季節は輪廻の如く-春の雪-
強く冷たい風が水分の多い雪をつれてきた。
アスファルトに薄く積もってぬかるんで、とてもきれいとは言えない。
ブーツの踵に、細心の注意を払いながら歩く。
東京のなごり雪。
3月9日に降った雪。
先週は、日中、コートがいらないくらいの陽気だったのに、この時期の手のひら返しはまったく手厳しい。
思わせぶりもいいところ、そうするほどに恋しくなる春の策略に、毎年まんまと嵌められる。
季節は輪廻の如く。
輪廻は季節の如く。
「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
百人一首で私が一番最初に憶えた句で、そして、私が一番好きな句だ。
そして、三島由紀夫晩年の小説を映画化した「春の雪」においても、意味の深い句となっている。
今世で結ばれなかったふたりが、輪廻の末に、来世でまためぐり逢う。
それは、若い主人公たちの悲劇的な運命を占っており、原作に立ち返るならば、四部作「豊饒の海」の第一作目にして、その句が輪廻のはじまりを告げている。
妻夫木聡演じる清顕は、才能があって裕福で家柄も良く、容姿端麗で女性にもてる。
なんでもたやすく手に入れてきて、すべて意のままにしてきた彼のプライドは山より高く、その言動には、怖いもの知らずの大胆さと横柄さがある。
自分のことを慕う、美しい幼馴染の聡子のことも、その想いをよく心得た上で、彼は彼女を疎ましげに扱い、冷淡な態度を取り続けてきた。
しかし、竹内結子演じる聡子が宮家の王子から求婚されたと知るや、途端に、ずっと彼女を愛していたと知り、想いを告げて結ばれようとする。
そして、ふたりは禁断の愛に身を投じ、後戻りできない破滅へと疾走するのだ。
しかし、それは、本当に愛だろうか。
私には、単なる執着にしか見えない。
手の中にあると安心していたものが、あるとき奪われそうになって、急に惜しくなる。
奪い返して、私の所有だと証明したくなる。
それは、よくあることだ。
燃え上がる愛と呼ばれるものの多くは、法則めいたしかけによって生み出されているに過ぎない。
思わせぶりにして、冷たくする。
追いかけると逃げて、離れると追ってくる。
執着に囚われた清顕の形相は、すさまじい。
それは本能に近いもので、そのことで人を責められない。
その執着から解かれれば輪廻から解脱できると仏教が説くほどのことなので、業を背負った普通の人間には、それを振り切るのは容易いことではないだろう。
春の雪。
その儚い響きは美しいが、溶けるのが早くてぬかるみを作る。
少し遅いのだ。
降るのが遅すぎる。
気まぐれが去り、本当の暖かさが訪れるまで、まだ少し、あともう少し。
春の雪(2005年・日)
出演:行定勲
監督:妻夫木聡、竹内結子、高岡蒼佑 他
■2010/3/10投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししてきます