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課長の発言をワンチャンありそうな女の子が言ってると思うようにしている
「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」
私はこの名言が嫌いだ。というかこの名言をほざいてる輩が嫌いだ。そもそも心とは自身の内側にあるもので、尚且つ自身が常に制御や操作するべきもの。それを他人によって強制的に変形や変容させられる筋合いはずだ。となればつまり、この言葉をほざいて押し付けてくる輩は相手方の心を変えようと躍起になっている愚か者なわけで。
そして私の勤務先にはこれをよく引用している課長がいるのだが、こいつは客先や上層部の無茶振りを受け、その皺寄せが来た部下が不満を口にすると決まって『仕事に取り組む心が変われば行動が変わるんだ!』と言ってくる。要するに文句を言わずに残業しやがれ、と遠回しに命令しているのだ。
いつも思うのだが、なぜ心を変えるのはこちら側だけなのか? これが甚だ疑問だ。お前らには部下の不満を無くすためにこちらが心を変える、みたいな発想は無いのか。私はいい加減この会社のあり方に辟易している。なぜ仕事を定時で切り上げるとサボってるみたいな認識になるのか、なぜ仕事時間外にお前らのゴルフに付き合わなければならないのか。疑問に思うし、同時に腹も立ってくる。お前らに時間を奪われるせいで外食やらコンビニ飯が増えた。貯金もしづらいし不健康になってきた気もする。私の未来はそこそこ暗めではないだろうか。
とはいえ、だ。会社側に私たちの不満全てを解消するように変わる事を望み続けるのであれば、それはそれでこいつらと同じ発想になってしまう。だからこそ私は気づいていた。これはもう、私が変わらなければならない。結局のところそうしないと永遠にこれは解決されない。相手に期待をしてはいけないのだ。
では、どう変わるか? あいにく私には残業を切り上げて一人先に帰る勇気も、仕事時間外は会社に関与しない意志も、どちらも持ち合わせていない。となれば私の答えは、課長の発言一つ一つの捉え方を私自身が変える、これだった。
では、どう変えるか? ここは私が最近気づいた法則に基づくことにした。その法則とは、残業中の上司の発言ってワンチャンありそうな女の子と言ってること殆ど同じなのでは? これだ。例えば上司に「もう帰っちゃうの?」と言われれば腹が立つけどもワンチャンありそうな女の子に「もう帰っちゃうの?」と言われればどうだろうか、ものすごくテンションが上がるではないか。つまりは捉え方一つで、こっちの気持ちが全然違ってくるのだ。ということで最近は、課長の発言をワンチャンありそうな女の子が言ってると思うようにしている。
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最近、ある一人の部下の様子がおかしい。そいつは妙に笑顔が増えたり鼻の下伸ばしたり呼び出してもすぐに立ち上がってこっちにこなかったり。しかし変とは言っても、前のように注意されて不貞腐れたり怒られて不貞腐れたり説教されて不貞腐れたり、同時にそういうのも減っている。効率を考えるとこちらとしては少しでもやる気を出しながら仕事をしてくれるのはありがたく、そしてこの繁忙期に少しでも長い時間働いてくれるのも助かってはいるのだが。
そしてその変化は、特に残業中多く露になっている。
「あれ? もう帰んの?」
私がいつものように尋ねると今までは無言でデスクに戻っていたのが、
「え、あー、いや、課長がまだ、帰って欲しくないっていうなら〜、その〜…」
「・・・」
「いや〜どーしよっかな〜」
こんな感じになった。なんだか気持ち悪い。それにしても、何故こいつは呼び止められるのをわかった上で一旦帰ろうとるのか。そこは不思議でしょうがない。
「帰って欲しくないっていうか、帰るなって意味だからな」
「帰らないで、って事ですよね。わかります、残りますよ」
いや、『帰らないで』とは言っていない。お前は何もわかっていない。
「…だよな。まだ電車あるでしょ?」
「そうなんですけど、いや、実は自分、明日仕事あるんですよね」
知ってるわ。今日月曜日だぞ。明日も明後日も明明後日も仕事あるわ。友達と酒飲みに行ってるんじゃないんだぞ。お前翌日に備えて早めに切り上げる空気読めないタイプか。
「いや、なんていうか、なんかやり残した事ないの?」
「え、ヤり残した事?まあ、ありますけども…」
なんでちょっと鼻がヒクヒクしてるんだ。五時ぐらいにフッた仕事があるだろう。さっさとそれに取り掛かればいいのに。何を呑気にダラダラしているんだ。
「自分ちょっと外の空気吸いに、コンビニ行ってきます。課長も行きますか?」
「いかねーよ」
いかねーよ。宅飲みじゃねーんだぞ。
この通り、この時間帯になると様子がおかしい。ニヤニヤというか、ヘラヘラというか、ともかく何を言っても微妙にハッキリしない受け応えをする。こいつはよく女にモテない云々の話をしているが、納得だ。こんな曖昧な態度をとるやつを誰が好きになるのだろうか、いや、いない。
しかし最近は俺の言う事頼み事を聞いてくれるようになった。これ自体はいい傾向だ。どうやら俺の指導のおかげで仕事に対する姿勢が変わったのだろう。流石に一度、他の部下に資料のコピーをさせたら『もう他の人とそういう事をするのはやめてほしい』と言われたのは謎だったが。
「戻りましたー」
コンビニの袋を下げて部下が帰ってきた。
部下は俺の顔を見た。
俺の顔を見るなり、フロアの電灯を消した。
なんでだ。
「なんで消した」
全くの意味不明だ。なぜ残業中に電灯を消すんだ。まさか近場に就活生でもいて、未だにフロアの電灯がついていると長時間労働の横行を勘違いされてしまうとでも判断したのか。いや、それでも俺に何か言うはずだ。
「いや、残業中の顔、見られたく無いのかなと思って…」
全くの意味不明だ。
もしかしたらこいつ、今年の繁忙期はこれで終わりと思っているのかもしれない。ここを乗り切ったら、しばらくは楽な時期が来ると思っているのかもしれない。その気の緩みが今の様子に顕れているとしたら。それは先に警告しておく必要がある。ウチの会社は年に何度も忙しくなる。大きな案件が発生する度に忙しくなる。
「この一回や二回で終わると思うなよ?」
「すごい、体力あるんですね。大丈夫なものなんですか。自分二回戦までしかやった事ないんですけども」
「は?」
一体なんの話をしているのだろうか。
ここ数週間、話の噛み合わない事が本当に多い。もしかしたら、こいつ自分でも気付かないぐらい疲れを感じているのか?
…いや、あるいは逆か? もしかしたら俺がそんなにひどい顔をしていたか。人間誰しも睡眠不足やストレスを感じると明らかに披露した顔つきになると聞く。その兆候が顕れてしまっていたのかもしれない。
まさかこいつ、それを気遣ってくれたのか。さっきの電灯といい体力の心配といい。
もしかしたらこいつ、俺の事を。
となると、なんて優しい部下なんだ。
これに気付くと、俺も俺で、こいつに少しは気を遣ってやろう。そう思った。
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最近課長が妙に優しくて気持ち悪い。前はこんなに優しくなかったはずだ。もしかしたら、近々とても面倒な案件を押し付けられるかもしれない。
しかしまぁ、今現状で残業時間が減っているのはありがたいのでその時間は有効活用していこう。じっくり自炊やらで食費の節約と、栄養あるものでもガッツリ食べてみようと思う。