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『夏の午後(Summer afternoon)ー夏の後半(Summer afternoon)私にとってこの二つの言葉は、常に英語の中で最も美しい言葉だった。』イギリスの作家ヘンリー・ジェイムズの名言

 父と母に連れて行ってもらった山奥。小屋の軒下で見つけた自分の身体ほどの大きさの蜂の巣(父が持ち帰り、気が付いた時には小学校の理科室に飾られていた。山育ちでありながら目が不自由な父が頑張って採った。)

 従兄弟と一緒に叔父に連れて行ってもらった鮎の友釣り。清流に短パン。白い網。石の隙間を縫うように泳ぐ鮎の姿。透き通った川面。きれいな石と石。冷たかったくるぶしと首に巻いたタオル。

 従兄弟と一緒に首からプラカード(この子達は東京駅へ向かっています。何かあったら助けてあげてください)を下げて寝台列車で向かった叔父の住む東京。サンシャインビル。上野動物園。

 初めておつきあいした人がかすみ草を抱えて降り立った市電。

 夜遅くまでのブラスバンド練習。定期演奏会の打ち上げ。先輩の家。炬燵にぎゅうぎゅうになっての一夜。

 夏休みが明けて焼けまくった肌が並んだ教室。

 海岸線の砂浜。仲間と一緒に並んで見上げた真夜中の満月。テトラポット。笑い声。

 御殿場でのキャンプと馬乗り。カースピーカーからスキマスイッチ。

 ホタルイカミュージアム。半分づつスプーンをさしたジェラート。カモメに招かれたような遊覧船。掛けられた新しい橋。

 そして今、私は一人きりで、スーパーで購入した8個入り150円(1個約20円)のシューアイスを食べながらこの文章を書いています。

 美しいあの日々はもうどこにもないけれど、思い出そうとすれば次から次へと。柔らかかった心の内側が今でもまだ見えるようです。

 時代がどんなに移り変わったとしても、人間の本質ってそんなに変わらない。

 原理原則から見たとき、すべてはやっぱり美しい。

 それは線香花火に似て、私たちをときめかせてくれる。

 責めていたってしょうがないよ。悔やんでいたって仕方がないよ。怒ってしまっちゃつまらないよ。寂しいなんてつぶやいていたらもったいないよ。

 笑っていたならきっと楽しいよ。安らかでいられたならきっと清々しいよ。

 心に清流。

 世界で起こることなんて、今までだって何千年とすごかったことでしょう。

 ケセラセラ。なるようになる。

 美しい夏の終わり。

 それは、秋も、冬も、心弾んでいられるように、ほんの少しの寂しさを見せながら、また来年くるね!って笑っています。なんてね。


 いいことある。

 きっと。


 マルコ

Summer afternoon, summer afternoon. To me those have always been the two most beautiful words in the English language.

 (Summer afternoon)夏の午後、夏の後半。


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