【ショートショート】ビリービーバー
ギターに空いたサウンドホールのような満月の夜のことだった。
人里はなれた土地にあるという幻の川を探して、わたしは草むらを歩いていた。
「なんで、捨てたりしたんだろ」
数日前に捨てたアコースティックギターを思いだす。
もう音楽はやめよう、そう決心して捨てたはずだった。
数日が経って、自分がした選択を後悔しはじめたときには、時すでに遅し。
急いで、ギターを引きとってくれた廃品回収業者へと連絡した。
さすがにもう処分されちゃったかなぁ、と半分諦めながらも担当者に尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。
「あぁ、あの夢のギターですか?」
「はい、そうです。ギターはわたしの夢なんです」
あれ? どうしてギターがわたしの夢だってわかったんだろう。
「集まった品物はこちらで査定しましてね。あのギターも誰かの夢燃ゴミとして、うちが契約している川へと送られましてね」
「えっ、川に捨てるんですか? それって不法投棄なんじゃ……」
「いえいえ、ご安心を。そこの川にですね、夢燃ゴミを取り扱う名人がいるんですよ。もし、取り戻したかったら、場所を教えるので行ってみますか?」
川にいるゴミを取り扱う名人とやらもゴミ処理場も、まったく想像がつかない。
「というか、その夢燃ゴミって一体……?」
「あぁ、『夢』に『燃える』と書いて夢燃ゴミっていうんですけど、それは現場の責任者から詳しくきいてみてください」
そして、電車を何本と乗り継いで、わたしは何もない草むらを歩いている。
こんなところに、本当に川なんて流れているのだろうか?
スマホの地図で確認したって、そんなものは見当たらないのに。
もうひとつ気になったのは、電話を切る前の担当者の言葉だった。
「あぁ、それとね。満月の夜じゃないと川にはたどり着けないんで」
余計にどういうことなんだ? ますます、謎は深まるばかり。
そんなことを思いだしながら、腰あたりまでのびた草をかきわけて進んでいた、そのときだった。
草むらの奥のほうに、光り輝く線のようなものが浮かび上がっている。わたしは思わず、走りだしていた。
その光源へとたどり着くと、目の前にはキラキラと輝く光の帯が広がっていた。
近づいてみると、光の下には水が流れていて、確かに川のようだった。
「やっと着いた。ここが月音川……」
まるで満月から光を吸い込んでいるみたいに、水面はまばゆいほどの光を放っている。
月音川に沿って、しばらく下っていくと、何やら川の真ん中に線のようなものが引かれているのが見えてきた。
「あなたですね。見学をされたいという方は」
突然、後ろから声をかけられ、振り向くと一人の女性が立っていた。
「無理をいって、押しかけてしまってすみません。今日はよろしくお願いします」
「ようこそ、月音川へ。わたくしは、この場所の管理と通訳を任されています夢見です」
黒のフォーマルなパンツスーツに、細フレームの眼鏡、手にはスケジュール帳。
夢見さんはいかにも仕事のできそうな佇まいと喋り方で、思わず見とれてしまう。通訳もするということは、ここの責任者は海外の人なのだろう。
「あの、実は探しているものがあって」
「はい、伺っております。まだ、その週の分は手をつけてないはずですので」
眼鏡をクイッとあげて、細長い指先でスケジュール帳をめくる夢見さんの立ち姿の美しさは、月音川に負けないくらいにまぶしい。
「では、現場へとご案内します」
夢見さんと川沿いを歩いていくと、だんだんと川を横断している線の正体が見えてきた。
「これって、ダムですか?」
いわゆる人間が作りだした巨大なダムではないが、それは間違いなくダムだった。どうやら細かい木材などを使って組み上げているようで、隙間には草むらの草もささっている。ダムを隔てて、月音川の上流と下流の水位も違うようだ。
「その通りです。では、ダムの責任者で現場監督を紹介しますね」
そう言うと、夢見さんは手をパンパンと二度鳴らした。
夜の草むらに柏手が響きわたる。
すると川の中から、何かが飛びだし、わたしの前に姿を現した。
「責任者のビリー氏です」
えっ、えっ、えっ?
わたしは一瞬、目を疑った。
だって、どこからどう見ても、まじりっけなしのビーバーなんですけど!
ビリーさんは口角を上げ、その立派で鋭い名刺がわりの長い前歯をこちらに見せて、ニカッと笑った。
「えっと、ちょっと待ってくださいね。色々と混乱しているんですけど、あの彼はその……」
「はい、ビーバーです」
やっぱり、ビーバー。
そりゃ、ダムを作る動物といえばビーバーですよね。
色々と納得はいってないけど、とはいえ、ビーバーが責任者ならギターの行方についてきいてみないと。
「あの、アコースティックギターを探しにここまできたんですけど……」
ビリーさんはわたしの問いかけに首を傾げた。
「ちょっときいてみますね」
眼鏡の片端をつまむように上げて、夢見さんが口を開いた。
きいてみる、とは?
すると、夢見さんが後ろを振り向いてポケットから何かを取りだすと、それを口元へと持っていった。
再び、振り返り、その口元を覆っている両手をはなす。わたしはその口元に釘付けになった。
夢見さんの唇から鋭い前歯がはっきりと飛びだしていたのだ。
知的な美人さんが台無しじゃないか!
夢見さんは、その前歯を小刻みに動かして、ビリーさんに何かを伝えていた。
ビリーさんも同じようにして、何かを伝えている。
「安心してください。まだ、手はつけていないそうです」
夢見さんはビーバーの前歯をつけたまま、わたしにそう伝えてきた。
「そ、それは、本当によかったです。ビーバー語の通訳だったとは驚きましたが」
「ちょっとだけ齧っていたもので」
「な、なるほど」
どこでどうやってビーバー語を習得したのかもとても気になったが、本題に戻らないと。
「わたしが手放したギターはどこにあるんですか?」
「そうでしたね。それでは、ダムの建設現場へとご案内しますね。ビリー氏の言葉はわたくしが即時通訳しますので、ビリー氏と会話なさるつもりでお話ください」
夢見さんの説明を受けて、ようやくギターを取り戻せるとほっとしてダムに目をやる。
すると、今まさに一匹のビーバーが、わたしのギターに鋭い前歯を突き立てようとしているところだった。
「やめてぇぇぇぇぇ!」
思わず、その場で叫んで、わたしは靴を履いたまま月音川に入っていった。
水深はそこまで深くはないが、川の流れに足をとられる。川底の石に足を滑らせると、水飛沫を上げて、その場で転んでしまった。
と同時に、もうひとつ水飛沫の上がる音がきこえた。
川から起き上がると、わたしのギターを取り返してくれたビリーさんが目の前にいて、何か語りかけてきた。
夢見さんがすぐさま通訳してくれる。
「悪かったな、お姉さん。こいつはまだ新人なもんで、まだよく事業計画がわかってなくてな。ほら、お前も謝るんだ」
平べったい特徴的な尻尾で、ビリーさんが新人くんの頭をバシッと叩き、新人くんもわたしに手を合わせて謝ってきた。
「とりあえず、無事だったんで、もう大丈夫ですから」
「本当におめぇわよ、勝手に夢燃ゴミを齧るんじゃねぇよ、ったく」
ビリーさんは相変わらず新人くんの頭を尻尾でペンペン叩いていた。
「その夢燃ゴミってなんのことですか?」
川岸に上がり、夢見さんから受け取ったタオルで体を拭きながら質問した。
「おお、それな。お姉さんもこのギターで夢を追いかけていたんだろう?」
救出に成功したギターを濡らさないようにこちらまで運び、わたしに手渡しながらビリーさんは言った。
「はい。シンガーソングライターになるのがわたしの夢でした」
「でした……ねぇ。一度、諦めたはずなのにわざわざここまで取りにくるなんてなぁ」
ビリーさんはわたしに背を向けて、決まりが悪そうに頭を掻いていた。
三日月型のカヌーに夢見さんと乗船し、月音川へとでた。
ダムの建築現場を見学させてもらうためだ。
月音川の中程でビーバーたちが作業をしている。
間近でダム作りに使われている資材を見てみると、折れた野球のバットや、引き裂かれた絵画のキャンバス、わたしのものではないギターの一部など、色々な品物の欠片たちで組み上げられていた。
「このダムはな、誰かの過去の夢が込められた道具でできている。持ち主とともに夢を追いかけて、残念ながらそれが叶わなかったり、または諦めてしまって、手放した道具たちさ。それを夢燃ゴミと呼んでいる」
ビリーさんの解説は、夢を追いかけていたわたしにとってはとても耳の痛い話であった。
「月音川には、そんな自分の夢と何らかの形で決別した人々の夢燃ゴミが集まってくる。おれたちはその夢燃ゴミを責任を持って解体し資材にして、ダム作りをしているのさ。月音川は満月の強力な引き寄せる力によって浮かびあがる幻の川でな。大昔は、夢を信じるもの、夢に破れたものがよく泳ぎにきていたのさ。月の作用なのか、夢を後押ししたり、浄化する力がこの川にはあるんだ」
そんな秘密がこの川にあったなんて。
でも、どうしてここにダムが?
ダムの建築現場から移動すると、わたしは向こう岸にある夢燃ゴミ置き場へと案内された。
たくさんの種類の夢燃ゴミが山のように積まれている。
そこには追いかけていた夢を想像できるものもあれば、手紙や千羽鶴なども置いてあった。
「ここには夢のほかにも、誰かの願いや祈りも届く。例えば、これ」
そう言って、ビリーさんはその五本指で一通の手紙をつかんだ。
「遠い異国の地に旅立ってしまった彼に恋人が送った手紙さ」
「その二人はどうなったんですか?」
思わず、わたしは尋ねてしまった。
「結婚を約束していたのだが、どうやら、その彼は戻ってこなかったらしい」
「そんな……」
叶わなかった願いの込められた手紙に、関係のないわたしが悲しい気持ちになってしまった。
「そこだけ切り取れば、確かに悲しい話かもしれない。でも、その人は今では前を向いて、次の人生へと進んでいる。失敗や悲しみのない人生なんてない。人生は続いていくのさ。川の水が上から下へと流れていくように」
ビリーさんの合図で、新人くんはその手紙を受けとると、鋭い前歯でビリビリに破いた。
散り散りになった紙切れを手で集めて、川へと入っていくと、ダムの隙間を埋めるように詰めていった。
「このダムは人々の過去の夢や願いを受け止めるためのものさ。月音川の水に浄化してもらい、次の人生へと進んでいけるようにと」
ダムの向こう側へと流れていく水の流れは、どこか穏やかにも見えた。
「お姉さん、あんたはそのギターを勢いで捨てたのかい?」
ビリーさんが、ギターを指さしながらきいてきた。
「いえ……違います」
わたしは数か月前から、シンガーソングライターになるという夢を追いかけ続けるか、諦めるのかを悩んでいた。
昔は路上ライブで人が集まらなくても、自分で作ったオリジナルの曲を演奏できていることに、ただ喜びを感じていた。この先にもっともっと素敵な出来事が待っているのだと、疑いもなく信じていた。
でも、年数を重ねるにつれて、曲を作ることも、ライブをすることもどこか義務のようになっている自分に気がついた。
むしろ、最近では歌うことへの情熱よりも、グッズ作りのデザインのほうに夢中で、そちらへの想いが大きくなってきていた。
「あんたの中で色々な葛藤があって、悩んで時間をかけて決めたんだろう? 手放した途端に不安が押しよせてきて、このギターにしがみつきたくなったんじゃないか?」
大きな黒目でわたしの目をまっすぐ見るビリーさん。
その問いは、本音をせきとめているわたしの心のダムを激しく揺さぶってきた。
そうだ。
この長年、苦楽をともにしてきたギターを取り戻せたことは嬉しい。
でも、もとの日常へと戻って、また音楽への情熱が再燃するかと言われれば、そうではないだろう。
「決断するのはあんただ」
ビリーさんの潤んだ大きな黒目を、わたしはじっと見つめる。
「決めました。ここで手放します。最後に、一曲だけ歌わせていただけませんか?」
「もちろんさ。おれもききたいね。みんな、仕事は一旦休憩だ!」
ビリーさんのかけ声に、ダム作りに励んでいたビーバーたちが動きを止めて、三日月カヌーの周りへと集まってきた。
「それでは、きいてください」
ゆっくりと川を流れる水のようなイントロを奏でると、わたしは歌いだした。
夢を追いかけるもの、夢に破れたもの、そのどちらも優しく見守るような、包みこむような大好きな曲。
演奏しながら、込み上げるものがあった。
大勢のビーバーたちがリズムに合わせて、手に持った木の棒を左右に振っている。その棒は月の光で輝いていて、ペンライトのようだった。
あぁ、こんなに最高なラストライブができるなんて。
今まで、ありがとう。
最後の音を鳴らし終えると、辺りは静寂に包まれた。
「素敵な演奏だったわ、あっ、これはわたくしの言葉ですが」
わたしの隣でずっと通訳に徹していた夢見さんが、ハンカチで涙を拭いながら、前歯を動かした。
「ありがとうございました!」
みんなに挨拶をすると、ビーバーたちは手を叩いたり、尻尾で水面をバシャバシャ叩いて、気持ちを伝えてくれた。
「もう音楽に未練はありません。お願いします」
ビリーさんにギターを手渡す。
「確かに受けとったよ。おい、新人!」
新人くんが、ボクですか? と言わんとばかりの顔をしてやってきた。
「このギターはお前が解体しろ」
新人くんは戸惑い、うろたえているようだった。
「お姉さんの決断を無駄にするんじゃねぇ!」
わたしは新人くんにうなずいた。
「お願いします!」
新人くんはギターを手にとると、大きく口を開いて、その前歯をギターへと突き立て、固定すると、下の歯で何度も何度もかみ砕いた。ギターのネックは折れて、弦やボディも、すべてバラバラとなった。
心のダムから放流されたように涙を流しながら、その光景から目をそらさなかった。
「今日は、本当にありがとうございました」
川岸で、通訳用の前歯を外した夢見さんにわたしは感謝を伝えた。
「こちらこそ、素敵な歌をありがとうございました。これからはどうされるんですか?」
「デザインに挑戦しようと思っています」
自分でも驚くほどに、自然と力強く答えていた。
「あら、そしたら、この現場のロゴを制作していただけますか?」
「えっ、もちろんです。作らせてください!」
まさかの思わぬ初仕事だった。
「でも、わたしでいいんですか?」
「いいんですよ。こういうのは流れですし、何かのご縁です。わたしもそうでしたから」
「えっ?」
「夢燃ゴミの山に手紙があったでしょう? あれ、実はわたしのことなんです。まさか、まだ手紙が残っていたなんて。あとでビリーにはクレームを入れとかないと」
夢見さんは月を見上げて、続きを語りだした。
「彼と連絡がとれなくなって、わたしは現地に探しにいくこともできたんです。でも、そうはしなかった。どうやら、新しい恋人ができたみたいなんです。恨みとかはありませんでした。彼とやりとりしていた手紙を捨てて、気持ちを整理したはずなのに、ふと取り戻したくなってしまって」
眼鏡を外して、縛っていた髪をほどくと夢見さんはさらに続けた。
「可燃ゴミで出したんですけど、願いが強く込められていたために、こちらへと回されたみたいで、そこからはあなたと一緒よ」
クールで知的だった夢見さんが、はじめて笑った。
「それでビーバー語を齧っていたわたしがここの通訳になったというわけ」
「ずっと気になっていたんですけど、そのビーバー語ってどこで?」
最初から抱いていた疑問をわたしはついに口にした。
「その彼がビーバー語学者だったのよ」
これまた次の謎がでてきたが、世界はわたしの想像もおよばない不思議で満ちているのだろう。
「もう、今夜は仕事終わりなの。この後、町にでて朝食でもいかがかしら? デザインについても詳しくききたいし」
「はい、ぜひ!」
空が白み始めるころ、月音川はその姿をそっと隠すようにして消えた。
わたしの新たなスタートはとても意外なところから転がってきたけど、今はこの胸のワクワクを全力で信じてみたい。