強い地方で収入の低い男性と一緒になってジェンダーロールに従って生きる女性や、ジェンダー規範による女性像に基づいたケアなどの価値を売りにして庇護を得ざるをえない女性の問題が出てくる。