【私たちのまちの自慢人@秋田】『「20代はバラエティー」自分の好きに寄り添いながら過ごす』 株式会社See Visions/ヤマキウ南倉庫運営担当 山本美雪子さん
街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』。
秋田編初回は、オンラインコミュニティメンバー池田(@秋田)の初企画で、まちづくりファシリテーターの平元美沙緒さんをお迎えさせて頂きました。
そして今回第2弾は、横塚(秋田出身/東京在住)による初企画!
<小学校〜高校時代>『進路選択のヒントが詰まっていたナマハゲロックフェス』
<大学生活>『高速回転するかのような勢いで、想いを形にし続けた大学生活』
<就活>『決め手は「自分がアンテナを張っていた中でのオンリーワン」』
<仕事>『賑わいの拠点として、日常に溶け込んだ空間へ』
<夢>『おかえり、ただいま』と挨拶が飛び交っていた大好きな商店街を取り戻したい』
<マインド>『「未来の自分に後悔させたくない」が原動力』
<モットー>『「20代はバラエティー」自分の好きに寄り添う時間を』
どの環境下であっても常に“楽しい”を発展させ、その素材を伸ばしながら、突き動かされてきた印象が強く残るゲスト。株式会社See Visions企画部/ヤマキウ南倉庫運営担当の山本美雪子(みゆこ)さんに迫りました。
山本美雪子(みゆこ)さん:1998年秋田生まれ。大学時代は、まちづくりを学びながら、音楽・写真を始め、好きなことを極める。2020年3月、横浜市立大学国際総合学部国際総合学科国際都市学系まちづくりコース卒業。
同年4月から秋田のデザイン事務所、株式会社See Visionsにヤマキウ南倉庫運営担当として入社。まちのクリエイティブな複合施設「倉庫+リノベーションでSYNERGYを生む創庫へ。」がコンセプトの“ヤマキウ南倉庫”の運営を担当している。
『進路選択のヒントは、男鹿ナマハゲロックフェス』
WI吉田:秋田編初回でお迎えさせて頂いた美沙緒さんは、“まち”をキーワードに活動されていて。切り口は違えども、近い気持ちで“まち”に向き合われている美雪子さんからお話伺えること楽しみにしていました!
3月に大学をご卒業され、この4月から社会人生活が始まったとのご経歴を拝見したのですが、どんな学生時代を送られていたのでしょうか?
美雪子さん:小学校・中学校と吹奏楽をやっていて音楽に触れる機会が多かったので、大学では音響を学びたい!と工学部を目指していました。
バンドpoco a pocoで、学校祭のテーマソングを担当し、閉会式で演奏
そこで高校2年の夏あたりに、千葉大のオープンキャンパスに行ってみたのですが、自分の根底に「音の仕組みを知ることより、人が集まる賑やかな空間と音楽を作りたい!」という想いを抱いていることに気付きました。
実行委員長(高3時)を勤められていたという
秋田の高校生バンドライブイベント”SOUND OF YOUTH”。
進路を早く決めなきゃと考えていた頃、男鹿ナマハゲロックフェスティバルにボランティアとして参加し、人が集まるイベントとその光景に惹かれて。そういうまちづくりに繋がるようなイベントや仕掛け作りを勉強したいと、まちづくりを学べる大学を志望するようになりました。
ただ観光学部は多いものの、地域に根ざしたまちづくりを学べる大学は少なく…。進路調査票を書くタイミングで母が調べてくれて、1番上にヒットしたのが、横浜市立大学の国際総合学部国際総合学科国際都市学系まちづくりコースでした。
進学を機に上京し、この3月まで通っていた大学(横浜市立大)では、市民参加を促す「市民まちづくり」と、まち全体で子どもを育てる「まち保育」の2つの観点を軸にしたゼミに所属していました。また実習のメインが、横浜をフィールドにした都市空間の活用・再生について多世代混合居住型、まちづくりの観点からハードとソフトの両面での提案だったので、横浜周辺をよく歩いていました。
WI横塚:ご自身のコアにある想いに気付いた上での進学だったんですね!
『高速回転するかのような勢いで、想いを形にし続けた大学生活』
WI吉田:ベースに音楽がありつつ、果敢にチャレンジされてきた印象を受けたのですが、大学時代は、どんな心持ちで過ごされていましたか?
美雪子さん:できるかどうか分からないけれど、自分が楽しいと思うことをまずやってみようというスタンスでいました。
大学では軽音楽部に所属し、月1回ライブの開催に加え、制作した曲をレコーディングし、CDを出していました。
オリジナルバンドの活動の他には、フィルムカメラにハマり、個展を開きました。「10代のうちに何かしたい」と「写真が好きだから写真に関わる何かがしたい」を掛け合わせ、10代の終わりを写真で残したものをコンセプトに展示したところ、沢山の友人たちが足を運んでくれました。
19歳で開催した写真展『淡く眠たく儚い十代』
ただその一方で、「個展をやるなんて凄い!」と言って頂ける度に、その「凄い」という言葉に違和感を感じてしまって…。個展終了の段階で、誰でもやろうと思って行動したらできると共有するために、次は絶対にグループ展をやろうと決めていました。
そして大学4年生の夏には、友人たちとグループ展示イベント「モノオモイ」を開催しました。
個人的に好きな番組『ヒルナンデス』で、曇りの日が多いことから、カラフルなお家が多く並んでいるコペンハーゲン(デンマーク)の映像が流れていたんです。その記憶と、日本で1番日照時間が短い秋田は似ているかも…!とコンセプトが合わさり、1日目は白黒の絵や写真を、2日目はカラーの絵や写真を展示しました。
出展には、写真や短歌、イラストを描くのが得意な友人や後輩が協力してくれました。運営には、Twitterでの募集に反応してくれた方々がボランティアで携わってくれました。私以外初対面同士が多かったけれど、共通の趣味があるからか、すぐにみんな打ち解け、身近な輪が広がっていく形でしたね。
モノクロとカラフルをテーマにした展示会“モノオモイ”
(コンセプトは『曇りの多い秋田にカラフルな毎日を』)
バイトは、塾講師、BIRKENSTOCK(サンダルブランド)、MONOTORYというハンドメイドのワークショップを開催するお店を経験しました。どれも短期間でしたが、出会いが広がった上に、自分で働く楽しさを味わいました。
『日常の一部を切り取る気持ちで過ごしてみる』
WI吉田:やりたいという気持ちから始まり、見聞きするモノからインスピレーションを得て企画を練りつつ、音楽や写真を始めとする趣味。興味の幅が広いと思うのですが、意識的にアンテナを張られているのでしょうか?
美雪子さん:日常の中にある「これ良い!」というモノの中でも、本当にいいなと思ったものは、メモをしなくても忘れずに自分の中にこびりついている感覚です。今は幅広く能動的にキャッチしながら、勉強しなきゃ!と思っています。
ちなみに写真好きになったのは、フィルムカメラの素敵な写真をインスタで見つけ、「あ、なんかこれやってみよ」と思ったことがきっかけでした。
最近だと、映画好きの友達にお勧めを聞きまくって、一気に観てみました(笑)。短期間でもいいから気になることをやってみて、合わなかったら辞めていいと思うんです。
WI池田:当たり前に過ぎ去っていく日常の中に「良いな!」と思える要素を見つけ、趣味と掛け合わせながら、活かされている点が素敵です! やりたいと思うことを選ぶ際に、何か意識されていたこと。その取捨選択時に浮かぶロールモデルはいらっしゃいましたか?
美雪子さん:小学校・中学校と吹奏楽部の部長を務めていたので、定期演奏会の提案や、自分でステージパフォーマンスを考えていました。心のどこかにある「褒められたい」という想いも、原動力になっていた気がします。大学4年生になってからも、卒業後の進路=就職に囚われていなかったんです。
レールが敷かれた生き方をしなくてもいいかなという気持ちが強いのは、幼い頃から「これやりたい!」と言ったら、とりあえずやらせてくれる両親だったことが大きかったのかなと。誰か特定のロールモデルはいないのですが、強いて言うなら良いな!と憧れる部分を吸収しながら、組み合わせていくイメージです。
いつも刺激をくれる存在は、小学校時代の友人。劇団四季に入りたいという夢を叶えるために、歌やダンスレッスン一筋で頑張っているんです。演劇系専攻の大学に進学し、休学して秋田に戻ってきている今は、老人ホームなどでパフォーマンスをしているらしく、好きに対する熱量の高さに圧倒されています。
写真右下:美雪子さん
『決め手は「自分がアンテナを張っていた中でのオンリーワン」』
WI横塚:競ることなく、いつもご自身の気持ちに目を向けていらっしゃる美雪子さんが秋田に戻ると決めた理由や、タイミングが気になりました!
美雪子さん:若いうちは関東で働こうと、ベンチャーの不動産関係と写真関係の会社を視野に入れて就活していました。ただ就活が本格化していくうちに、画一的に開発していく都市部より、地域・ローカルに惹かれていったんです。そんな中、4年の5月頭に某写真会社から内定を頂き、その時点で一旦就活を辞めました。
ただ帰省する度に、お店がどんどん潰れてシャッターが増えていく様子を見て、急がなきゃと抱いていた気持ちが強くなっていって…。人も情報量も多い都会で働ける自信もあまりなかった。
こんな地元に対する気持ちを持ったまま就職して本当にいいのか不安になってしまって、モヤモヤしていた頃に、See Visionsを見つけました。私がやりたいと思っていたことと共通している部分が多く、一方的に「気が合う!」と思いました(笑)!
ただ会社のサイトに新卒募集を明記していなかったので、新卒募集について問い合わせてみたところ、選考を進めて頂けることになって。夏休みにインターンさせてもらえることになり、東京で頂いていた内定も辞退しました。
See Visionsに決まったら就職、受からなかったらニートという崖っぷち状態…。多くの企業は10月に内定式を実施するので、大丈夫かな…と思いながらも、他を受けようという気持ちにならなかったんです。「ただただ秋田で働きたい、それならこの会社で働きたい」という一心でインターンをしていたところ、内定を頂くことができました。
WI横塚:美雪子さんの潔さに、ただただ圧倒されました!
美雪子さん:ヤマキウ南倉庫の存在を知り、秋田で色々やっている会社ってどこだろうと調べていたら、至るところに「See Visions」と書かれていて。見れば見るほど「これも、これもか!」と、自分の興味と合致していることに気付きました。他と比べて優れているポイントというより、自分がアンテナを張っていた中でのオンリーワンとして見ていました。
WI池田:念願叶って入社されたものの、入社時期とコロナの流行が被ったと思うのですが、どんなお仕事を担当されているのでしょうか?
美雪子さん:コロナの影響で4月から在宅勤務だったので、本格的にお仕事できていないのですが(7月取材当時)…。新人として教えてもらいながら、ショップ、事務所、コワーキングスペースが入っている複合施設 ヤマキウ南倉庫の運営をしています。同じ建物で過ごしているので入居テナントさんとも顔が見える関係性で繋がれる良さがありますね。
ヤマキウ南倉庫の内装
『賑わいの拠点として、日常に溶け込んだ空間へ』
WI横塚:ヤマキウ南倉庫をどのような空間にしていきたいのか。社員として運営担当として、美雪子さんのビジョンを伺いたいです!
美雪子さん:ヤマキウ南倉庫のコンセプトは「倉庫+リノベーションでSYNERGYを生む創庫へ」。「今日は、ちょっとあそこまで買い物に行ってみようか」「お散歩の次いでに寄ろうか」「勉強に、仕事しに使おう」というように、日常の導線の中に含まれていたらいいなと思っています。
そしてここヤマキウ南倉庫のある”亀の町エリア“には、パン屋さんやカフェもあるので、このエリアで暮らす方々の生活を充実させるお手伝いをしていきたいです。元々古い建物が並んでいて歴史があり、地域の方にとって昔から馴染みがあるこの場所が「こんなふうに変わったんだ!」という感覚で、ヤマキウ南倉庫に足を運んで頂けたら嬉しいですね。
『「おかえり、ただいま」と挨拶が飛び交っていた大好きな商店街を取り戻したい』
WI池田:美雪子さんご自身が描いているチャレンジや夢がありましたら、教えて下さい!
美雪子さん:最終的な夢は、地元の商店街に活気を取り戻すこと。私の実家は商店街に面していて、小さい頃は色々なお店の人から「おかえり、ただいま」と挨拶が飛び交い、今よりも人の行き来がありました。
ここ最近はシャッターだらけで、よくある商店街の衰退化が見られる場所です。「この衰退をなんとかするのは私たちの世代だ!」という想いを持ち、今よりさらに「住んでいて楽しい」と感じられるまちにすることが目標です。
WI横塚:とっても素敵な夢ですね!特に秋田市内は、シャッター街が増えていますよね…。美雪子さんは夢を叶えるために、どんなことを今の会社で吸収していきたいと考えられていますか?
美雪子さん:部活、バンド活動、写真展と、これまでずっと企画することが好きでした。社会人としてという言葉が適切なのか分かりませんが、より地域に根差した何かを作るとなら、それなりの専門的な知識と、入念な準備が必要。今までみたいに土壇場で「やりたいからやってみよう!」だけでは、どうにもならないので、何かを企画し人を集めるノウハウを自分のものにしたいと思っています。
今は入社したてで分からないことだらけなので、とにかく人と出会い、吸収し、勉強し、失敗もしながら仕事させてもらっています。See Visionsで、色々な楽しいことに挑戦していきたいです。
ヤマキウ南倉庫でお仕事されている姿
『「未来の自分に後悔させたくない」が原動力』
WI吉田:美雪子さんは何をするにも、いつも「楽しい」気持ちが勝っていて、あまり焦ることなく、夢中な姿が印象的です。何かきっかけがあったのでしょうか?また想いを実現するために意識されていることはありますか?
美雪子さん:目標のために頑張りたいという想いより、楽しそうだからやろう!の方が強く、何とか上手いことすり抜けてこれた感じで(笑)。いつもやらないといけない環境を作っていて、無意識で自分を追い詰めているのかな(笑)。
WI吉田:自分を追い詰めていると段々苦しくなってしまうと思うのですが、どのように解消されているのか気になります!
美雪子さん:それこそ19歳で開催した写真展は、やり方含めて何も分からずで、無謀というか…。もう間に合わないかもと思い、日付を先延ばしにして準備を整えてからやろうという選択肢もありながら、みんなが集まる成人式に合わせて、どうしても10代のうちに秋田でやってみたかった。タイムリミットが迫ってきているものの、妥協したくないという気持ちとの間で揺れ、何回か無理かもと思ったことがありました。
内定を蹴ってこの会社に決めた時も、周りに心配されることは沢山ありました。ただ東京での内定蹴って、この道まで諦めたらどれだけフワフワしてるんだってなるし、自分で決断したことを貫かないとダサいというか(笑)。なんとなく、未来の自分に後悔させないために行動しなきゃと思っていたので、それが原動力になったのかなと。とはいえ、何も考えていなかったのが半分みたいな感じです(笑)。
『「20代はバラエティー」自分の好きに寄り添う時間を』
WI吉田:「自分を生かす選択を描くため」に、最後にメッセージをお願いします!
美雪子さん:横浜で過ごした4年間は、友達の友達と繋がりが広がり、ネットワークが大きくなる印象がありました。一方で地方は人が少なく、「え!?何!?」と目立つこともあるけれど、地方にしかないチャンスもあります。
秋田だからチャレンジできないと諦めて上京する方も多いと思うのですが、若者に来てほしいと思っている会社も色々ありますし、もしなければ自分たちで作るという選択肢もあります。一概に「都市部だからチャンスが多い」ではなく、地方にも可能性があると別の見方が広まるといいなぁと感じています。
崖っぷち状態だった就活を経た今、それだけでは人生の全てが決まらないと思うんです。私自身、給料や親がどう思うかなど色々悩みましたが、最終的には自分の「好き」と思う気持ちを貫ける道を選びました。
私はいつも心の片隅に、『20代は色々な人に出会いながら、沢山の挑戦と失敗を繰り返す時期だという意味を持っている「20代はバラエティー」』という言葉を置いています。
社会人は学生と違って、区切りがないまま時間が経ってしまうからこそ、定期的に自分を見つめ直しつつ、その時好きなことを軸にしたい。自分の「好き」の軸に則って流されても、何とかなる気がするので、20代は自分の好きに寄り添いながら様々な経験をしていきたいです。
WI吉田:『20代はバラエティー』素敵な言葉ですね。進路選択が迫ってきて迷いや悩みもありますが、内にある“好き”に素直でい続けられるよう、色々なことに挑戦していこうと思えました。本日は、貴重なお時間とお話をありがとうございました!
(企画:池田咲希、横塚奈保子 | 取材&書き起こし:池田咲希、横塚奈保子 | 構成:吉田響 | 編集:大山友理)