映画 ブレードランナーを観た感想

*ネタバレ注意

ブレードランナーはリドリー・スコット監督によって1982年に公開された、レプリカントと呼ばれる人型アンドロイドとその抹殺を職務とするブレードランナーである主人公の戦いを描いた作品である。


この映画の要素は大きく分けて2つ、すなわち主人公とレプリカントの戦い、そしてレプリカントの人間性や尊厳といった生命倫理に関する側面である。

前者は初めに抹殺すべきターゲットとして提示された4人のレプリカントとの命のやりとりに関する事柄である。もっとも内3人についてはアクションという点で見ればさほど密度の濃いものでは無い。(1人目:逃走する所を射殺、2人目:主人公が一方的に殺されかけた所をヒロインの助太刀で射殺、3人目:人形に擬態して奇襲された所を返り討ち)
しっかり尺を取って主人公と殺し合いをするのはクライマックスとなる4人目の男性型レプリカントとの戦いのみである。ただ、これに関しても主人公が戦闘が始まって間もなく手の指を折られてしまい基本的には手負いの主人公がレプリカントから逃げ惑い建物を飛び移るという内容になっている。(身体能力はレプリカントの方が圧倒的に高い)そうした中でも緊迫感を感じるのは作品全体で照明が暗めに設定されていることで不気味さや恐怖を演出していることや、登場人物の死に様の生々しさ故だろう。

この作品の長所はアクションよりも寧ろレプリカントを巡る生命倫理や、作品を彩る世界観・雰囲気作りにあるように思う。
この作品は独自の世界観の作り込みにとてもこだわりを感じる。レプリカントと人間の判別を補助する装置や空飛ぶ車を始めとした機械類や半端に日本的なものを含んだ雑多で退廃的な街並み、終始照明が暗く、あっても青系のもので鬱屈した雰囲気作りを徹底している。

そうした世界観の上に形作られ観客に投げかけてくるレプリカントの生命倫理の問題はこの作品の核心とも言えるだろう。
人間とロボットの境界線はどこにあるかといったテーマは少なく無い作品が掲げてきた。
この作品においてレプリカントは心理テストのような抽象的な質問を苦手とするという差異などはあるが、ある程度の時間で心が芽生えるという設定である。そして彼らは安全装置として与えられている4年という寿命を延ばす為に地球に来ており、殺害したある人間もいるものの基本的に殺戮を楽しんでいるというような描写もない為レプリカントの人格が残虐という訳ではない。生命倫理の問題を特に深める要素として4人目のレプリカントと、ヒロインとなる5人目のレプリカントが挙げられる。レプリカント達は自身の設計者に詰め寄り寿命を延ばす方法を聞き出そうとするがそのような方法は存在しない事が明らかになる。そんな中、4人目のレプリカントは恋仲である3人目のレプリカントを主人公に殺害されそのまま戦闘することになるのだ。この4人目のレプリカントが主人公と戦う理由として考えられるのは
1:自身が殺されない為
2:他のレプリカントの敵討ち
3:残り短い余生を刺激的に彩る為
4:主人公に自身を強く印象づける為

この4つだ。
4人目のレプリカントは本気で殺そうと思えば主人公をさほど苦戦することもなく殺害することが出来たはずだがあえてそれをせず逃げる時間を与えて戦いをゲーム扱いしている部分がある。それだけなら仲間の仇を取る為により苦しませてから殺害しようとしたという解釈もできるがこのレプリカントは建物から落ちる瞬間に引き上げて命を助け、最期の言葉を残して寿命を終えるのだ。

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」

この思い出も時間と共にやがて消えるというセリフから主人公を助けたのはせめて誰かに自分を覚えていて欲しいという思いが勝ったためなのだと思う。

ヒロインとなる5人目のレプリカントに話を移す。このヒロインは他のレプリカントとは事情が異なり実験的に人間としての偽の記憶を植え付けられており、自身がレプリカントであることに気付いたことで脱走し主人公のターゲットとして追加されることになる。そして2人目のレプリカントに殺されかけていた主人公を助けたこともあってか主人公と恋仲になる。主人公も抹殺任務にある身として葛藤があったであろうが共に生きることを選択し2人での逃避行を始めるところで映画は終わる。レプリカントの人間性を深く問いかけたから役目であった。

終始重苦しい雰囲気の映画であったがそれだけの見応えのある作品だったように思う。

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