Good girls go to heaven, bad girls go everywhere. いい娘は天国へ行ける。そして、悪女はどこへでも行ける。
最近はニュースを開くと宗教関連の見出しばかりでうんざりしてしまうのだけど、そのせいで思い出したことがある。
私も幼児期、母に連れられてとある宗教団体に出入りしていたのだ。
私の母はなんというか、多感で情緒不安定な女性だったので、若い頃はいろんな宗教に勧誘されては入り、人付き合いに疲れては離れ、また勧誘されては入り、ということを繰り返していた。
その度に、まだお世話が必要だった幼い私や下のきょうだいも、その“場”に連れて行くことになったのだ。
とはいえ私がそういう“行事”に参加していたのは、小学校中学年までだ。
その“行事”の行き帰りの車の中で、中年の女性たちは口々に言い合っていた。「良いことが起こったら○○さまのおかげ、悪いことが起こるのはお祈りが足りないせい」。彼女たちはむっちりと太り、あるいは貧相に痩せて、授業参観に行くような小綺麗な服を着て、似たようなお香の匂いをさせて、そしてみんな揃って死んだ魚のような目をしていた。
人間の善悪の判断にも発達段階があって、幼少期のそれは周囲の大人の善悪の判断を真似ることから始まるのだが(「これは正しい、これはしてはいけませんよ」→これをするとママ怒られるからやめよう、これはいけないことだってパパが言ってたからやめよう)、成長するにしたがって、だんだん物事を客観的に見られるようになると、自分の中にその基準を持つようになる。
当時8、9歳だった私は本気で思っていた。
病気が治るのはお祈りのせいじゃなくて現代医療と本人の努力のせいだし、受験に受かりたいならするべきはお祈りでなく勉強だ。結婚相手を探すなら外に出るべきであって、家の中に引きこもってお経を唱えてるなんて意味がない。悪いことが続くなら原因を明らかにして適切な対処をするべきだし、原因が変わらない限り祈ったって何にもならない。
そんなこと、子どもの私にだってわかるのに、と。
母が信じる対象をコロコロと変えたことも、私に大きな影響を与えたと思う。
昨日は正しかったものが、今日はもう正しくなくなる。
昨日まで偉大な人だったものが、ただのおじさんになる。
そして、今度はまた全然別の、“正しいもの”を信じなさいと言われる。
(この手の宗教は同時並行で信仰するのが難しいのだ)
私は母に一度聞いたことがあるが、母は聞こえなかったふりをして、そのまま質問には答えなかった。きっと母自身よくわかっていなかったのだろう。
そして私も、彼女が答えられないことを知って聞いていた。
小賢しい子どもだ。
***
(もちろん、今になって思えば、それがある種の救いになり得ることも理解できる。当時の私は知らなかったけれど、この世には理屈で割り切れないほど酷いこともたくさんあるから。そういう人智を超えたものに立ち向かいたい時、宗教とか祈りは拠り所になる。誰だって、死を本気で意識したら、神様の名前を口にしてしまうものだと思う。)
とにかくそのせいで、周囲の大人が“常識”とか“普通はこうする”と言うものに対して、懐疑的になる癖がついてしまったように思う。
周囲の大人は時々おかしなことをしてる。
うっかりしてると、そういう渦に巻き込まれておかしな所へ引きずり込まれてしまう。自分の頭できちんと考えないと、と。
彼らは、「ここで私たちと祈っていれば、何も怖いことは起こらない」と言う。「ここで私たちと祈っていれば、天国へ行けるわよ」と言う。
でも私は、そんな得体の知れない人たちと一緒に行く天国なんて真っ平御免だった。本当にあるかわからない天国のために、薄暗い部屋でただただ祈るよりも、私は外にある現実を生きたかった。思う存分現実を生きて、神様でなく自分の力で幸せになりたかった。
そしてその思考は、私の生き方そのものに大きな影響を与えたと思う。
***
“Good girls go to heaven, bad girls go everywhere.”
良い娘は天国に行ける。でも、悪い娘はどこへでも行ける。
タイトルにあるのは、とても古い女優さんの言葉だ。メイ・ウエスト。調べると色々センセーショナルなことをしてきた人みたいで、この名言を残すに値する人生だったのだと思う。
彼女は自分がgood girlでないことを知っていた。きっと、天国に行くこともないと思っていたんだろう。
もし、天国にいないのだとしたら、今頃、彼女はどこにいるんだろう?
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