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自分の人生を生きたらいい
はじめに(いつも書いてること)
このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。
※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。
今回の内容
各種SNSでみんながいろんな発信をしていて、「充実した人生を生きてるんだろうなー」って思いながらも、「これらの発信を見て、自己嫌悪や自己否定に陥る人もいるんだろうな」と感じました。
このnoteは、「自分の人生を生きたらいい」というメッセージを伝えたくて書き始めています。
「伝えたいことを伝えるために何か良い記事はないかな」と検索したら、こんな記事が出てきました。
とても良い記事でした。
少し引用します。
「自己肯定感」は「自分は自分のままでいいんだ」と認識すること。最近なんだかモヤモヤを感じている。『自己肯定感』という言葉が一人歩きし、誤った解釈を生み出しているように感じるからだ。
たとえば、「いつまでも美しく!自己肯定感が大切!」といったように、「何か秀でた条件を得る=自己肯定感を得られる」といった解釈で、自信と自己肯定が混同されてきていることに違和感を覚えてしまう。自己肯定感を上げる方法としてよくある「日常のささいなことから自分を褒める」という方法が、いつの間にか「自分の容姿を褒めること」という解釈で伝言ゲームのように、上部だけの情報として広まっている。
「実際はブスなのに自分を褒めるなんてナルシスト。自分を褒められる人は元々きれいな人なんでしょ。私には無理」という意見も見かける。
他人に言わない限り自分の心の中は自由なはず...と思いつつも、自己肯定感の捉え方がどんどんずれてきてしまっている印象を受ける。
本当の意味での自己肯定感は、「完璧ではない自分もOKと認める感覚」や、「自分の気持ちを大切にする感覚」であって、美しさや一定の条件を満たすことにより「上がるもの」ではないと思う。
傷ついている人がやるべきなのは、自己肯定感を改善することよりもまず「心のケア」であるし、元気がないなら休む必要があり、何をしても楽しめないなら鬱の初期症状であったり、そもそも発達障害など脳の特性が生きづらさをもたらしている可能性もある。
自分に合った対処方法が知りたいのであれば、カウンセラーやセラピストと対話し、いま自分が一体どんな状況であるのか、何が本当の問題であるのかを整理していく方法もある。ネットや書籍にある情報は、あくまで普遍的な対処方法で参考程度のものであり、「自己肯定感さえ上がれば解決する」と、誤った自己解釈をしていると、問題解決へたどり着けないと思うのだ。
過去をたどってみると、自分の今に通じるものがわかってくる。「もしあの時こうだったら……」と思うことはたくさんある。でも、子供の頃の自分は視野も出来ることも限られていたから、その時はそうするしかなかったのだ。大人になって生きづらさを感じている人ほど、実は子供の頃から頑張ってきた人かもしれない。
ずっと他人軸で生きてきた人は、「そろそろ自分を大事にするときがまわってきた」と思ってはどうだろうか。「自己肯定感がある」ということは、ナルシストになることや、わがままになることでもないし、条件付きで自分を褒めることでもない。自分自身の心の声に耳を傾け、「本当はどう思ってる?」「よく頑張ってきたね、おつかれさま」と、否定せずに話を聞いてあげること、と思うのだ。
「自分の人生を生きたらいい」というメッセージを伝えるのに、ふさわしい記事でした。
「自分の心の声に耳を傾ける」ってことをやれていない人が多いというのは、いろんな人と関わる中で感じます。
そして、それを教えられていない教育者や育成者がいるからなんだろうなとも感じます。
例えば、、、
🔶研修とかで振り返りを書く時に「◯◯というのはここで書いちゃいけません」と言う人がいたり。
🔶振り返りを話す時に「◯◯ということは言わないようにしましょう」と言う人がいたり。
確かに、その場にふさわしいことを書いたり発信することは大切かもしれないけど、その時の自分を偽って振り返るような癖を身につけさせてしまったらと考えると、それは、人を育てる人としてやってはいけない導き方なのかもしれないと思う。
ただ、「こうあってほしい」という理想の姿があるからこそ、「こういうことはしないでね」とか「こういうことをしましょうね」という指導があるわけなので、それは伝えていいと思います。
その場に合わせた言い回しをレクチャーしたり、「◯◯という状態になったということは、どういうことなんだろうね?」という自分自身を客観視できる問いを立ててあげることは、やった方がいいかなと思います。
その導きがないと、「本当はこうだけど隠した方がいいんだ」となってしまい、「自分の心の声に耳を傾ける」ということをしない人が育っていきます。
それは本当に良くない。
何かをインプットした後に、「気づいたことはある?」という問いを投げられたとする。
「問いを投げた人はきっと、インプットしたことに対する気づきを求めているんだろうな」と考えて、本当は何もないのに、良いことを言おうして、思ってもいないことを言うとする。
これでは、何の成長にもならない。
きっと、「インプットしたことに対しては何も気づきがありませんでしたし、気づけました。」という回答になるんだろうな。
「何も気づかなかったことに気づいた」というのは、立派な気づきです。
大切なのは「その気づきをこれからの自分にどう活かすのか?」ということだから、この問いを追加で立てるといいんですよね。
人はみんな違うはずなのに、「こうあるべき」という理想の姿に寄せていく人材教育・人材育成のおかげで、同じような人が世の中に輩出されてきたわけです。
周りと違うことを許容されないが故に、「みんなと一緒じゃないといけないんだ」という意識が自然と身についてしまった。
教育が少しずつ変化してきて、違いを尊重する文化ができてきたのかもしれないけど、まだまだ少数派で珍しいからこそ、そういう考え方が注目を浴びているんだろうなと思います。
勘違いしてはいけないのは、自分勝手に動いていいとか、誰かに迷惑をかけていいとか、そういうことを言っているわけじゃないということ。
規律やルールを守ることはとても大切です。
何かの組織やコミュニティに所属しているのであれば、規律やルールを受け入れた上で所属しているわけですから、何でもやっていいわけじゃありません。
『自分』という存在は、日に日に変化しています。
「別に何もやってないから変わってない」と思っている人がいたら、「本当に何もやってないの?」と問いを立ててほしい。
非日常的なことは何もやってないかもしれないけど、日常的なことはやってるはずだから。
「何もやってない」という判断は、何をやったら「何かをやった」になるんでしょうか。
SNSを見て自己否定をする人はきっと、「自分は何もやってない」と思うんです。
「ああいう生き方をしたいな」「ああなりたいな」と思うことはとても良いことです。
ただ、理想とする人生に到達していない今の自分を否定しても、状況は何も好転しません。
大切なのは、まずは今の自分を認識することです。
そうしないと、理想と現実のギャップを認識することができず、どんなことをやったらいいのか判断がつかなくなります。
「いいなぁー」で終わらせるんじゃなくて、「今から何をしようか?」と考えてみましょう。
そして、どんな小さな一歩でもいいから、歩みを進めましょう。
『自分の人生』を生きていきましょう。
自己肯定感に関して、こんな本も読んできたので、最後に紹介しておきます。
感謝
今回も、読んでいただきありがとうございました。
他のnoteも読んでいただけると嬉しいです。
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