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【私たちのまちの自慢人@盛岡&池袋】『自分が選べる範囲内の「好き」から選択してみる』株式会社ソーファデザインデスク代表取締役/株式会社モリノバ代表取締役 浅野聡子さん

街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』。

昨年9月に、WIメンバー横塚が「私のふるさと語り」2本(愛媛・香川編/徳島・高知編)を執筆。今回は、その自転車旅メンバーの1人、黒崎怜さんとのコラボ企画。怜さんとともに、椎名町(池袋)にあるシェアハウス「シーナと一平」のなりわいプロジェクトに参加されている浅野聡子さんを、お迎えさせて頂きました。

「後悔しないように」と不安選考型で動くのではなく、「自分はこれが好きだから楽しんでみよう」という姿勢。いつも等身大でありながら、潔い決断力で前進する姿が印象的な聡子さんのライフストーリーをお届けします。

聡子さんの仕事風景

浅野聡子さん:神戸育ち(幼少期までブラジル)、こもって何かを作るのが好きだった。大学から東京。大手デパート、アパレル企業を経て、27歳でwebサイト制作の道に転職。2012年から主人の転勤で2年間だけ住んだ岩手盛岡に惚れて、2014年にweb制作会社・制作会社ソーファーデザインデスクを設立し、岩手東京の2拠点生活を開始。2017年には盛岡の築100年の古民家をリノベーションした小型商業施設「十三日」の運用会社・株式会社モリノバを設立。毎月の十三日のイベントの他に、岩手の美味しい野菜のフルコースを食べる小料理屋「みはな」や、同姓同名の2人で開くスナック「そうそう」、池袋の西側を楽しむ「要長千/ええじゃないか」など楽しいと思う出会いを作りたいと思っている。

『人と違うことをすると褒めてくれる親の存在』

WI大山:取材前に聡子さんのメディア『盛岡さんぽ』を拝見し、5歳の頃まで宮城と東京の2拠点生活を送っていたこともあって、「あぁ東北のこういうところ好き!」と一気に思い出が蘇ってきました (笑)。今日は宜しくお願いします。
ご経歴に「小学校までブラジル」と書かれていたのですが、どのような幼少期を過ごされていましたか?またご自身のコアになっている価値観は、海外と日本のどちらが強いと感じていますか。

聡子さん:ラテンアメリカ専攻の父が大学の研究職に就いており、小学校入学前までブラジルに住んでいたのですが、あまり覚えていなくて(笑)。ただ、物怖じしない子どもでした。初めて幼稚園に登校した日も、校門から校舎までかなり距離があったのに、私は振り返らずに歩いていったみたい(笑)。友達からは、「あられちゃん」と言われるほど、よく喋る子どもでした。

小学校・中学校は、神戸大学発達科学部(元教育学部)の附属校に通いました。当時どこの学校も土曜登校があったけれど、私の小学校は平日登校のみで、テストも通知表もなかった(笑)。学校が住吉と明石にあるのですが、明石は時間割もなかったんです(笑)。

「みんな横並びではなく、自分の好きなことをやればいい」生徒たち自身が考え、行動することに重きが置かれていて、1人1人の才能を伸ばそうと尊重してくれる雰囲気がありました。大きくなってから気付いたけど、自分に合っていたと思うし、海外よりも小中の環境がその後の人生に影響を与えてくれた気がします。

私の親は「人同じことするのはつまらないよ」と、人と違うことをすると褒めてくれるタイプ。親に言われて何か始めたことは1つもなくて、自由に好きなことを取り組める環境を作ってくれました。

WI大山:自由な環境に長くいらっしゃったとのことで、どんな高校に進学されたのか気になりました。

聡子さん:もともと勉強が好きじゃなかったので、高校受験も絶対受かると言われていた滑り止め1校しか受けず、地元の女子校に進学しました。

『チアリーディング部の先輩を追うように決めた就職先』

WI大山:聡子さんは、直感先行型というか、自分の心のときめきを大事に動く印象が強いです。高校進学後は、どのような過程を経て、将来の意思決定をされていたのでしょうか?。

聡子さん:大学受験時も、あまり勉強したくなかったので、推薦で入りました(笑)。極力自分がしたくないことはしない!

上京しようと思ったきっかけは、当時1番仲良かった友達が東京で進学するというので、「じゃあ私も行くー」と軽いノリで決めました(笑)。もし東京が嫌だったら地元に戻ればいいし、友達がいるから大丈夫かと思っていました。

取材風景

どんな選択をしても、何が正解か分からない。いずれにしろ色々苦労することもあるだろうから、だったらせめて自分が選べる範囲内で、やりたいと思ったことや好きなことで苦労したい。好きと思えないと続けられないと分かっているので、好きかどうかで判断してきました。

大学時代に所属していたチアリーディング部で好きだった先輩がジュエリーのお仕事に携わっていたので、就活で同じ会社の選考を受けました。新卒入社後は、大手デパートで外商などの高級ラインを中心にしたジュエリー部門に配属され、3年半働きました。

『転職のきっかけは、10年後の姿を想像したこと』

WI大山:ジュエリーショップから某アパレルに転職されたきっかけに至るまで、何があったのでしょうか。

聡子さん:仕事自体は嫌いではなかったのですが、ある時ふと、「私、10年後も同じ仕事をずっとやっているのかな…」と思うようになりました。

3年も働くと第2新卒ではなくなってしまうので、もったいない気がしますが、当時『3年は働いた方が良い』みたいな風潮がありました(笑)。当時、新しいジュエリーラインの立ち上げ期だった某アパレルに転職しましたが、自分に合っていない感覚があり、結婚を考えていたタイミング(2006年)で、寿退社しました。

WI座間:寿退社されてからは、どんな生活を送られていましたか。

聡子さん:当時、夫が「好きな仕事していいよ」と言ってくれたので、新たに何をしたいか考えてみたんです。

自分の結婚式で配ったパンフレットを自作した経験が楽しかったので、ものづくりの仕事をしてみたいと思い、フリーのデザイナーさんに教えてもらいながら、まずはMacのノートパソコンを購入したり、アプリ(illustratorやphotoshop)をインストールしました。How to本を片手に、手探りで架空のレストランのメニューを作るなどし、デザイン会社に応募しました。

聡子さんの仕事風景

聡子さんのお仕事風景

未経験で、デザイン学校を卒業したわけでもなかったので、27歳にして最初は時給800円のアルバイト採用でしたよ(笑)。最初は、グラフィックや印刷をやりたいと思って入社したのですが、当時、広がり始めていたWebサイトの仕事に携わってみたら、楽しくて。これは天職だと思いました。

その後、夫とともに移り住んだ大阪で、別のweb制作会社に入り、正社員として4年間働きました。それ以来、今も変わらず、Webサイト制作の仕事をしています。

『「あぁこの街好きだな」と名残惜しかった2年間の盛岡生活』

WI横塚:旦那さんの転勤に合わせて、その都度働き方を変化させていたんですね。

聡子さん:震災の翌年(2012年に)、夫に今度は岩手県盛岡への転勤辞令が出ました。真冬だったので、同じ東北である山形出身の友人に雪国生活のアドバイスを求めたら「まずは長靴を買え」と言われたのを覚えています。それまでは盛岡が何県にあるのかもわからなかったくらい知識もなく、知り合いもいない土地への引っ越しでした。

ところが、ここで出会った盛岡という街が本当に素晴らしい場所だったんです。結局、2年でまた東京に戻ることになったのですが、「あぁこの街好きだな」と名残惜しくなってしまって。惚れ込むほど好きになってしまったので、盛岡のすてきな場所を独断と偏見で紹介する『盛岡さんぽ』を作りました。

盛岡さんぽWeb

盛岡を離れてから就職せず、2ヶ月間フリーで働いていたら、その間、想像以上に知り合いなどからお仕事を頂けたんです。独立する気も、会社を作る気もなかったのですが、責任を全て自分で負わなければいけない分、好きな人とやりたいと思った仕事をできる魅力に気付きました。

義理の父が応援してくれたこともあり、その後Web制作会社ソーファデザインデスクを設立しました。東京と盛岡にも事務所を置き、2014年から2拠点生活を開始しました。これで好きな盛岡にも通えるようになったわけです(2020年からはコロナの影響で基本的に東京で過ごしています)。

『作り手の顔が見えて、会話できるあの距離感が好きだった』

WI大山:引越し回数が多い中で、今も変わらず盛岡に拠点を置き、豊島区と2拠点生活されているとのことですが、それぞれどんな点に惹かれていますか。

聡子さん:
盛岡の雪は、幻想的で音が消えてしまうほど綺麗で柔らかく、服がほとんど濡れません。盛岡の方は、天気予報が雪だとしても傘を持たないんです。初めて知った時は、びっくりしました!雪が積もった景色は音も消えて、本当に幻想的です。

また、盛岡はデパートや飲食店が多く、生活に必要なものは全て揃っています。人混みや高層ビルがないので、多すぎず少なすぎず、等身大で生活できます。

魚介は驚くほど新鮮で安いし、どのお店で何を食べても美味しいので、夫と盛岡のお店を週末に巡っていました。「庭で放し飼いにしている鶏の卵や、無農薬で産直に持ってきて下さった野菜を仕入れたから、今日のランチはこれにしたの」と作り手の顔が見えて、会話できるあの距離感が好きで。お昼をコンビニで済ませていた都会での食生活とは、比べ物にならないくらい豊かで、離れ難かったです(笑)。

コロナが深刻化する前までは、全県制覇を目指して旅行ばっかりしていたのですが、ここ1年は、家から半径1km以内で何かしてみようと思いました。そんな時に、たまたまシーナと一平を運営しているシーナタウンの日神山さんから「なりわいプロジェクト」をやろうと思っていると聞き、参加しています。

『幼馴染で、何でも言える関係性の夫』

WI横塚:ここまで仕事のお話を伺いながら、何度か登場していた旦那さんとの出会いや、結婚の決め手となったエピソードをお聞きしたいです!

聡子さん:
夫と私は、幼馴染でした。小中の頃は、そこまで仲良い訳ではなかったけれど、私の家の近くに住んでいた男子と夫が親友で。私が女子高に進学してからも、近所の友達みんなでよく遊んでいました。

高2からまず3年半ぐらい付き合いました。途中、私が東京の大学に行き、夫は一浪。1年遠距離して上京してきてくれたのですが、結局1度別れました。長い付き合いだったこともあり、別れてからも親友のような存在として仲良くて!お互いの新しい恋人の恋愛相談や、クリスマスプレゼントの下見に付き合ったこともあり、その上共通の友達が多かったので、一緒に飲むことも多かった(笑)。

ある時、周りから『お前ら別れたけど、結局仲良いやん!どうなの~?』と言われたことがきっかけで、また付き合うことに。家の更新時から同棲を始め、そのまま結婚しました(笑)。

WI横塚:そうだったんですね!結婚願望はありましたか。

聡子さん:ありましたね!長い時間をともに過ごしてきたからこそ、何でも言える存在。別れてからも仲良かったし、『一緒にいるならこの人かな』と思っていました。もしかしたら、他にももっと合う人がいるのかもしれませんが、夫と過ごした時間と同じだけの時間をかけて、今の関係性をもう1度築くのは無理だと思いました。よく喧嘩はするけど、一緒にいます(笑)。

WI大山:お互い長い時間を共にして過去をよく理解しているからこそ、価値観のすり合わせが必要なかったんですね。幼馴染みというのも、漫画になるぐらいロマンチックですね!

聡子さん:そうなのかな~、何もそんな素敵な話がないんだけど(笑)。同窓会などにも2人で一緒に行ったりしています(笑)。

『旅行雑誌には載っていない、盛岡を発信していた「盛岡さんぽ」』

WI座間:先ほどお話にも出てきた『盛岡さんぽ』を、取材前に拝見させて頂いたのですが、柔らかいデザインと地域密着型の発信が印象的でした。
発信時に、何か意識されていることはありますか。

聡子さん:私の場合、「好きで作っているから、誰にも読んでもらえなくても満足!」ではなく、盛岡を知らない友人たちに向けて、住んで気付いた魅力的な場所を紹介したかったんです。なので、お勧めスポットを書くとしたら、尖りすぎず、誰が見てもいいなと思って頂けるテイストにしようと思いました。そのため、シンプルですぐに覚えてもらえるように、『盛岡さんぽ』と名付けました。

また、作り手が見えた方が頭に入ると思ったので、Webサイトの下の方に『神戸出身、東京育ちのwebデザイナー』と自己紹介を書いています。
東北では、神戸は「どこか遠くの素敵な街:という印象を持って下さっているようで。ご紹介頂く時に、「神戸ご出身の浅野さん」が決まり文句になり、盛岡では神戸出身がステータスになると気付きました(笑)。

【冊子版】盛岡さんぽ

私の仕事は、正確にはWebディレクターなのですが、分かりにくいので、Webデザイナーに変更しました。“神戸から来たWebデザイナーが、旅行雑誌には載っていない盛岡の素敵な場所を紹介している”を前提にしたところ、更新していた2年間で、7000人程フォローして下さっていました。Google Analiticsで読み手を分析してみたら、盛岡に詳しくない方より、盛岡在住の読者が多かったですね。

『地域課題を解決するための“リノベーションまちづくり”』

WI座間:「盛岡さんぽ」を書くにあたって感じた、地域(盛岡)としての課題をお伺いしたいです。

聡子さん:
1つは、空き家問題。最初の頃は、旅行雑誌に載っていない盛岡の魅力を発信していたのですが、東京から盛岡に通うようになり、外からの目線も加わったのか、これがあればもっといいのにな、と思う点も見えてきました。それは、私がこれまで惹かれて書いていた場所の多くは、県庁があり、空き家が増えている北側(旧市街地)にあるということ。

盛岡では、今から約30年前(1992年)に盛南開発(土地区画開発整備事業)が行われ、ほとんどが田畑だった南側エリアは、道路が大きくなり、街並みが整備されたそうです。それまで県庁がある北側(旧市街地)に住んでいらっしゃった方々が、南側に引っ越したことから、この空き家問題が発生しています。空き家問題は、盛岡だけで起こっている訳ではないのですが、もし盛岡の街がなくなってしまったら…と思いながら、私が解決できる訳でもないと感じていました。

もう1つは、デザイナーとのマッチングが成立していないこと。デザイナー志望の学生は、大学進学前に他県か東京に行くと聞いたので、盛岡出身の東京でデザイナーをやっている知り合いに尋ねてみたところ、「Webだけでは仕事が続かない」というんです。Webサイト制作だけでは食べていけないので、Webも制作も、商品のパッケージにパンフレットも作成する。業界的には、違うデザイナーの仕事なのですが、盛岡では何でも広く浅く仕事する方が多く、Webに特化したデザイナーがいない。自社のお客様も、誰に頼んだらいいのか分からなかったと仰っていたので、マッチングできていないと思いました。

株式会社モリノバメンバー

盛岡の築100年の古民家をリノベーションした
小型商業施設「十三日」の運用会社・株式会社モリノバのメンバー

そんな時、地域との関連性を考え、ここに何があったらビジネスとしてやっていけるか。空き家をどう活かすかという観点で、「リノベーションまちづくり」というエリアの再生活動をしている方たちに出会いました。
この手法だと、盛岡の空き家問題もマッチング問題もいっぺんに解決できる糸口になるのではないかと気付きました。

『小学生の頃から変わらず持っている、自分の得意をシェアする意識』

WI座間:その後、周囲をどのように巻き込み、アイデアを形にされていったのでしょうか。

聡子さん:Web制作会社ソーファデザインデスクの他、空き家をリノベーションするなどして、人が集まってマッチングもできるような施設を作りたいと考えていました。

そこでまず、東京の先駆者のお話を聞きながら、地元でも活躍している様子を伝えられるように、毎回東京と地元岩手からそれぞれ1名ずつゲストをお招きして、盛岡のまちについて考えるトーク中心のイベント「盛岡さんぽ会議」を、1年間で5回開催。毎回100人以上の方にお集まり頂きました。

空き家の問題やリノベーションをしていきたいかを発信し、そこで出会った大家さんの築100年の木造2階建て大きめの建物をリノベーションし、運用会社、株式会社モリノバを新たに設立。飲食店やシェアオフィス、ギャラリーなどが入った小型の商業施設「十三日(とみか)」を開業しました。

十三日の内装

巻き込み方は、色々な軸があると思うので、お客さんやシーンによって変化すると思います。私は、「こういうのやりたい」話が大好きなので、周りの声を拾い、「一緒にやろうよ」や、「もしできるなら何から始める?」など話し合いを頻繁にしています。それぞれの「できること」や「得意なこと」を見極め、役割を大事にしながらチームを組むのがいいと思っています。

その根本で、自分自身がやりたいと思えているかどうかが大事だなと。やる前に諦めるのではなく、「失敗してから諦めればいい」という気持ちで、まず挑戦するようにしています。自分の得意をシェアする意識は、小学生の頃から、変わっていませんね(笑)。

『理想は、一生のうちにやりたいことをリストに書き続けられること』

WI大山:周囲5人の平均値が自分と聞いたことがあるのですが、聡子さんの周囲には、エネルギー量が高く、前に進み続ける姿勢をお持ちの方が集まっている気がしました。そんな聡子さんが長く背中を追っている方や、ロールモデルはいらっしゃいますか。

聡子さん:
あまり憧れる人というのはいないのですが、常に好きなものを持ち続けていたいです。小学校の卒業アルバムに書いたのですが、自分が好きなことがなくなってしまうことが怖くて。興味を持てることがなくなってしまったら、寂しいなと。一生のうちにやりたいことをリストに書き続けられるような人でありたいです(笑)。

十三日の外観

開業した商業施設「十三日(とみか)」の外観

WI横塚:「何事もまずはやってみよう」、「過程も楽しもう!」というエネルギッシュさからパワーを頂いたのですが、辛い時や苦しい時は、どう乗り越えられていますか。

聡子さん:
困難な物事に直面することは、みんなと同じ量だけあります。映画『フォレストガンプ』に出てくる「人生はチョコレート」のように、人生には苦はつきものだと思っていても、ウジウジしてしまうこともある(笑)。喋りながら悩みを共有し、慰めてくれる友達に話を聞いてもらうことで気が楽になっています。

聡子さん茶道部屋にて

『今後は、日本人にとって敷居が高いお茶を広めていきたい』

WI座間:その時々の環境や自身の気持ちに合わせて選択されてきた、聡子さんの今後の展望を教えて頂きたいです!

聡子さん:
多くの人に、お茶を広めていきたいです。実は、実家が茶道の家なんです。茶道は外国の方に日本文化を紹介する際の代表例でありながら、実際には敷居が高くて日本にいても触れる機会がほとんどないと、傍で見ていて感じます。

茶道には、建築に始まり陶芸、精進料理や生花など和の良いところが沢山詰まっています。今後は、お稽古やお茶会に行かずとも覗いてお茶を体験できる機会を作るため、動画を通じて発信していきたいです。

WI大山:聡子さんにとって「自分を生かす選択」は、好きかどうかで意思決定することなのだと思いました。私も選べる範囲内にある「好き」を選択し続けられるように、直感とスキルを磨いていきたいです。貴重なお時間とお話を、ありがとうございました!

(企画:黒崎怜横塚奈保子 | 書き起こし・構成:横塚奈保子、座間琴音 | 編集:大山友理)


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