『黄色い家』を読み通して
黄色い家。そう。それは、仲里依紗さんの、内装真っ黄色のご自宅について図解と解説をふんだんに織り込んだお話。…では、ありません。
(ご存知ない方のために。俳優の仲里依紗さんがご自宅で撮影されている超有名なYouTubeがありまして。ルームツアーってのがあったので貼ってみたけど、もうこれ2021年か…!トカゲ君あどけないな!)
…はい!では何かというと、こちらです。
『黄色い家』- 著者:川上未映子さん
作風の共通性
私、川上未映子さん作品を読むのは2作目でした。読みながらすぐ連想されたのは、初めて読んだこの『夏物語』。
『夏物語』は9割9分、『黄色い家』は10割が、いずれもひとりの主人公の視点で延々と為される独白形式が主体の小説です。
そして年齢層にある程度の差異はあるものの、どちらも女性が主人公。さらには登場人物たちの家庭背景とか、生活環境とか、お仕事とか、そういったものにも共通するところが多々見受けられました。
どちらも、とある女性が出来事とその時々に思ったこと感じたことをひたすら淡々と言語化していくという超シンプルな構成。しかもなかなかな長さ厚さ。これはしんどく感じる人も結構いるのでは?と心のどこかでお節介のように思いながら、気付いたら読み終わってしまっている。
この2作品において、つい先を読んでしまう動機というか原動力は、推理小説やファンタジー小説やなんかの高揚感を伴った興味とは、何だか質が異なりました。ストーリー的にも構成的にも、正直しんどい場面も少なくないのに。とにかく読み通さなくちゃいけないような、そのくせいざ読んでいると案外スッとページをめくれているような、そんな相反した感覚を伴うお話たちでした。
本筋とは関係ないどーでも良いところですが、どちらの作品でも主人公が携帯電話のことを「ケータイ」でも「スマホ」でもなく、常に「電話」と言うところが不思議と印象的でした。例えば時計表示を見るときの表現も、ガラケーであろうがスマホであろうが「電話を見る」とか。そうかぁ、「電話」かぁ。と。そんなところで川上さんの表現の独特さを感じました。
福祉の隙間
もし、あのタイミングで児童相談所や役所の介入があったら?もし、あの人に正式な後見人が入ったら?何らかの社会福祉的サポートがそこここで本当に必要な時に十分に必要なだけ入っていたなら、たぶん全く別の物語になっていたでしょう。
でも、そんな福祉が、セーフティーネットが、万全に問題なく機能しているとはとても言えない社会が実際現実にもあるわけで。どんなに現場ががんばっても、需要はパンク、供給は一部にならざるを得ず。もちろんそれで救われているケースも多数あると思います。が、仮に介入はあっても形骸化してしまったり、スポットではできても継続的なサポートに繋がらないこともあったりというお話も目にします。
『黄色い家』に出てくる人たち、特に未成年の主人公は、胆力があって何とか生活は回るから、そもそも福祉はすり抜けてしまうけれど本当は何らかの基盤やサポートが必要であることに、自身の求める需要自体に気付くことすらできないケースの物語なのかも知れません。いや、気付いていてもどうにもならない流れに巻き込まれて懸命に生きる物語、なのか。
川上さんは、この本で社会問題の提起をゴリゴリにしているわけでもない気がします。けれど、声をあげる前にあげ方も分からない、世間からはまるで居ないことにされているような人たちが生きている、生活している、その体温のある存在を描き出すことで、それぞれに何を思うか。世間って社会って何だと思ってるのか。それこそ、読者の生き様が試されているような作品だと思いました。
おまけ
本作も外国語訳されているそうですね。90年代アレコレとか、うわこれ懐かしいの感覚とか、外国の方々にどうやって伝わるように翻訳するのでしょうか…!?私には想像も付きませんわ。翻訳者の底力も試される作品ですね笑。
しかし、iモードとか、ラッセンとか、着メロアレンジとか、懐かしい!!!
バタバタしててなかなかnote開けてませんが皆さまの記事ものんびり拝読楽しみにしています。
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