捨てられないノート 懐かしい字は…
きれいな文字を書く人だった。
その字が書かれた1冊のノートが、捨てられないでいる。表紙にタイトルが書かれ、中は最初の2ページだけが使われている。10年前の日付と、購入した物についてのメモ。備忘録のようなものだ。壮年期の字とは違って、ややたどたどしくはあるが、丁寧な文字面は間違いなく、懐かしい父の手である。
その父が書いた大量の書類を今年の2月、実家の引っ越しを機に、すべて、丸ごと捨てた。いま流行りの「断捨離」である。
父は昭和一ケタ生まれ。軍人だった祖父の赴任で満州で暮らしたこともある。終戦前は熊本の親戚宅へひとり預けられ、戦後は宮崎の片田舎で一家で過ごした。大学入学で上京、昭和30年代に民放ラジオ局の技術者になった。
書類はその父が、12年前に退職するまでの半世紀の間に書いたものだった。機械の改良や特許取得のために、計算した数式やグラフを記した分厚い手書きの論文。厚さ7、8センチほどもあるバインダー数十冊に収められ、6畳間の壁一面に並んでいた。
すでに論文はただの思い出に過ぎなかった。書いた時には価値があったが、とっくに陳腐化してしまったアナログな技術だ。引っ越しは「いい機会だから」と、「とってあった」多くのものを捨てた。父の丹精込めた論文もまた、不要なモノとして、廃棄物処理業者に引き取られ、処分された。
思い出すのは、薄手で水色の罫線の方眼紙に鉛筆で書かれた、丁寧で几帳面な父の文字だ。そこに注いだ時間と情熱が伝わってくる。温厚だった父の性格も表れているような気がする。何より、仕事から帰って、夜、蛍光灯の下のちゃぶ台(文字通りちゃぶ台だった)で、正座でこつこつ書いていた父の姿が思い出される。
こんな風に書くと、まるで父がすでにこの世の人ではないように聞こえるだろうか。
半分は正しく、半分は当たらない。認知症が進み、体はまだこの世に残っているものの、こころは半分くらい失くしたような状態だからだ。今は実家近くのグループホームに入っている。
記憶のほとんどはすでに手放し、私が娘であることも分からない。何かの拍子にふっと回路が通じる瞬間があるのだが、それもどんどん頻度が落ちている。幸い、その場の受け答えはできるため、コミュニケーションはまだ取れる。好き・嫌い・寂しい・うれしい・ありがたい、といった感情があるのが、かろうじて残る人間らしさか。
あれほど几帳面な字を書いた父が、いまやもう文字を書けない。読むことすらできないのだから、当たり前だけれど。温厚な性格はそのままながら、文字を忘れてしまった。父の、あのきれいな文字にはもう二度とお目にかかれないのだ。
仕事人間だった父の、生きた証ともいえるような書類をすべて捨ててしまった――と、失ってしまったものを思って、今も時折心がうずく。書類の価値は、内容ではなく、書かれた文字にあったのだ。最も仕事に打ち込んだ時期の、力みなぎる文字ではないけれど、手元にいまあるノートには父の字が残る。そう思えばこそ、その字が尚更いとおしく、かけがえなく、捨てがたく、感じられる。
断捨離の際、白紙部分を有効活用するからと、もらってきたノートなのに。なのに、いまはもう、使うことも捨てることもできないでいる。形見分けじゃないのだが、なんだか、これを使ってしまったり捨ててしまったりすると、本当に父が消えてしまうような気がして。
そんなことを考える葉月。
夜の秋ノートに残る父の文字
(2017・8・21執筆)