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【短歌】テーマ:ときときどきドキドキ


ときときどきドキドキ

  • 過去が今を象っているのなら、このパズル複雑すぎるだろ

  • 未来が見えていたとして、果たしてその通りに組み立てられるものか

  • 今思う過去と未来に意味はある? 点を線へとつなげられたら

  • 針は戻らない。繰り返し廻るたび繰り返せぬ生が減る旅

  • 時がときどき飛んでドキドキしたり、たまさかあってこころに悪い

  • 明日こそは明日になれば そういった昨日のぼくを許しはしない

  • サボって眠って楽して逃げて 未来のぼくよ、マジでごめんなさい

  • こころのどこかにいるはずの過去たちに声をかけても応答なし

  • 未来の私にあるかたち どれにしようか 正答なし、要努力

  • 何度目だ いつだってそう思うだけ 明日は待ってくれぬというのに

  • あと何度の明日を迎えられるか 最期のときには笑っていたい

  • 出来事「わたし」を分解し、誰に何が残るか観察してみる

  • 出来事「あなた」を分解し、わたしにどんな作用があるか視ている


今回の作品について

時間とはなんなのでしょうか。
目には見えませんし、単位?もたくさんあって*どう捉えたらいいものか考えてしまいます。

* 単位?もたくさんあって
・進む/戻る ・長い/短い ・ある/ない
など、連続しているのかそうではないのか、伸びたり縮んだりしているのか、出たり消えたりするのか、実態がつかみにくいものです。

よく言われるようなこととして、
 ・過去が今を作っている
 ・今が未来を作っている
のようなものがありますが、これは言い換えると「おまえ今まで何してきたん?その結果がおまえだよ」ということであります。
生まれや環境、個人の資質や現在の状況などすべて無視してそう言われたら腹が立ちますが、理解はできます。

過去は変えられないなどとも言いますが、これにはちょっと異論がありまして、過去の事象をどう解釈するか?を変化させればごまかしたり、気持ちよくなったり、気分を悪くすることもできます。
出来事そのものは変わらずとも、心象の変化があればそれは過去が変わったといって差し支えないとも思えます。過去という曖昧な言葉の範囲をどう取るかの詭弁に過ぎないと言われればそれまでですが。

今が未来を形作って行くのであれば、目の前に無数の選択肢、いわばパズルのピースが散らばっているようなものです。
ぴったり符合するものもあれば、一見してそうではないように見えるピースもあるでしょう。
なかには小さすぎて見えないピースや、そもそも透明なやつも混じっていたり、これしかないでしょと言わんばかりの欠片もいたり、どれを選択するべきか大変な作業です。
しかし現実は多くの場合、特に日常においては、選択している感覚は非常に薄く、瞬発的にどれかひとつを無意識につかんでいるようなイメージがあります。
じっくり考えて選ぶのは大きな問題や複雑な事象の場合だけであることがほとんどです。
「過去が今を作っている」のであれば、実は大問題よりも、この日常の選択こそが今を左右するピースになっている可能性はないでしょうか。
有り体ですが日々の積み重ねというやつですね。
バタフライ効果が示すように、小さなそれがのちの自分へ大きな影響を及ぼすことだってあるはずです。

この人間パズル、さらに厄介なのがわたしを構成するピースがわたしだけではないところが挙げられます。一人部屋で選んだピースのつもりが実はそのピースからどこかのだれかのピースへと、見えない糸でつながっていたりして、それはもう複雑怪奇な状態です。知らぬ間にピースの交換なども発生しています。あるいは提供だけして歯抜けとなった部分も出てくることでしょう。
そこにぴたりとハマる、またはハマった振りができるピースを求めて生きているのかもしれません。
マニュアル「人間」があったならば巻数は無限なのでは。

これを楽しむべきこととして、あるいは悲しむべきこととして捉えたのが最後の二つの歌です。

出来事「わたし」を分解し、誰に何が残るか観察してみる
出来事「あなた」を分解し、わたしにどんな作用があるか視ている

わたしやあなたを構成するピースを一度ばらばらにしたとき、どれがだれの何と影響を及ぼし合っているのか、可視化することができたならちょっと楽しくないですか。
ぐちゃぐちゃに絡まったケーブルを紐解いて、きれいに整理できたときのあの快感。きっとそれ以上の達成感と、おまけに自分と周りについての理解まで得られると思うのです。

テーマ「ときときどきドキドキ」はふざけてみせるただのことば遊びのように見えるかも知れませんが、わたしはわりと真剣でして、時間のことを考えるとこれまでに述べたことが顔を出してくるため、それはそれはドキドキする要因なのです。

とらえどころのない時間というものに対して、わたしやあなたを構成するパズルのピースである、という一つの見解でした。

どこかのあなたへ、その何らかの感情に触れることができましたら幸いです。

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