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秋の便り-ゆれる-

爽やかな空を仰ぎ見る。
あるいは、街行く人たちの装いを観察してみる。
新しい季節を感じる要素はいくつもあるけれど、私にはまた別の秋のサインがある。

それは、実家からの届きもの。

今日届いたのは、兵庫県産のピオーネだ。
しっかりとした実が鈴なって、ビジュアル的に既にふくよか。
巨峰よりも甘く、渋みがなく、爽やかで実に瑞々しい。

うちの実家の近所では、道路沿いに直売のテントがよく見られる。
そんな光景を思い描きながら、実家にお礼の電話を入れると、晩酌で少し酔っ払った母が、とろけるようなしゃべり方で応答した。



元気か、仕事は忙しいか、何か変わったことはないか。
母は一連のおきまりごとを質問し、私は一連のおきまりごとを返事する。

東京は、もう9月。
故郷も、もう9月。

帰り道では、鈴虫が鳴いていた。

農協に就職した中学の同級生の男の子が、今日、うちに保険の営業に来たそうだ。
母は、そのS君から同級生たちの近況を色々と聞いたと教えてくれた。

もうS君は、「男の子」じゃないんだけど。

この間、S君は、O君やM君やA君と集まって飲んだんだって。

県庁に勤めているT君は神戸に家を建てて、子どもが二人いるんだって。
医院の息子のE君は医者になって、イギリスに留学して、今はどうしているか知らないんだって。

農協勤めのS君は、まだ結婚してないんだって。
S君のお兄さんは世田谷に住んでいて、お母さんはひとりでは怖くて東京に行けないけれど、お兄さんの奥さんも同郷の人だから、奥さんのご両親と一緒に東京に遊びに行くんだって。

S君のお母さんのことは私もよく知っている。
明るくて陽気で、S君と同じく、農協勤めだった。
そういえば、S君は中学のときにお父さんを亡くしたんだった。
だから、S君とS君のお母さんは、地元で二人で暮らしている。

S君は、私のこと、まだ「会長」って呼ぶんだって。
私、生徒会長だったから。

懐かしいな。

秋の便りは、故郷の便り。

私にとって、すべての思い出は、そこにそのまま置いてきたものだけれど、あの場所に生きる人々にとっては、確かに時が流れている。
みんな一続きの時間の中で、互いの変化を見守りながら生きている。
むしろ私が、時の枠の外にいる。

東京の9月は、故郷の9月。
私の9月は、同級生たちの9月。

映画「ゆれる」では、東京でフリーカメラマンとして成功した弟が、法事のために、久しぶりの実家に帰ってくる。
実直な兄は、稼業のガソリンスタンドを継ぎ、まだ結婚もせず老いた父の面倒を一人でみている。

対照的な兄弟の間にある、時と距離の隔たりは、知っているようで知らず、近いようで遠く、その不安やもどかしさが悲劇的な展開を引き起こす。
けれど、その状況に陥って初めて、二人に互いを見つめなおす機会が訪れたことも確かだった。

今の生活が、まるで過去とは無縁に見えるほどのものだとしても、やはりあの場所とあの時の延長線上に私は生きている。

秋の便りは、故郷の便り。

来月は、実家に帰ろう。


ゆれる(2006年・日)
監督:西川美加
出演:オダギリ・ジョー、香川照之、伊武雅刀、真木よう子他

■2008/9/11投稿の記事
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田中優子
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