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自己開示と自分語りのあいだ
人に好かれたい。
好かれたいんだ。
好かれたいんだったら。
いい塩梅に好かれたい。
たとえばコンビニ店員さんが丁寧でうれしいな、
くらいのお湯加減で。
特に理由は無いのかもしれない。
あるいは、
嫌われるくらいなら好かれた方が良いだろうという、
消去法的なスタイルとしての好かれたさ。
そりゃあ、好かれている方がいろいろメリットがあるという経済性。
あるいはモテたい、モテモテになりたいんだ、というような、日常生活では巧妙に心の奥底にしまい込まれている遺伝子レベルの叫びであるのかもしれない。
どうもそういうギラギラした感じとは縁遠いと思っているところもあるのだが、
だれしもが本能のレベルではモテモテになってそして遺伝子をつないでいくことを強いられているのかもしれない。
知らんけど。
では、どうすれば好かれるのか。
どうすれば好いてもらえるのか。
どうやら自己開示をすると良いらしいと何かで読んだ。
自己啓発本か何かで読んだ。
また自己啓発本から手軽な何かを引っ張り出して、
手軽な対処法を試してみて、
自分は何かこう「良いこと」をやっているから、
きっとダイジョウブだと思いたいという気持ち。
それが透けて見えるほどの薄っぺらさだ。
そんな僕は自己開示が苦手だ。
ノウハウ的な本はたくさん読んだ。
自分のことを伝える
3秒で伝える
エレベーターで伝える
個人的なことを話す、
具体的なエピソードを話す
失敗談を話す
とか。
キドニタチカケシ衣食住※
初対面の人やあまり親しくない人と会話する際の話題づくりに役立つとされ、記憶される「おまじない」の一種。「気象」「道楽(趣味)」「ニュース」「旅」「知人」「家庭」「健康」「性・セックス」「仕事」の頭文字を並べ、「衣食住」を付け加えた言葉である。「せ」を抜いた「木戸に立ちかけし衣食住」として記憶されることもある。
とか。
「せ」は結構センシティブだな。
というか、これは上手な雑談をするためのライフハックであって、自己開示ではないな。
どうやって自己開示をすればよいのかしら。
沈黙していたとしても、どうしようもなく滲み出てしまう大人の渋み?
そもそも自己開示が自分語りになってしまうのではないか、と恐れる。
自分の話など誰も聞きたくないのだろうと、思う。
みたいなことは常にある。
だからとりあえず何か書いてみるのかもしれない。