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『送る言葉』で自立と自律を考える
はじめに(いつも書いてること)
このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。
※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。
今回の内容
先日、YouTubeのリストにあがってきて、久々に聴いてみたところ、この歌の歌詞の良さに気づくことができました。
この歌、中学生時代にめっちゃ聴いてました。
『送る言葉』という歌自体は知ってたし、そこにテンポの良いリズムが合わさって、心がウキウキする歌なんですよね。
悲しみこらえて微笑むよりも
涙かれるまで泣くほうがいい
人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから
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信じられぬと嘆くよりも
人を信じて傷つくほうがいい
求めないで優しさなんか
臆病者の言いわけだから
人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから
悲しみを感じる人ほど、人に優しくできるというのは、生きていて感じることです。
中学生の頃にはなんとも思わなかった歌詞ですが、今になって「そうそう」と思うことができます。
求めないで優しさなんか
臆病者の言いわけだから
優しさを求めるのは臆病者の言い訳になるってのも、共感できる部分でした。
無償の何かを与えることができる人と、何かを与えたら相手からの見返りを求める人では、人としての強さが違うと思う。
自立と自律について、日々自分で実践しながらメンバーにも伝えています。
『送る言葉』という歌にある上記の歌詞は、自立と自律に関連する内容だと思いました。
自立と自律というのは、矢印が自分に向けられているわけですけど、自分と向き合う前提には誰かとの向き合いが必要で、誰かと向き合うからこそ自分とも深く向き合えるんです。
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生きている中で、誰かとの繋がりが生まれない人はいません。
物心がついてから人との繋がりを避けている人がいたとしても、幼児の頃は本能的に人に近付いていったり周りの人に笑顔を与えたりして、自然と誰かとの繋がりを構築していたはず。
大人になれば、自分だけで生きていくと選択する人もいますが、人との繋がりを完全に切り離して人生を送る人は稀だと思います。
組織に所属することを考えたら、誰かとの繋がりを完全に切り離せることはありません。
自分1人で完結する仕事なんてないし、常に自分以外の誰かを意識しながら、その上で自分と向き合うようになります。
誰かと向き合ったり、誰かとの関わりの中で仕事が進んでいく人でも、最終的には自分と向き合うことをしないと、自立力と自律力は向上しないと思っています。
自分が周りに優しくできている瞬間があるなら、「なぜ自分は優しくできるのか?」という問いを立ててみましょう。
何かを周りに対してやった時に、周りから何かを求める自分がいるなら、「自分はなぜ何かを周りから求めているんだ?」という問いを立ててみましょう。
「周りに求めずに自分に求めよう」というのは、僕がこの組織に転職してきてからずっと言い続けていることと重なります。
求めないで優しさなんか
臆病者の言いわけだから
王さんとイチローさんの会話におけるこの部分とも重なるかなと思ってます。
話に花が咲き、贅を尽くした鮨をたらふく食ったあと、イチローはおもむろに王監督に訊ねた。「現役時代、選手のときに、自分のためにプレーしていましたか、それともチームのためにプレーしていましたか」
イチローは訊いた直後、ドキドキしていたのだと言った。「答えを聞くまでのちょっとの間、緊張しましたよ(笑)。ああ、訊かなきゃよかった、という結果だって考えられるから……」王監督は即答した。
「オレは自分のためだよ。だって、自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、チームのために、なんていうヤツは言い訳するからね。オレは監督としても、自分のためにやってる人が結果的にはチームのためになると思うね。自分のためにやる人がね、一番、自分に厳しいですよ。何々のためにとか言う人は、うまくいかないときの言い訳が生まれてきちゃうものだからな」
イチローは小さな声で「ありがとうございます」と言って、頭を下げた。
イチローさんは引退会見でこのようなことを言っているので、「自分のために」を追求して、プロフェッショナルを極めた先にはこんな状態が待ってるんだなぁと感じました。
ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれるかなというふうに思っていたんですけれど。ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々の存在無くしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っても良いと思います。
周りに求めずに自分に求めることの大切さは、元プロサッカー選手で今はサッカー系YouTuberとして活躍されている那須大亮さんも、よく伝えていることです(とあるチームの練習に参加して、まさにその部分をコメントしてるシーンがありました←19:50あたりから)
下のカテゴリーになればなるほど、人のせいにしたりとか、「なんで出さない?」と言う人がいる。そうじゃなくて、「その人が出すために自分がどう動く?」とか、そっちの改善をもっと要求した方がいい。それぞれでタスクを持ってやるのがとても重要で、チーム単位でやっていかないといけない。
「誰かが許してくれるからオッケー」と思わずに、自己基準と比較して、これから自分が何をしていくべきなのかを決めましょう。
自分との向き合いが、理想の状態に自分を近づけていきます。
周りに優しさを求めるのは、ある意味で逃げです。
自分のキャリアに自分で責任を持たずに、周囲のせいにすることが癖になっている可能性があります。
「仕事を意味づける主体となるのは自分自身である」という言葉がキャリアーオーナーシップの定義で使われることがありますが、自分で自分の仕事人生に意味を持たせるというのは、自立と自律の観点では非常に重要なこと。
「誰かに認められたい」というのが目的になると、認められなかった場合に、自分がそこにいる意味を見い出せなくなります。
自分の存在意義や貢献というものを周囲からの評価や承認でしか判断できてないというのは、そこに自分がいる意味を周囲に委ねてしまっているということであり、それは、自立できていないということの証でもある。
執行役員という立場で営業組織の責任者を務める人間が、「これだけやったのにこれだけの承認しか受けられなかった、だから辞める」と言って会社を辞めていった話を聞いたことがありますけど、責任者という立場の人間がそもそも自立できていないのは(自分を律する軸を自分で持てていない)、組織としては大問題です。
自分に厳しく、人に優しく。・・・自分に軸を持っていて、自分を律することができている人は、これを体現していると感じます。
ただし、自分に厳しくと言っても、自分を傷つけることはしません。
状況を良くするために自分の中に原因を求め、自らが変化することで状況を良くしようとする。
自分が変えられることに注力するのは、心のラクに繋がります。
相手の変化を求めていても、そう簡単に誰かを変えることなんてできませんから。
感謝
今回も、読んでいただきありがとうございました。
他のnoteも読んでいただけると嬉しいです。