アナログ羊はボードゲームの夢を見るか
ボードゲームとは何なのか、初めにそれを定義する必要がある。本来であれば前回投稿の時点で定義する必要があった。ここで何について書くべきかというと、その言葉が指し示すもののある程度の枠組みを決めておく必要があるような気がする。必要じゃないかもしれない。でも多分、必要なんじゃないかな。
というか諸説ある。諸説あるような気がする。そもそもおおよそすべての物事には諸説あることが多い。
そのふわっとした概念を指し示す用語として、テーブルゲーム、アナログゲーム、非電源ゲームという呼び名も一般的に使われているし、その違いに明確な境界があるわけではないようです。
ここで物事をややこしくしているのは、ボードが無くてもボードゲームだし、テーブルで遊ばなくてもテーブルゲームだし、デジタルを利用してもアナログゲームだし、電源を使っても非電源ゲームなのかもしれない。
あ、でも最後の二つはちょっと違う気がします。あーなんか、その場合にはボードゲームとか言っちゃう感じしますね(個人の感想です)。
ちなみにこれからもこれれまでも小生が書くことはあくまで個人の感想であり、個人の感想以外の何物でもない。小生が所属する牧場の見解を示すものでもないことを一応言っておきたい。言う必要ないと思うけど。
そもそも有史以来ゲームはゲームであって、デジタルもアナログもなかった。というかもともとはアナログだった。
デジタルゲーム(ビデオゲーム)が登場した後に、デジタルじゃないゲームというものに対し呼び名が必要になったことにより区別する呼び名が必要になったのでしょう。
回転ずしが登場した後に、普通のお寿司屋さんが「回らない寿司」と呼ばれるようになったように、こういうのをレトロニムと呼ぶらしいですね。
というかこういう定義とかそういうのどうでもいいんじゃないかっていう感じがしますね。こういうのがめんどくさいんですよね。定義なんて必要なかったんや。
そのためアプローチを変える。なんであるかという定義から一回離れて、何に似ているか、似ているものはなんであるかということから考えてみたい。
ボードゲーム界で語られるエピソードとして、こういうのがある。
「人生ゲームとは全然違うよ!」とテンション高めでツッコむとか、「いやまぁ人生ゲームも一応ボードゲームだけどもね…ははは」みたいな反応をするとか。そういうエピソードであり、界隈ではまことしやかに語られる所謂"あるあるネタ"なのだけれど、本当にそんなやりとりがあるのだろうか。
ある。こんな僕であってもそのような問いが向けられたことがある。ただ何と答えたか定かではない。あっ、これ進研ゼミでやったヤツだ!と思った以降の記憶が途切れている。
人生ゲームがボードゲームに含まれるか否か、これは個人のスタンスで判断が分かれると思う。
僕としては、厳密にいえば違う、と思う。違うんじゃないかな。というか厳密さはここでは必要じゃない。
きわめて高い知名度を誇る"人生ゲーム"に似ているものです、それで説明がつくなら簡単でいいじゃないかとも思う。でもちょっと違う。
人生ゲームとはニンゲンの一生をスゴロクに見立て、ルーレットを回して職業に就いたり様々なライフイベントを体験しつつ、最終的にお金を最も持っている人が勝利するゲームである。
記憶で書いているけれど確かそんな感じだったと思う。ゴールに1番に到達した人が必ずしも1位ではなくて、一番お金を持っている人が1位なんだなぁと幼心に思った記憶がある。(ただし1番でゴールした人はそれなりに多くのお金がもらえるルールだったはずだ。)やはり世の中はお金なんだな、地獄の沙汰も金次第なんだな、と思った記憶もある。
でもなんかやっぱり僕の恋するボードゲームとは別だと感じる部分がある。なんというか心臓(ハート)が、なんか違うと叫んでいる。じゃあ何が違うか。
1.運の要素が大きすぎる
いわゆる運ゲー、というやつなんじゃないか。ゲームの勝敗にかかわる運の割合が大きいゲームを(侮蔑的な意味合いを込めて)運ゲー、と呼ぶことがある。ルーレットだけが行く先を決める、まさに人生のようではないか。戦略の立てようがない、上達するということが基本的に無い。これもまさに人生のようではないか。勝敗はほぼ運任せである。
2.あと何かありますか?
1つしか思いつかなかった。あえて見出しに分けるほどじゃなかった。
あえて言えば、なんかメジャーすぎること。全国のおもちゃ屋さん(ハローマックとか)で手に入るところ。(ここは笑うところです。)気軽に手に入れたいけれど、気軽に手に入るなんてそんなのボードゲームじゃないやい。
あと、なんか平成版とかバブル版とかそういう一貫性のない独立拡張がパブリッシュされていること。(ここも笑うところです。)
結局よくわからなかった。
※注1:ちょっと何かひねったことを言いたいイタい人は、〇〇〇〇は〇〇〇〇の夢を見るか、とかいう題名をつけがち。