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犬と家。それだけあればそれでいい
会社のお昼休み、同僚と麻婆豆腐を食べていた。
彼は私と同じアラサーで、奥さんと娘と都内のアパートに住んでいる。
フランス人の彼はすでに日本に10年くらい住んでいる。
日本人の奥さんと結婚し、娘もいる。日本の生活が好きらしい。
彼曰く、日本人が意地悪したり、皮肉っぽくないところがいいらしい。
(逆に言うと、フランスの文化って、皮肉と意地悪なところがあるのかと考えたりもする。日本も意地悪で皮肉な人はいるけれど、傾向としてあると言うことなのだろう。)
どんな話の流れかは忘れたけれど、仕事の満足度について話した。
彼は、「今の仕事は楽しい、充実している」と言った。
「それは素晴らしい、じゃあ欲しいものはある?」
そう聞いてみると、彼は少し考えていた。
「質問を変えてみる!」
「もし明日が最後の日だとしたら、何をやらないと後悔する?」
そう尋ねてみた。
すると彼は、私の目をじっとみて、すぐに答えた。
「犬と家が欲しい」
犬と家?!思わぬ回答に驚いた。
ああ、犬と家について、きっと無意識か意識的か、結構な期間、彼は考えていたのだろう。でなければ、即答なんてできない。
理由を聞いてみると、犬は、彼が小さい頃から飼ってみたいと思っていたけれども、ずっと実現していなかった。
家については、単純にやっぱり家族で住む自分の家が欲しいと言う話だった。場所は東京のマンションより、フランスの1軒家がいいと言った。
「犬と家を買ったら、もう人生に後悔はない?」
興味本位に聞いてみた。
「うん、この2つが手に入ったら、もう何もいらない」
彼は嬉しそうにそう話した。
「あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい。」
こう歌ったのはブルーハーツの『夢』と言う楽曲だった。
資本主義は、もっともっとが駆り立てられる仕組みで、もっともっとよくなるって言うのが前提になっている。それ時代は否定されるものでない。
ただ物も情報も洪水のようにあふれる昨今の世界。
もっともっとより、これだけあればいい。
彼と話していて、これだけあればいいって自信を持って言えたら、幸せなことだと思った。欲しいものってきりがないものだから。
あんなこといいな、できたらいいなって
ドラえもんはそう歌っていた。
もちろん、何か世の中に大きな影響をもたらす人たちは、ハングリー精神や目標が大切だと話す。
色々話した同僚とのランチを終えて、思ったこと。
『これだけあれば、まずはいい』
そう言えることが、幸せの一つのヒントだと言うこと。