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つながりはじめる時

土曜日は朝のうちに、とても久しぶりに。。。雨らしい雨が降ってくれた。
併せて小一時間鳴り続けた雷の音を、
妙に有り難く感じたのは人生初の経験だったかも。

少し気温も落ち着いてほっとする週末だった。

そして、
あっというまに全身に行き渡ってしまったその「ほっとする」感に、
早朝には持っていたはずの「気合い」は、あっけなく侵食される。

午後からは仏教講座もあったので、
予定していたシゴトは先に組み直して、
少しまとまった読書の時間を取ることにした。

2年位前から日本の歴史について学び直している。
といっても本を読むだけだけど。

高校生の時、「世界史」を選択した事は覚えている。
「日本史」の授業は全く受けなかったのか?

授業の内容も含め、怖ろしほど記憶がないくせに、
日本史の先生がかっこよくて、
世界史の先生が、近寄りがたいような厳しい雰囲気を背負った女の先生だったことははっきり覚えている。
先生の声やしゃべり方、
少し前のめりになって話されるその姿勢や、教科書の色まで。

一方、かっこよかった日本史の先生の声やしゃべり方など、
全然記憶にないので(お顔や立ち姿は覚えている)、
おそらく日本史の授業は受けていないのだろう。と思う。

ハナシが逸れたが、記憶のポイントっておもしろい。
数学は大好きな科目だったけど、教科書の色なんて覚えていないしな。

というわけで、私の日本史の知識は中学生レベルだが、
その中学生の歴史授業も全く記憶がないのよね。
自国の歴史くらいは知っておこう。
と、この年になって初めて思ったのもどうかと思うが、思わないまま終わるよりはよいとする。

できるだけ、
同じ時代の同じ出来事について何冊か同時に読むようにしているけれど、
その歴史の本で知る事が、
興味の赴くままに読んだり学んだりしていることとつながってゆくのがおもしろい。

例えば、
日本仏教講座で教わることや、
昨年読んだ「日本文様 その歴史 樹下龍児著」で知ったこと、
折ある毎に開く折形関連の書籍など、
自分の中でつながると、初めて残ってゆく感覚がある。

あの頃の私は、いろんな事がつながらなかったんだろうなぁと思う。
もらってももらっても、ぽろぽろとこぼしてしまって、
拾い集めることもしなかった。

もったいない時代だったとも思うけれど、
とにかく興味がなかったんだろう。

私にとって記憶できるポイントが、興味の有無であるなら、
あの世界史の先生に、17歳くらいの私はすごく興味があったのだ、と今思う。
理由は今でもわからない。
すごく知りたいと思うけど。


画像は全くつながっていませんが、
処暑の頃のイメージで作った折形(半紙使用)です。

きげんよくいきましょ。
藤井あき乃


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