母が重い子育てからの脱却
子育て支援の現場にいると、本当にさまざまな内容があります。
母の過干渉による子育ては子どものいろんなものを奪う危険がある・・・
今は、子育てについてもとにかく検索すればいろんな情報が出てきます。
困ったり、迷ったり、理想とする子育てが自分の思いで選択することが可能な時代です。
でも、親の過干渉って、何も今に始まったものではありません。
ずいぶん昔から過干渉の親は多かったのです。
その影響を受けてきた女の子が結婚して親になり、子どもを産み、子育てが始まる・・・
そんな時、やっぱり最初に思い出すのは、「自分がされてきた子育て」なのです。
一番身近なモデルになります。
いろんなパターンがあると思います。母親のイメージが持てない人もいるでしょうし、さまざまな状況の方はいると思いますが、よくあるパターンとしては自分の母親からの子育てとその時に自分が感じたりしたことなのです。
辛いこと、理不尽だったこと、楽しかったこと、やって欲しかったことなどさまざまな感情が湧いてきて、子育てをすると思います。
実は私もそうだったのですが、私は母に対して「イエスかはい」しかなかったのと、いろんなことに耐えながら生活してきたと思っていました。
もちろん、今でも完全になくなったわけではないけれども、もう母もずいぶん前に亡くなったし、上書きできる部分の方が多いのですが、ちょっとかわいそうな子どもの頃の自分はやっぱりいるわけです・・・
子育てを通じて、そんな、ちょっとかわいそうな私を感じていました。
口答えする我が子、言いたい放題の我が子、言うことを聞かない我が子に対して、心の中で「私は頑張ってきたし、こんなことを言う子ではなかったのに・・」という気持ちが溢れてきたことがありました。
子どもと私は別人格・・・なんてことは、頭では分かっていても、自分の感情はどうしようもない・・・
そんな時に、友人といろんなことを話したりしていた時に、ふと・・・
「わたしは自分の子どもに自分が大変だったことを強要して、仕返しをしようとしているのかもしれない・・・子どもは子どもの人生だし、こうやって好きなことを言える環境はわたしと違って、良いってことなのではないか?」と考えられる容易なり、それ以降、わたしが親から感じていた感情を捨てることができました。
あのまま、キッカケがなかったら、とても大変な母親になっていたかもしれません・・・
でも、自分で自分のご機嫌が取れないまま、ある意味苦しんでいる女性は多いかもしれませんね。
母親が自分のことを客観的に見ることができるようになり、自分の人生を楽しめるようなキッカケづくりを得ることで、子どもの未来も変わってくる・・わけです。
敏感で共感能力の高い子どもは、親の状況を察知して、自分で考えて先回りして顔色見ながら行動してしまいます。
その行動が客観的に適切ではなくても、子どもにとっては今の状況から身を守るために、行動するわけです。
親も、そんな子どもの行動をどう見ているのかは人それぞれかもしれませんが、子どものそんな自分に気を遣いながらも行動していることが、心地よく思える親もいると思います。
自分が操っているような感覚・・・とか、自分の思い通りになっている感覚とか・・・そんな行動の繰り返しとか連鎖が長く続くと、まぁもうやめるタイミングとかキッカケとかは無くなってしまうかも知れませんよね。
親も大変だったかも知れませんが、子どもも自分と同じような思いをさせてしまうわけなのです。
どこかで断ち切る勇気を持つ・・・
自分の人生を心から楽しめる時間を持つ・・・
そんな時間の使い方、より良い未来を描けることができる一人の大人でありたいと思うし、そんなキッカケを持てる何かをお届けできるようなわたしになりたいなと思っています。