ヘックスと嘘とボードゲーム
なんだねチミはアレかね?
ボードゲーム、というのは、ちょっとニッチで少しお洒落な感じでしかも知的な感じがする、っていうそんなちょうどいいものを選んだ結果としてのアレかね?
と、ある人が僕に言った。口調はフィクションであるが、ともかく要約するとそんな感じだった。彼は僕が最も尊敬する人物であり、全く違う世界に住んでいるにもかかわらず、僕と同じ目線で遊んでくれるという奇特な人だ。おそらく僕のことを、珍しい生物で観察対象、ないしはとしてみなしている風ですらある。いろいろな人間に興味があるのだ、そして僕はワンオブいろいろな人間ではある。
へえ、滅相もございやせん。
とりあえず僕はそう答えた。たしかに僕たちは対等な関係のようなものではあるけれどもどうしてもヒエラルキーはそこに存在する。何せ僕は卑屈さには定評がある。
自然とそういう口調になるのは仕方がない。ただし口調はフィクションだ。ともかくそのことについてうまく説明できなかったのでそれを文章にしてみようと思った。
確かに僕にはそういう軽薄さが大いにある。人とはちょっと違う自分でありたい割に冒険はしたくない。無難が一番。安全・安心、人畜無害を装いながら腹の底では何を考えているのか分からない。ただの木偶の坊じゃないんだ、実はこう、なんというか、ほら、分かるだろう。この奥深さが、ねぇ。みたいなイメージの押し付けがそもそも透けて見えるにも関わらず、自分ではそれに無自覚でいる厚顔無恥。田舎者め、恥を知れ。
そんな人間がハマっているんです、エヘヘ、というものが偏見に満ちた目で見られるのは仕方がないのかもしれない。というよりもこれは僕の責任である、責任者は僕だ。
ともかく、果たしてボードゲームとは「ちょっとニッチで少しお洒落で、かつ知的なもの」なのであろうか。その謎に迫るために我々はジャングルの奥へと向かった。
いや向かっていない。こういう使い古されたちょっとおふざけな感じの文章を書くのはもうやめよう。もうそんな時代じゃない。令和だ。もう終わりにしよう。それはともかく向かっていないがここはひとつ科学的立場とやらに立ってしっかり考えてみようというのがこの文章の目的の一つではある。これが科学かどうかはよくわからない。
好きなものを好きな理由を書くことはなかなかに難しい。なぜなら理由が明確に記述できるくらいなら、こんなに好きになるはずがないからである。
僕は純粋にボードゲームが好きなんだ!という純粋さを検証するとてもキモイ試みの一つがこの文章である。ご照覧あれ。
何が嫌いかよりも、何が好きかでなんかそういうことを語れよ、みたいなことを昔の偉い人が言っていた。
ここで3つの点について考察を行う。
1.ボードゲームはニッチであるか?
そう聞かれれば、まぁニッチなんじゃないすかね?と鼻をほじりながら僕は言うだろう。ニッチかニッチじゃないかは世間が決める、いや世間じゃないあなたでしょう。と文豪なら言うかもしれない。
ボードゲーム人口は年々増え続けているらしい。一年に何度か開催されるアナログゲームの祭典ことゲームマーケットへの入場者数は毎年増加しているそうである。特に若者の間では流行しているらしい。時々テレビでも取り上げられることも増えている。
とは言え、個人的にはニッチだと思う。まぁニッチなんじゃないかな、とにかくまぁ覚悟はしておけ、という古い歌がある(ない)。
ただここで重要なのは、ちょっとほかの人がまだ注目してないけど実はこれから流行るかもしれないものを先取りしたーぜー、そんなアーリーアダプターな俺なんですぜー。そういう人に先駆けるっていう感じ?クール?という気持ちが自分に無かったか。
無いかと言われればちょっと自信が無いですなぁ、と僕は言う。そういうとこだぞ。
ちなみに僕がボードゲームに対しこういう感じになってしまったのは2013年である。初めて遊ばせてもらったカタンというゲームにこれまで感じたことがない衝撃を受けてすぐさまアマゾンで購入したのだ。購入履歴が参照できるからこれは間違いない記録である。インターネッツの便利な使い方である。僕はデータ化されている。
2.ボードゲームはお洒落であるか?
ボードゲームそれ自体はお洒落なものもあれば、そんなにでもないものもあると思う。見た目が美しいゲームはとても見た目が美しい(トートロジー)。
一般的にお洒落やん、素敵やんと僕は思う。某サイトで某氏が喝破していたように舶来趣味とも無縁ではないと思う。すなわち外国から来ているということである。ドイツ、あぁ遥かなるドイツ、読めない文字、読めないルールブック。ウムラウト。英語版だっていい。英語ならなんとか読める。
飾っているだけで素敵である。並ぶボードゲーム箱。並ぶドイツ語や英語の文字。読めないのに洋書を飾って悦に入るようなものかもしれない、と僕は自嘲気味に言う。ですが、ボードゲームは遊べますからね(注1)。と言わせていただきたい。書籍を蒐集する趣味に通じる部分があるかもしれない。絶版やら発行部数限定やらというそういうお楽しみが盛りだくさん。
ではボードゲームで遊ぶ人はお洒落であるか。それはもう人によりますやん、お洒落な人はボードゲームで遊ばなくたってお洒落ではりますし、そうでない人はねぇ、まったくもうあんさんにはかないまへんわ。
ご明察の通り僕はそうでない人である。
3.ボードゲームは知的であるか?
知的なものもあれば、知的ではないものもある。まぁだいたい知的なんじゃないかな。なんかめんどくさくなってきたことがあからさまであるが、だってそうなんだから仕方がないじゃないか。Wikipediaでペロっと見ただけで書くけどゲームとは、カイヨワ曰く
ということです。知的じゃなくても良し。
知的っぽい感じがあるのは、将棋やチェスなどから連想される部分もあるんじゃないですかね。知らんけど。
さてボードゲームはニッチでちょっとお洒落で知的であるかについて書いてきたけれども、結論としてはよくわからない。
よくわからない、僕は雰囲気でボードゲームが好きと言っている。そしてボードゲームについて何か語れるほど詳しくも無い。
繰り返しになるけれども理由が書けるようならここまで熱狂的にボードゲームが好きになったりしないんじゃないかと思うのだ。思うんだったら。
ちなみにこの文章には致命的な欠陥がある。それはボードゲームについて定義していないことである。
※注1:遊ぶ相手がいる場合に限る。