ニョッキ そして/または タカハシ
僕が書いたボードゲームに関係しているかもしれないこと
"魂の〇〇”って言うとグループ魂のことを思い出しがち。 ライブ行きたいな。 魂の三分説という概念を知った。 理知は知性「知恵」のことで、気概は「意思」みたいなもので、欲望は「感情」みたいなもの。 これらが三国志みたいに3つバランスをとって心の中にあるというモデル。 個人的に面白いと思ったのは、「意思」と「感情」は別なんだな、ということだ。自分の中では「意思」と「感情」は同じフォルダに入っているように思えていたから。一般的に人間はそうなのだろうか。2500年前からそんなこ
書かれた文章というのは記録だ。 記録は積み重なって、後の時代に残り歴史となる。 記憶だけではあやふやなもの、 それを形にすることができるから、文章それ自体が力の源泉になるだろう。 当時の為政者は文字のそういう性質を良く知っていたので、文字を学ぶことを特権階級のモノとして、庶民には厳しく制限したという。 それから時は流れて現代。 庶民でも文章が書けるようになったのだ。 なったのだ? 別に「なったのだ」 なんてことを言うまでもないのだけれど。 こんな僕も文章をこうして時
篩(ふるい)。 歳をとるというのはフィルターの目が粗くなっていくようなもので、それは大人になるということでもある。 フィルターの目が粗くなれば引っかかるものが少なくなる。 フィルターを通して。 そしていちど興味が無いフォルダに入れてしまう。 そうするとそれは自分とは関係ないモノになる。 というよりもフォルダに入れすらしないのではないか。 人間の認知機能には限界があり、記憶力にも限界がある。 脳のヤツときたらすぐに世界を簡略化して捉えるからな。 そうして見過ごしてきたモ
文章を書くことは、可能性を狭めていくこと という意味の発言を、田中泰延(たなかひろのぶ)さんがされていた、 と思う。うろ覚えなんだけども。 ともかく深く首肯したのを覚えている。 頭の中にあった、面白い文章になるはずだったイメージ。 知的で素晴らしい文章になるはずのイメージ。 一文字一文字、書くたびに、タイピングするたびに、 ありきたりで紋切型で、独りよがりな、うすらサムイ文章へと輪郭を形成していく。 あたかも生命が誕生する前の栄養たっぷりのスープのような原始地球の海。
もって生まれた貧乏性というと聞こえは悪いけれども、 一方でモノを大事にするということに定評があるという見方もできる。 ディフェンスに定評がある。 短所は長所になりうるし、vice verse。 ニンゲンは二種類にわけることができて、 同じ携帯電話を長く使う派と、携帯電話の機種を頻繁に変える派、 というのが存在するとされる。 というのは「誤った二分法」。 実際には携帯電話を使わない派とか、携帯電話を知らない派もあるからMECEな分け方ではない。ミーシー?みーしー? そう
来るぞ来るぞ、と言われながら なかなか来ないボードゲームブーム。 あるいはもう来ているのかもしれないけれど。 だとしたらそんなに大したものじゃないという判断になりかねない。 それでいいのか。 責任者はどこか。 そもそも私ごときが善し悪しの判断をする身分にはないけれど。 百も承知でそれを敢えて言う。 イメージはこんな感じだ。 ダンスフロアには静かなイントロが流れつつ、ベース音やパーカッションが少しずつ大きくなっていく。しずかに体をゆらしている客たちは、この後に訪れる歓喜と
少数派になりたい、少数派にあこがれる、そんなときがありましたし、 今もそういう傾向があるのではないかというのが、否めない感じがある。 何かに対する反抗。 あるいは逆張り。 何者でもない、何にも成れない自分を慰撫するための逃避。 それこそ田舎者根性丸出しの。 ちょっと人とは違うものを好んでいることを、無理やり自分のアイデンティティにするような。 たとえば、カウンターカルチャーとしてのサブカルチャー、それを好んでいるという自分自身の特別視をあらかじめ周囲に期待するような浅
情報化社会。 この上なく情報化社会な社会に我々は生きざるを得ない。 なぜなら我々は社会的な存在であり、社会は情報化しているからだ。 DX(デーエックス)の意味も知らず、IoTのオーは小文字であることも知らず、のほほんと生きてきた。 そんな私だって革命を生き抜いてきた。 IT革命だ。 革命なんて起こらないと慢心しきった世界に突然に顕現した巨大な電子ネットワーク、それは地球を駆け巡ったりした。 知らぬ間になされていたレボリューション。 誰かのパッション。 そう、それはイン
モノゴトをシンプルに捉えることと、 本質を見極めることは違う。 と心に刻みたい。 何かの本質を捉えたと思ったら、 単に誤った切り取り方をした一側面でした 急に小梅太夫氏みたいになった。 なったけど、そんなことは日常にありふれている。 とかく世の中は複雑すぎる。脳に負荷がかかる。 少ないリソースでやりくりしている。 認識可能なレベルに情報量を圧縮するために、脳は自動的にモノゴトやデキゴトをパケット化する。その方法には個人差があり、頭の良さや性格や経験によって違ってくる。
「あなたはこれまで考えたことの寄せ集めでできているのよ。」 そんなふうなことを、謎めいた女性に言われたい。 少し影のあるような、あまり表情を表に出さないような。 アンニュイな。 でも時々無邪気に笑うような。 いま何を考えているのだろうか。 考えることを考えているのだろうか。 ぐるぐる巡る思考。 思考はぐるぐる回る、巡る。 思考停止というのは、思考していないのではなくて。 他に思考が向かわなくなること。 脳内という名のサーキットをブレーキの壊れたレースカーで走り回っ
「世界でいちばん透き通った物語」を読みました。 本屋で平積みになっているを見かけ、 そういえば話題になっているなぁ、と手に取りました。 僕が住んでいる町には本屋があり、それなりの規模で、 品ぞろえもそんなに悪くない感じで。 そんなわけでやおら読み始めました。 ネタバレ厳禁なので以下、内容に踏み込んで書きます。 面白いか面白くないかで言えばこれは面白かったです。 何が面白かったかはうまく言えない。 以下、内容に触れます。 10章あたりで、読んでいてなんだか違和感があ
ビートルズに、ヘイ・ジュード。 という曲があります。 https://www.youtube.com/watch?v=A_MjCqQoLLA 大変有名な曲です。 小学校か中学校あたりの音楽の教科書に載ってたような気がします。 メロディーもそんなに複雑じゃないような感じでシンプルな感じで。 ところで音楽の教科書の曲って、結局のところ歌われながち。 音楽の授業では教科書を使わずに合唱の練習とかリコーダーの練習とかしがち。 という「学校あるある」を思いついたけど、それはあまり
「いや、そもそもライフハックでそういうものでしょ。」 そんな斜に構えた態度を撲滅していきたい。 撲(なぐ)るに滅すると書いて撲滅。 相手を撲(なぐ)ると書いて相撲。 例えばこんなライフハック。 水を飲みまくると上手に嘘がつけるらしい。 そんなライフハック。 出典はこちら。 推しポッドキャストの『ゆる言語学ラジオ』 ネタバレかもしれないけれども要約すると あんまり本当のことを言うと角が立ったりややこしいことになりそうな、 うまく切り抜けなければならない打ち合わせ
戦国春秋時代の思想家が「推しは推せるときに推せ」という格言を、言ったとか言わないとか。 その集団を推家(すいか)と呼んだことから、スイカは推し活のシンボルになったとか。 それが民明書房から発行された書籍、「古代中国のビックリ推し活」という本に書かれていたとか(現在は絶版)。 強く誰かに惹かれることが無かった、 感情を持つことを許されなかった哀れなモンスターこと、私。 どうやら最近、OSのアップデートがあったのか、 すこし分かるようになってきた、ような気がする。 「コレガ
などと嘯(うそぶ)きながらも、新しい年が来たなぁ、 厳かに何かがはじまるような気がするなぁ。 なんて言っている自分がかわいくて仕方が無いのです。 一年の計は元旦にあり! あり、おり、はべり、いまそかり!! 出会え出会え!曲者じゃぁ!! ブォォォ、ブォォォとブブゼラを吹き鳴らし 上半身裸の益荒男(ますらお)たちが、ドアを開けて飛び出してくる。 アイエエエ!! ニンジャ!? ニンジャナンデ!? はい。 そんなわけで、一月ということで #今年やりたい10のこと を
インテリになりたい。 モノゴトを良く知っている人、頭のいいひと。 そういうものに私はなりたいな。 「テリ」っていう語感も良い。 醤油と砂糖をからめて焼き上げたようなテクスチャーを感じる。 そして難しい言葉を使いたい。 自由自在に、そして融通無碍(ゆうずうむげ)に使いこなすのだ。 天を駆け巡る白馬のように。 しらんけど。 さて、そんなわけで、 いま僕が使いたいインテリだと思うことば三銃士を連れてきたよ。 「いま僕が使いたいインテリだと思うことば三銃士?」 アプリオリ「